大震災(zāi)から14年、福島を歩く=今も殘る津波と原発事故の傷跡

長(zhǎng)田浩一    2025年3月23日(日) 13時(shí)30分

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2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から14年たった。寫(xiě)真は福島第一原発。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から14年。3月半ば、福島県を訪れていわき市の津波の被災(zāi)現(xiàn)場(chǎng)と、史上最悪レベルの事故が起きた東京電力福島第一原子力発電所を見(jiàn)學(xué)した。確かな復(fù)興の歩みを確認(rèn)した一方で、震災(zāi)が遺したあまりにも大きい負(fù)のインパクトを改めて実感した旅となった。

その他の寫(xiě)真

「被災(zāi)者に原因があった」

「津波が來(lái)ることを分かっていながら住民が逃げなかった。(津波が來(lái)てもたいしたことはないと)高をくくっていた。被災(zāi)者自身に原因があった」―激しい言葉に、私たちはしばし沈黙した?,F(xiàn)在はきれいに整備されたいわき市の海岸沿いの道路で、震災(zāi)語(yǔ)り部の講話を聞いていた時(shí)のことだ。

福島県の震災(zāi)被害といえば、どうしても福島第一原発の事故を思い浮かべてしまうが、津波で亡くなった人も少なくない。いわき市では震災(zāi)で468人が死亡し(関連死含む)、このうち約300人は津波の被害者だという。

語(yǔ)り部の男性によれば、彼が住んでいた海沿いの集落では、地震が起きた後に多くの住民が海に様子を見(jiàn)に行ったという。巖手県の三陸海岸と違って、この地域は津波で大きな被害を受けた記憶がない。當(dāng)初3メートルの津波が予想されると報(bào)じられたこともあって、「津波は來(lái)るだろうが、堤防を越えることはない。どんな具合かちょっと見(jiàn)てみよう」くらいの気持ちだったのではないだろうか。実はこの男性も、海を見(jiàn)に行った。しかし、引き波で黒い海底が大きく露出しているのを見(jiàn)て、「これは大変だ、すごい津波が來(lái)る」と直感し、高臺(tái)に走ったのだという。そうしなかった人、あるいは逃げるのが遅れた人は、次々に波に飲みこまれた。

「被災(zāi)者に原因があった」との言葉は、亡くなった方々に対しては酷な指摘かもしれない。しかし、二度とこうした悲劇を起こしてはいけないとの強(qiáng)い願(yuàn)いから、津波の恐ろしさを十分に認(rèn)識(shí)していない首都圏などからの訪問(wèn)者に対し、あえて強(qiáng)い言葉を使ったのだろう。私たちはこの教訓(xùn)を忘れてはならない。

福島

防護(hù)服なしで1~3號(hào)機(jī)の前に立つ

福島第一原発の1、2、3號(hào)機(jī)を一望にできる高臺(tái)に立った時(shí)、私は言葉を失った。14年前、この3機(jī)で核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起き、さらに1、3、4號(hào)機(jī)では水素爆発が発生して原子爐建屋が大きく破壊された?!冈k周辺だけでなく、福島県、いや東日本すべてが放射能に汚染され、半永久的に居住不可能になるのではないか」との恐怖にとらわれたあの日の記憶がよみがえった。

幸い、いくつかの幸運(yùn)もあって最悪の事態(tài)は避けられ、いま、1~3號(hào)機(jī)からわずか80メートルの距離にある高臺(tái)に、防護(hù)服を著ることなく立つことができる。事故を起こしてしまった東電の責(zé)任は極めて重いが、放射性物質(zhì)のさらなる拡散や汚染水の発生を最小限にとどめ、廃爐に向けて作業(yè)を進(jìn)める関係者の努力には敬意を表したい。

とはいえ、廃爐の最大の難関といわれる燃料デブリ(原子爐內(nèi)で溶け落ちた核燃料が構(gòu)造物と混ざり合って固まった物質(zhì)。強(qiáng)烈な放射線を発し、1~3號(hào)機(jī)合計(jì)で880トンあるといわれる)の取り出しは、昨年試験的に0.7グラム採(cǎi)取されただけで、始まったばかり。東電は事故発生から40年、すなわち2051年までに廃爐を完了させるという目標(biāo)を公式には変えていないが、東電の関係者でさえ「メルトダウンが起きていない福島第二原発の廃爐にも40年かかる。福島第一の廃爐をあと26年で終えるというのは極めて高いハードルだ」と本音を漏らす。専門(mén)家の中には100年以上かかるという見(jiàn)方もあるとされ、1~3號(hào)機(jī)を眺めながら原発事故の過(guò)酷さを改めて実感する。

ところで、今回私は某新聞社が催行したツアーに參加して福島第一原発を見(jiàn)學(xué)したのだが、同原発の年間の見(jiàn)學(xué)者は1萬(wàn)8000人に上るという。私は説明役の東電社員の方に「この場(chǎng)に來(lái)て事故現(xiàn)場(chǎng)を見(jiàn)たら、原発はやはり危ないという印象を持つ人が多いと思う。それは柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を目指している東電にとってマイナスに働きかねないが、それにもかかわらず見(jiàn)學(xué)者を受け入れるのはなぜか」と、いささか意地悪な質(zhì)問(wèn)をしてしまった。彼はやや困った表情を見(jiàn)せつつも、「東電が安全に廃爐作業(yè)を進(jìn)めているところを見(jiàn)てもらいたい。隠れてこそこそやっているという印象を持たれるのが一番良くない」と答えた。その言や良し。東電にはぜひオープンな姿勢(shì)を続けてほしい。また、エネルギー問(wèn)題に関心のある方には、機(jī)會(huì)があればぜひ福島第一原発に足を運(yùn)び、事故現(xiàn)場(chǎng)を自分の目で見(jiàn)てほしいと願(yuàn)う。

中韓の原発の安全性にも注目

私個(gè)人としては、原発について、可能な限り依存度を低減し、遠(yuǎn)くない將來(lái)に廃止を目指すべきと考えている。その理由は三つ。一つは、萬(wàn)一の事故や、外部からの攻撃に遭った際のダメージが大きすぎること。次に、核兵器に転用可能な技術(shù)と物質(zhì)を扱っていること。そして、無(wú)害化までに10萬(wàn)年かかるという使用済み核燃料など、膨大な量の核のごみが発生し、將來(lái)世代に大変な負(fù)擔(dān)をかけることだ(原発を縮小する場(chǎng)合の代替策は、再生可能エネルギーの活用と省エネが柱になると考える。2022年1月19日付當(dāng)欄「レトロな太陽(yáng)熱給湯?暖房、再評(píng)価を!」、23年10月12日付當(dāng)欄「石油危機(jī)50年、再エネ拡大を」參照)。

とはいえ、現(xiàn)実問(wèn)題として、日本で、そして世界で原発は稼働している。ある資料によると、2024年1月時(shí)點(diǎn)で、世界全體で433機(jī)の原発が運(yùn)転中だ(運(yùn)転停止中を含む。以下同)。もっとも多いのは米國(guó)の93機(jī)、次いでフランスの56機(jī)。東アジアでは、中國(guó)55機(jī)、日本33機(jī)、韓國(guó)26機(jī)となっている。東電の関係者は、福島の事故を大きく上回る放射性物質(zhì)が排出されたチョルノービリ(チェルノブイリ)原発クラスの事故が東アジアで発生した場(chǎng)合、日本にも影響が及ぶ可能性があると認(rèn)めた。私たちは日本はもとより中國(guó)や韓國(guó)の原発の安全性にも関心を持つ必要がある。

さらに心配なのが、原発への人為的な攻撃だ。ロシアによるウクライナ侵攻では、両國(guó)はそれぞれ相手側(cè)が原発への攻撃を計(jì)畫(huà)していると非難している。日本でも、有事の場(chǎng)合は「原発銀座」と呼ばれる福井県の若狹灣沿岸が狙われると危懼する向きもある。

國(guó)の內(nèi)外を問(wèn)わず、原発の稼働にあたっては安全対策を最優(yōu)先してほしい。そして核関連施設(shè)への人為的な攻撃は絶対に許してはならない。當(dāng)たり前といえば當(dāng)たり前の話だが、今も事故の爪痕を殘す1~3號(hào)機(jī)を前にして、そんな感想を抱いた。

■筆者プロフィール:長(zhǎng)田浩一

1979年時(shí)事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長(zhǎng)などを歴任?,F(xiàn)在は文章を寄稿したり、地元自治體の市民大學(xué)で講師を務(wù)めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中國(guó)との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外國(guó)の地は北京空港でした。

※本コラムは筆者の個(gè)人的見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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