4文字の海を越えて、日本の四字熟語(yǔ)と中國(guó)の成語(yǔ)の深くて遠(yuǎn)い関係

邦人Navi    2025年4月6日(日) 14時(shí)0分

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日本語(yǔ)と中國(guó)語(yǔ)における漢字語(yǔ)には、親子あるいは兄弟のように似通った関係を持つものもあれば、まったく異なる系譜で獨(dú)自に発展した語(yǔ)彙も少なくない。寫(xiě)真は上海。

日本語(yǔ)と中國(guó)語(yǔ)における漢字語(yǔ)には、親子あるいは兄弟のように似通った関係を持つものもあれば、まったく異なる系譜で獨(dú)自に発展した語(yǔ)彙も少なくない。四字熟語(yǔ)と成語(yǔ)の関係もその一つで、表面的な共通點(diǎn)だけでは捉えきれない本質(zhì)的な違いが潛んでいる。

共通の起源、異なる発展

歴史的に見(jiàn)れば、日本語(yǔ)における文字のルーツは古代中國(guó)にあり、逆に近代以降の中國(guó)語(yǔ)に含まれる抽象語(yǔ)彙の一部は明治期の日本で生まれた和製漢語(yǔ)が逆輸入されたものだ。

日本語(yǔ)の四字熟語(yǔ)に関して言えば、その多くは中國(guó)古典──例えば「論語(yǔ)」「戦國(guó)策」「史記」など──から受け継がれたもので、明治以前の漢籍教育の影響は今もなお隨所に見(jiàn)られる。

現(xiàn)代では、成語(yǔ)は中國(guó)語(yǔ)において「現(xiàn)役の語(yǔ)彙」として日常會(huì)話からビジネス、政治演説に至るまで幅広く使われている。一方、日本語(yǔ)の四字熟語(yǔ)は使用範(fàn)囲が限定され、主に教養(yǎng)的?修辭的な場(chǎng)面で用いられることが多い。

同形異義の落とし穴

共通の起源を持つ以上、「溫故知新」「一日千里」のように日中で表記も意味も一致する語(yǔ)彙も多數(shù)存在する。そのため、學(xué)習(xí)者にとっては既視感を生かした語(yǔ)彙習(xí)得がしやすく、心理的なハードルを大きく下げる効果がある。

しかし注意したいのは、「同形異義」という落とし穴の存在だ。

例えば「一刀両斷」は、日本語(yǔ)では「思い切った決斷」を意味するが、中國(guó)語(yǔ)では「人間関係を斷ち切る」という冷厳なニュアンスが強(qiáng)い。また「落花流水」は、日本語(yǔ)では「男女の情愛(ài)」を象徴する詩(shī)的表現(xiàn)だが、中國(guó)語(yǔ)では「完敗する」という意味に用いられる。

似ているからこそ違いを楽しむ

こうした違いは、単に語(yǔ)義の誤解を招くリスクというより、言語(yǔ)と文化が交差する接點(diǎn)としての魅力でもある。例えば「花鳥(niǎo)風(fēng)月」は、日本獨(dú)自の自然美への感性を凝縮した室町時(shí)代生まれの表現(xiàn)で、中國(guó)には見(jiàn)られない日本的美意識(shí)を語(yǔ)る四字熟語(yǔ)だ。

さらに、明治以降の近代日本では、西洋概念を漢語(yǔ)で翻訳する際に「一石二鳥(niǎo)」(中國(guó)語(yǔ)では「一挙両得」)などの新しい四字熟語(yǔ)が創(chuàng)作され、和製漢語(yǔ)の発明という意味での表現(xiàn)文化も発展していった。

四字で物語(yǔ)を語(yǔ)る力、それは四字熟語(yǔ)と成語(yǔ)に共通する最大の魅力だ。表記が似ていても、そこに込められた意味、使われる場(chǎng)面、受け取られ方は異なることが多い。表面の一致だけで満足せず、違いも楽しむ遊び心と探究心を攜えて、日中の言語(yǔ)世界を橫斷する旅に出よう。(提供/邦人Navi)

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