拡大
岡山に「人間國寶」の伊勢(shì)崎淳氏を訪ねたばかりの中國人青年陶蕓家?宋少鵬は、東京で本誌の取材に応じた。
令和元年の初夏、降りしきる小雨が東京の路地や情緒豊かな屋根瓦を濡らし、柴焼紫砂壺の上に自然に無作為に落ちる灰の如く、穏やかにしっとりと光暈を形成していた。そんな雨の夜、岡山に「人間國寶」の伊勢(shì)崎淳氏を訪ねたばかりの中國人青年陶蕓家?宋少鵬は、東京で本誌の取材に応じた。
興味の赴くままに実踐してその道を究め、日本の「人間國寶」に認(rèn)められた中國人青年陶蕓家。労力にも時(shí)間にもコストにも執(zhí)著をもたない探究者。伝統(tǒng)陶蕓の伝承者……記者は取材の最中、時(shí)に、これらの精力に満ちた躍動(dòng)的なイメージと、眼前ではにかんだ笑顔を覗かせる「山東漢子」を結(jié)びつけることに戸惑いを感じた。
いかなる國?地域であれ、伝統(tǒng)工蕓は保守性や閉鎖性が強(qiáng)く、血縁や地縁によって靜かに受け継がれているものだ。では、黃河の水で育ったこの「山東漢子」は如何にして宜興の紫砂に惹かれ、美しい太湖湖畔の「五色の土」の世界に陣地を構(gòu)えたのであろうか。(聞き手は人民日?qǐng)?bào)海外版日本月刊編集長?蔣豊)?
▼伝統(tǒng)工蕓伝承の道へと導(dǎo)いてくれた人たちへの感謝
宋少鵬と紫砂壺との縁は、彼が出張で広東省を訪れた時(shí)に結(jié)ばれた。そこで、お茶を愛しお茶に造詣が深い潮州の男性と出逢う。潮州人は中國茶道の功夫茶を嗜み、茶器にもこだわりを持つ。宋少鵬は見よう見まねでお茶を口に含んだりすすったり、茶器を鑑賞したりしているうちに、紫砂壺に興味を抱いた。
厳密に言えば、宋少鵬と茶器の縁は彼の幼少期にまで遡る。物が豊かではなかった時(shí)代、最も一般的なのはジャスミン茶で、龍井茶や毛尖茶を目にすることは稀であった。限られた條件下でもお茶の作法にはこだわりがあった。祖母は必ず、祖父が中華民國時(shí)代に買った宜興の紫砂壺でジャスミン茶を淹れ、ガラスのコップで龍井茶を淹れた。しっとりと溫かみのある紫砂でジャスミンの香りを引き出し、透き通ったグラスに龍井茶を映し出すためである。
Record China
2019/6/3
Record China
2019/6/8
Record China
2019/6/19
Record China
2019/6/25
Record China
2019/7/5
ピックアップ
we`re
RecordChina
この記事のコメントを見る