戦後日本のアニメの発展とその役割―中國専門家

Record China    2024年7月21日(日) 11時30分

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13日、中國メディアの文化縦橫は、戦後日本のアニメの発展とその役割について紹介する記事を掲載した。資料寫真。

2024年7月13日、中國メディアの文化縦橫は、戦後日本のアニメの発展とその役割について紹介する記事を掲載した。

記事は、「日本のアニメやその派生文化であるACGがますます注目を集めている。しかし數(shù)十年前には、アニメは日本國內(nèi)で疑問視されることの多いマイナーな文化だった。それが今日では年齢や地域を超えて世界中で愛され、日本の國家イメージを支える戦略としてまで認知されるようになったのはなぜだろうか」とし、華東師範(fàn)大學(xué)副教授の潘妮妮(パン?ニーニー)氏の見解を紹介した。

「蕓術(shù)作品には時に、創(chuàng)作者が現(xiàn)実社會を意識的または無意識に映し出している場合があるが、國家が意図的に利用することもある。では、蕓術(shù)家とその國との関係はどのようなものか?」という質(zhì)問に対し、潘氏は「蕓術(shù)家と政府の関係は、単純な二者関係ではなく、重なり合った関係で、その間には大衆(zhòng)が存在する。したがって、これは三者関係といえるだろう。例えば、手塚治蟲氏の多くの作品は批判的な要素が含まれている。特に『火の鳥』や『奇子』『メトロポリス』などは何かを風(fēng)刺しようという意図が明確だ。しかし、ここで重要なのは、影響力の大きい蕓術(shù)家の作品は、まず人々に見られなければならないということ。つまり、誰かがそれを広めたいと思うことが重要なため、大衆(zhòng)の受け入れやすさやテレビ局のような大衆(zhòng)メディアの受け入れやすさ、アニメの投資家の受け入れやすさを考慮する必要がある。したがって、蕓術(shù)家は必ず何らかの調(diào)整を行い、完全に自分勝手に創(chuàng)作することはできない」と説明した。

次に、「漫畫という蕓術(shù)形式は主に少年少女を?qū)澫螭趣筏皮い毪?、なぜ日本の漫畫にはしばしば大人向けの哲學(xué)的思考が見られるのか?」との質(zhì)問に対しては、「漫畫は視覚的で理解しやすい表現(xiàn)方法であるため、基本的には子どもや未成年を?qū)澫螭趣筏皮い搿¥蓼渴謮V氏ら漫畫家は、戦後の日本が精神的に打ちのめされていると感じ、その狀況を改善するために、未來を擔(dān)う子どもたちに対して良い影響を與えるべく、漫畫に深い哲學(xué)的な內(nèi)容や希望を込めようとした」と紹介した。

「日本のアニメと米國のアニメの蕓術(shù)性や精神性にはどのような違いがあるか?」との質(zhì)問については、「アニメという動的な畫面表現(xiàn)の蕓術(shù)形式は西洋で最初に登場した。第2次世界大戦中には、戦爭に関する漫畫を大量に制作し、士気を鼓舞した。戦後、駐日米軍が持ち込んだ大量の漫畫が日本の子どもたちの精神的な糧となり、それが戦後の漫畫出版ブームを引き起こした。戦後の日本アニメは米國を手本としていたため、當(dāng)時の主流は米國や歐州の作品をまねたり、再構(gòu)成したりしたものが多く、手塚氏のような思想性の強い漫畫は少數(shù)派だった。しかし、次第に日本の漫畫は獨立し、より動的な表現(xiàn)を重視してコマ割りや畫面構(gòu)成に獨自性を持ち始めた。その結(jié)果、日本のアニメはディズニーのモデルやソ連のスタイルを取り入れつつも、獨自のスタイルを生み出したのだ」と述べた。

「アニメはどの國にもあるが、日本は特に高い地位を持ち、非常に成熟した産業(yè)となっている。どのような社會的地盤が日本のアニメ産業(yè)の繁栄を促進したのか?」との質(zhì)問には、「日本のアニメ産業(yè)が本當(dāng)に強いかどうかは議論の余地がある。アニメは多くの収益を上げているが、制作に攜わる人々の報酬は非常に低い。これは、日本のアニメ産業(yè)が強力である一方で、獨立した産業(yè)としては米國ほど整っていないことを示している。しかし、アニメ文化としては、手塚氏の功績は非常に大きい。アニメはもともと子どもや比較的教育水準が低い人々を?qū)澫螭趣筏皮い郡?、手塚氏をはじめとする制作者たちは、アニメを真剣な文學(xué)と同等のものとして発展させ、米國にはない社會に影響を與えようという強い意識を持っていた。その結(jié)果、日本のアニメは非常に豊かな精神世界を持ち、日本を代表する文化となった」と回答した。

日本アニメ

「未來の日本アニメはどのような特徴を持つと考えるか?」との質(zhì)問には、「今やアニメはますます社會から注目されている。現(xiàn)在、日本がプロモーションを行う際や、選挙や外交の際にも、アニメの要素を取り入れることが多く、『クールジャパン』戦略も社會がアニメ文化に対して非常に関心を持っていることを示している。しかし、一般的な文化発展の規(guī)則から見ると、このような主流化はある意味で、アニメが本來持っていた性質(zhì)が薄れていくことを意味する。オタクという概念も現(xiàn)在の時代において大きな変遷を遂げていて、かつて彼らは引きこもりで社會と接觸しない人々だったが、現(xiàn)在のオタクはむしろネットネイティブとしての必然的な形態(tài)となり、文化をリードする存在となっている」と述べた。

「かつて、いくつかの傑作日本アニメと當(dāng)時の社會雰囲気との関係を分析したことがあるが、中國アニメには同様の分析ができる傑作はあるか?」との質(zhì)問については、「私は、中國アニメと日本アニメは異なると考える。日本アニメは戦後日本社會の時代の鼓動と緊密に関連しているが、これは他の國では見られないものだ。中國アニメの文化の発展は、経済消費の繁栄に伴っており、日本とは完全に異なっている。したがって、中國アニメの創(chuàng)作は緊張感がなく、個人的なものが多いと思う」と論じた。

「日本の対外イメージの構(gòu)築は、外國人が持つ日本のイメージに非常に関心を寄せているため、日本の対外イメージは非常に柔軟であり、場合によっては柔軟すぎるとも言える。日本は、自國の文化を再構(gòu)成したり、新たな解釈を加えたりして、対外イメージを作り上げているが、この柔軟性は日本文化の內(nèi)部にしっかりした核がないという見方と関係しているのか?」との質(zhì)問には、「日本のように長い間國家の形態(tài)として存在している文化は、客観的に見て確かに獨自の核があると考える。しかし、その核が何であるかについては、私の現(xiàn)在の能力では斷言できないが、一般的な観點から言えば、それは確かに存在していると思う。近代の日本がなぜこれほどまでに柔軟であったかについては、近代化政策と関連している。明治維新の當(dāng)初から、日本は條約を修正し、西洋と交渉して不平等條約を廃止し、獨自の近代化の道を歩むことを望んでいたため、必然的にイメージの構(gòu)築が必要とされた。このようにして、日本が対外文化を輸出する際には、自分たちがいかに無害で、平和で、西洋の文化を取り入れようとしているかを強調(diào)することになる。これが西洋人に『日本には文化の核がない』と思わせた原因の一つかもしれない」とした。

「日本の対外イメージの構(gòu)築の経験は、中國にどのような教訓(xùn)を與えるか?」との質(zhì)問には、「日本の経験は、われわれ中國に非常に強い示唆を與えている。それは、対外イメージを設(shè)計する際には、まず自分の立場を確定し、自分が何者であるかを明確にすること。これはかつての日本の文化輸出において非常に明確だった點だ。対外イメージが非常に柔軟であるように見えても、その立場が正しいかどうかは別として、彼らはこの點をしっかりと考え抜いていた」と述べた。(翻訳?編集/巖田)

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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