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実は、今回の訪中団參加が決まった時、33年前の母校訪問があまりにも突飛な発想に思えた。寫真は筆者提供。
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実は、今回の訪中団參加が決まった時、33年前の母校訪問があまりにも突飛な発想に思えた。心の中で「絶対に私の知り合いがいるはずがない。知り合いがいない母校を訪ねて何になる?と言うか、現(xiàn)在の留學生擔當者に會っても、當時の事は知らないはずだから、共通の話題がない。何の共通點もない人と一體どんな話をするというのか?沈黙が続いて気まずい思いをするだけなのでは?」などなど。色々な思いが頭をよぎった。唯一の解決策は、當時撮った寫真を持って行き、「當時の交通大學はこんな風でしたよ」と私が説明すること。そうすれば、きっとその擔當者は喜んでくれるに違いない。私は藁にもすがる思いで、當時撮った寫真をいくつか選び、アルバムに入れて持って行くことにした。
【その他の寫真】
北京から上海への移動は高鉄(高速鉄道、日本で言えば新幹線)。上海の高鉄駅?虹橋駅に著いた。後は各自で母校に行く。私以外のほとんどの人は、2人組で母校に移動。交通大學留學生は私1人なので、1人で地下鉄に乗って交通大學駅へ。駅に著くと、中國版地図ナビの案內(nèi)でほどなく大學正門に到著。中に入った。大きな木が沢山茂る、まるで公園のような感じだった。
さて、ここからが問題だ。留學生弁公室は一體どこにあるのだろう?場所を聞こうと思ったが、ちょうど授業(yè)中なのか學生の姿があまり見えない。仕方なく、図書館と書かれた建物(寫真1右下參照)に入り、何人かの職員に聞いてみた。ところが、職員たちもあまり分からないらしく、擔當者に電話してみろと言う。私が「攜帯が無い」と言うと、そこの電話を使ってもいいからと言ってくれた。呉さんに繋がると、どうやら、弁公室はそこから遠いらしく、説明を聞いてもなかなか分からない。呉さんは「近くに來たらまた電話して」と言うが、攜帯がないのでどうしようもない。
結局、「先ず、食堂を探し、次に大禮堂を探し、その後に大禮堂の橫にある教一樓を探してください。弁公室は教一樓の103號室です」とのことだった。こうして、またあちこちで道や建物を聞きながらやっと呉さんの居場所にたどり著いた。北京から直接來たので、北京用のダウンコートを羽織っていた私は、著いた頃には汗びっしょりだった。
呉さんはなかなか感じの良い女性で、私を歓迎してくれ、顧さんの話をした。そして顧さんを呼びに行ってくれた。果たして、あの顧さんなんだろうか?私がドキドキして待っていると、見覚えのある小柄な男性が入って來た。少し貓背気味で、眼鏡をかけている。當時のままだ。違うのは、ほんの少し中年太りしたところかな。でも、あの時の気さくで親切そうな様子は全然変わっておらず、思わず33年の時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。
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