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平安時代、桓武天皇によって征夷大將軍として任命された坂上田村麻呂がいるが、坂上氏も同じく大蔵一族である。秋月氏は、先祖を中國人とする一族である。寫真は筆者提供。
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【その他の寫真】
この秋月種茂公は米沢藩上杉鷹山公(寫真2)の実兄で、記載したように弟に勝る治世を高鍋で実踐した名君である。鷹山公も同じく日向高鍋第6代藩主?秋月種美の次男として生まれたが、母方の祖母豊姫が米沢藩第4代藩主?上杉綱憲の娘であるこのことが縁で、10歳で米沢藩の第8代藩主?重定の養(yǎng)子となった。
時代はめぐり昭和34年(1959年)に明倫堂(高鍋東小學(xué)校:寫真3)に入學(xué)したのが筆者であるが、多くの諸先輩?後輩が巣立っている。筆者の入社した住友電気工業(yè)の生みの親になる住友総理事、鈴木馬左也(寫真4)も高鍋出身である。明治37年44歳の若さで第三代住友総理事に就任、「自分は正義公道を踏んで、皆と國家百年の仕事をなす考えである」と決意表明、明治44年には現(xiàn)在の住友金屬?軽金屬?電気工業(yè)の設(shè)立を契機に、化學(xué)?商事?日本ガラスなど鈴木が起こした事業(yè)は現(xiàn)在もまた國家百年の事業(yè)として活躍している。人材の育成にも注力、大阪鰻谷に「寧靜寮」という獨身寮を立て、自分の思いを伝えるべく度々寮に宿泊、若者と忌憚なく語り合ったという。筆者の入社した時も同じく寶塚仁川に「寧靜寮」があったが、阪神淡路大震災(zāi)後に殘念ながら取り壊された。鈴木馬左也は1922年(大正11年)12月25日に享年62歳で沒した。墓は秋月家菩提寺「竜雲(yún)寺」の近くにある。
小さな町ではあるが、初代大審院検事総長となる「三好退蔵」、最後の連合艦隊司令長官となった鬼瓦の名將「小澤治三郎」海軍中將、最近では、蕓能界で活躍中の今井電器店のひとり娘である「今井美樹」が同じく高鍋東小學(xué)校の出身になる。筆者は中央通りにかつてあった鹿児島銀行高鍋支店の裏の社宅に居たが、北隣が九州電工、その北隣が今井電器店であった。昭和34年に我が家にテレビなる高級家電が置かれたが、その時に杉木で高いアンテナを家の橫に立てた。その工事を美樹ちゃんのお父様が登って完成させたと記憶している。中央通りを北進(jìn)すると、幻の焼酎「百年の孤獨」を造る黒木酒造本店(社長の黒木敏之氏は筆者の1年後輩、現(xiàn)在の高鍋町長)がある。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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