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日本で華僑華人によって立ち上げられた中日文化蕓術(shù)交流団體は決して珍しくない。中でも、関藤清氏が會長を務める日中蕓術(shù)交流協(xié)會は、設立から日の淺い生まれたての団體である。
彼がこれまで歩んできた道のりにも、得た感動にも、無意味なものは何一つ無かった。寺院?神社めぐりによって新たにふたつのものが生まれた。ひとつは具體的な形として、2017年に日本で『黒白寺社』と題する寫真集を出版した。もうひとつは壯大かつ抽象的なものではあるが、日本のアートマーケットに対するビジョンである。
思索に苦しんだが、行動は果斷であった。彼は日本のアートマーケットに進出する決斷を下した。この時、ある人は日本でレストランを開くことを勧め、またある人は書店を開くことを提案した。
當時、彼は蕓術(shù)業(yè)界への愛情のままに、アートコレクションの分野で活躍しており、友人達の意見を聞き入れることなく、日本でギャラリーを開き、中國と日本の蕓術(shù)家の作品を展示し、中日の蕓術(shù)家を世に出すのだと決めた。
展示を通して、日本の蕓術(shù)界と中國の蕓術(shù)家が直接交流する機會をつくり、お互いの理解を深め、より大きな発展の機會をもたらすとともに、日本で古代の中國文化と現(xiàn)代の中國文化を繋ぐ役割を果たしたいと考えたのである。自らの行動で、永続的な文化の難題に取り組む。それは、一人の中國商人の文化に対する自覚であり、中日交流に盡くす華僑の純真な思いであった。
▼「清アートスペース」の誕生とその影響
こうして、彼は2016年に日本に進出した。事を始めるのに困難はつきものである。まず、會社登記の手続きと賃貸物件の問題が立ちはだかった。元々、ギャラリーは銀座に開設する計畫であったが、家主は、中國の若い実業(yè)家が日本で蕓術(shù)の仕事をするなどということが信じられず、高額な家賃を支払うことはできないだろうと契約を拒んだ。
諦めることを知らない彼は次に六本木に赴いた。「私のギャラリーは必ず、東京の高級で賑やかで國際性に富んだ場所に開きたいと思っていました。六本木は日本で最も多元的な文化の様相と蕓術(shù)の息吹をもった場所です。必ずここで中日の蕓術(shù)家の作品を展示するのだと決めていました」。
2017年6月、フランスのメガギャラリーの東京ギャラリーとして、「清アートスペース」が六本木にオープンした。オープニング記念展には、蓮羊、●楚雄(●=さんずいに王)、任力、裴根、鄒洪元、張靜雅、孫碩、周○匯(○=森の木が金)、許峰など中國の多くの優(yōu)秀なアーティストの作品が一挙に出展され、業(yè)界から大きな注目を浴びた。
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