拡大
岡山に「人間國寶」の伊勢崎淳氏を訪ねたばかりの中國人青年陶蕓家?宋少鵬は、東京で本誌の取材に応じた。
今日の成功について、宋少鵬は自身の人生を「順調過ぎます!」と謙虛に話す。それは、彼の「ゼロから始める」との人生哲學と、プロセスを大事にし、細部を疎かにせず、最高のものを追求する剛毅な人格によるものだ。彼は事業(yè)も人生もすべてにおいて物事を順序良く漸進的に進め、一つひとつ積み上げ、手間を惜しむことなく、世俗に媚びることもない。
一つひとつのプロセスを厳密に把握して事に當たったことが、成功への近道となった。彼は5年の間に考古學や歴史を學び、陶蕓の大家を訪ね、技術交流を行い、それまでの15年間の迷いを一掃した。そして、20年間堅実に積み上げてきたものは、60年の技と力を具えた日本の備前焼の大家?伊勢崎氏との出逢いによって成功へと導かれたのである。
ここで記者はひとつ贅言を綴りたい。伊勢崎先生を訪ねたのは今回が二度目であった。老先生は折々に、奧様に和菓子と抹茶を出すよう促し、我々を工房に案內してくださった。そして、ともに山を登り、先生が六十年以上使用してきた半地上式の穴窯を見學し、その後、江戸時代末期に廃止された「南大窯」跡に足を運んだ。陶器の破片が散らばる窯跡を行く間、老先生は黙して語らず、灑脫な白髪がそよ風になびいていた。先生は記念碑の前で我々と記念撮影をしてくださり、その後、我々はうどんを食べに出掛けた。先生のお宅に戻ってみると、宋少鵬がお禮に贈った二點の作品は、すでに老先生が制作した作品とともに室內の同じ陳列臺の上に置かれていた。老先生は攜帯電話をかけ向いに住む同じく陶蕓家の息子さんを呼んだ。部屋に入って來るや、彼は宋少鵬が贈った二つの作品を目にし、二つの作品を手に取って繰り返し丹念にながめ、しばらく手放すことはなかった。この時、工蕓は國境を越え、創(chuàng)作は人の心を打つものなのだと感じた。
記者が宋少鵬に人生の目標を尋ねると、彼は謙遜して、自分はまだ若く、考えが成熟していないかもしれないとしながら、中國宋代の八大名磁器の伝統(tǒng)的柴焼技術を復活させたいと答えた。彼の願望は、自身の作品が國賓への贈答品として選定されることだという。そして彼の夢は、百花繚亂の國內外の陶磁器交流の庭でひときわ美しく咲く花になることだ。
それは決して荒唐無稽な空言ではない。宋少鵬はすでに新たな技術によって伝統(tǒng)工蕓伝承の問題を克服しつつある。銀兔毫と銀油滴の落灰焼成の復元に成功し、現(xiàn)在、曜変天目の落灰釉焼成の復元に取り組んでいる。
中國の陶蕓文化がフェニックスの如く甦り、中國の青年陶蕓家?宋少鵬の新作が次から次へと世に出てくることを待ち望んでいる。(提供/人民日報海外版日本月刊)
Record China
2019/6/3
Record China
2019/6/8
Record China
2019/6/19
Record China
2019/6/25
Record China
2019/7/5
ピックアップ
この記事のコメントを見る