<日本人の忘れられない中國(guó)>萬(wàn)里の長(zhǎng)城で掲げた父の遺影

日本僑報(bào)社    2024年7月28日(日) 17時(shí)0分

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選んだのは北京コース。萬(wàn)里の長(zhǎng)城があったからだ。父が一生に一度でいいから行きたい、と言っていたのが萬(wàn)里の長(zhǎng)城。

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「會(huì)社の組合から船をチャーターして中國(guó)に行くけど一緒に參加しないか?」主人に言われ參加したのは今から13年前。橫浜から船に乗った。大きな船でよく迷子になった。日程は4月29日からの12日間。総勢(shì)416人で出港。北京、西安、桂林、九寒溝、四川省江油の五つのコースで、選んだのは北京コース。萬(wàn)里の長(zhǎng)城があったからだ。父が一生に一度でいいから行きたい、と言っていたのが萬(wàn)里の長(zhǎng)城。理由を聞くと宇宙から見(jiàn)える唯一の建造物だからと。

その他の寫(xiě)真

橫浜から天津港に上陸するまでの船內(nèi)で交流會(huì)の演し物の練習(xí)をした。メインイベントの人民大會(huì)堂での文蕓交流會(huì)のためだ。和太鼓、盆踴り、ハンドベル、合唱、よさこいソーランとあったが選んだのはハンドベル。音が綺麗で癒されるからだ。曲は「昴」と「第九」と「上を向いて歩こう」の3曲。31人で練習(xí)が始まった。初日の練習(xí)が終わったあと3曲は無(wú)理ではないかと講師の先生も參加者のみんなも感じた。勉強(qiáng)會(huì)や講演會(huì)を除いた時(shí)間を自主練習(xí)にあてた。

天津港に上陸した時(shí)は地元の小學(xué)生の音楽隊(duì)に出迎えられた。子供達(dá)が一生懸命練習(xí)してくれたと思うと胸が熱くなった。その後北京市の人民大會(huì)堂に入る。日本の國(guó)會(huì)議事堂、迎賓館に相當(dāng)する建物で壯大さに圧倒された。挨拶の後の盛大な干杯(かんぺい)で夕食晩餐會(huì)が始まる。豪華な料理が並ぶ。中國(guó)側(cè)の演目披露の素晴らしさで撮影會(huì)のようになる。ハンドベルの出番となる。會(huì)場(chǎng)の拍手で泣きそうになった。最後の長(zhǎng)野の盆踴りで日本側(cè)も中國(guó)側(cè)も會(huì)場(chǎng)に大きな踴りの輪ができた。

次の日からは各コースに分かれての観光。私達(dá)の北京コースの1日目は故宮見(jiàn)學(xué)から。黃金のように輝く故宮。大きさと重厚な作りに圧巻。次に行ったのは天檀公園。天の聲が聞こえるという園丘へ。日本でいう伊勢(shì)神宮のように人民に愛(ài)されて心の拠り所のような場(chǎng)所だとガイドさん。その後は王府井大街へ。デパートや多くのビルとお店と人で一杯だった。そこに行ったらぜひ買いたい、と思っていた中國(guó)の橫笛。文蕓交流會(huì)で聴いた中國(guó)の橫笛の音色に魅了されて吹いてみたくなった。

漢字で笛と書(shū)き見(jiàn)せると出してきてくれた。音階 指と書(shū)くと了解とばかりに吹いてくれた。笛子と膜穴に貼るものも買う。地元の獅子舞保存會(huì)で篠笛を吹いているのですぐ音が出せた。

次の日は西太后が作らせた公園の頤和園に。向こう岸が見(jiàn)えないくらい広い湖は人の手によって掘らせたものだった。昔の権力者の偉大さを感じる。人工の湖を抜ける5月の風(fēng)が心地よい。西太后が見(jiàn)ていた風(fēng)景を自分も見(jiàn)ている事に感動(dòng)する。午後はオリンピック公園。鳥(niǎo)の巣と呼ばれるスタジアムは巨大だった。

凧を売っていて青い空に上がっていた。広いオリンピック公園を思い出す時(shí)はいつもあの凧がセットで出てくる。

最終日は萬(wàn)里の長(zhǎng)城。男坂と女坂があり男坂を選ぶ。急な坂で「ああしんどい?!工妊预い胜榈扦搿!袱袱丹髞?lái)たよ。一度でいいから行きたいと言ってね?!工雀袱芜z影を景色の良い場(chǎng)所で見(jiàn)えるように掲げる。少しだけ親孝行ができた気がした。斜面には桜が咲いていた。海に囲まれている日本と違い陸続きの大陸での領(lǐng)地爭(zhēng)いは大変だったろうと思いを馳せた。

観光バスの団體行動(dòng)の他に主人と朝早くに起きて地下鉄で北京市內(nèi)の湖を見(jiàn)に行った。湖のほとりで市民が太極拳や足で蹴るバトミントンみたい競(jìng)技をしていた。自由に使える運(yùn)動(dòng)器具もありやってみたが使い方が分からずにいると近くにいる人が手本を示してくれた?!钢x謝」と言うと、「いいよいいよ」と手をひらひらさせてくれた。

半日だけ自由行動(dòng)がありホテルから地下鉄で北京動(dòng)物園に行った。パンダが見(jiàn)たかったからだ。パンダ舎に行くと大人のパンダの他に子供のパンダ3頭が戯れあって遊んでいた。何をしていてもこの世のものとは思えない可愛(ài)さだった。広い園內(nèi)は緑と花が綺麗で空気が澄んでいた。親子連れが動(dòng)物園を楽しんでいる様子は心が和んだ。お土産に小さなパンダのぬいぐるみを買った。

帰りの船の中でハンドベルの講師の先生のコンサートがあった。ハンドベルの31人の仲間も一緒にステージに立った人民大會(huì)堂で演奏した「上を向いて歩こう」の時(shí)に「できるまで頑張りましょう?!工刃肖未沃肖蔷毩?xí)した時(shí)間と楽しかった北京旅行を思いだす。専業(yè)主婦の私は日本に帰ったら毎日同じ事の繰り返しの日常が待っている。主人と子供達(dá)のお弁當(dāng)を作る。洗濯をして掃除して乾いた服を畳んで食料の買い物に行って夕方になると主人の両親と子供3人の7人分の食事を作って洗ってお風(fēng)呂に入るとあっという間に1日が終わる。

スケールの大きさに圧倒された北京。自分のためだけの時(shí)間はキラキラした寶石のような時(shí)間だった。楽しかった思い出は深く濃く心に刻まれた。気がつくと涙がこぼれないように上を向いてハンドベルを演奏していた。

■原題:北京の思い出

■執(zhí)筆者プロフィール:坂井 和代(さかい かずよ)

石川県生まれ。24歳で結(jié)婚。主婦。趣味は公募と旅行とオカリナ。

※本文は、第6回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中國(guó)と私」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2023年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

忘れられない中國(guó)

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