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全日本空輸は日中國交正?;郧挨楗隶悌`ター便を通じて日中の友好交流に取り組んできた。寫真は北京の空港。
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日本最大の航空會社である全日本空輸(ANA)は、岡崎嘉平太2代目社長の下、1972年の日中國交正?;郧挨楗隶悌`ター便を通じて日中の友好交流に取り組んできた。岡崎氏の通訳として30回以上の訪中に同行し、岡崎氏を師と仰いでいた朱金諾氏は、26年前に全日空に入社した。岡崎氏から朱氏へと2世代にわたって日中友好のバトンを受け継ぎ、日本と中國を結(jié)ぶ空の架け橋として、今日まで日中交流に盡力し続けている。
【その他の寫真】
1972年、田中角栄首相の北京訪問に先立ち、周恩來首相は日中國交正?;蜃¥Ρ本─扦螄绀?、自分の名前で日本の友人を招待することを特別に指示した。この招待者は全日空の2代目社長、岡崎嘉平太氏だ。岡崎氏は全日空の創(chuàng)業(yè)者の一人として、今日に至るまでの事業(yè)発展の基礎(chǔ)を築いただけでなく、日中友好に生涯を捧げ、日中の國交正?;?、経済貿(mào)易交流に大きく貢獻(xiàn)した人物として知られている。周恩來首相と18回も謁見し、周首相から「日中友好の井戸を掘った功労者」と稱賛された。
1962年、岡崎氏は自民黨顧問の松村謙三氏の訪中に同行し、日中総合貿(mào)易に関する覚書の交渉にも參加した。同年11月9日、中國側(cè)代表の廖承志中日友好協(xié)會會長と日本側(cè)代表の高碕達(dá)之助氏の間で「日中長期総合貿(mào)易に関する覚書」が調(diào)印された(LT貿(mào)易)。高碕氏の死後、1964年から1974年まで岡崎氏がLT貿(mào)易の日本側(cè)代表世話人となった。その後、1964年4月20日、廖承志氏と松村謙三氏は北京で日中両國間における貿(mào)易事務(wù)所の相互設(shè)置と常駐記者交換に関する覚書に調(diào)印した。これにより日中貿(mào)易関係が民間の関係から半官半民の関係へと発展することが実現(xiàn)し、戦後の日中関係史でも畫期的な意義を持つ出來事となった。
1972年の日中國交正?;?、日中覚書貿(mào)易は歴史的使命を終えたものの、岡崎氏は日中間の経済貿(mào)易協(xié)力を継続するため、日中経済協(xié)會の設(shè)立を提案した。日中経済協(xié)會は日中友好7団體の一つとして、今日においても日中間の経済?貿(mào)易の交流や発展に大きな役割を擔(dān)っている。
日中國交正?;?年後の1974年に日中航空協(xié)定が締結(jié)された。當(dāng)時は國の持ち株會社である日本航空のみ日中間の定期便路線を就航していた。そのような中、周恩來首相は「岡崎先生は日中國交正?;硕啻螭胜胴暙I(xiàn)をした。岡崎先生が設(shè)立した全日空に相応しい地位を與えるべき」と明確に指示した。中國側(cè)の配慮の下、全日空は當(dāng)時、日中間のチャーター便を數(shù)多く就航していた。
1986年12月、中國民用航空局と各界の支援により、全日空は東京から大連?北京への定期便の就航許可を取得した。中國民航局の特別配慮により、岡崎氏の90歳の誕生日である1987年4月16日に念願の中國就航が実現(xiàn)した。この日、岡崎氏は就航初便に搭乗し、大連経由で北京に向かい、人民大會堂で開かれた就航記念式典で原稿なしで30分スピーチを行った。周恩來総理との約束をようやく果たせたことを報(bào)告し、周総理と中國政府への感謝の気持ちと、全日空で働く社員一同で今後日中友好とアジアの繁栄に貢獻(xiàn)してほしいと述べた。
全日空は新型コロナウイルス感染癥流行前においては、中國10都市に就航、旅客便週178便を運(yùn)航しており、年間約260萬人の中國人および外國人旅客が全日空を利用し訪日した。この數(shù)字は日中間の往來人數(shù)の約25%を占め、両國の経済?貿(mào)易?観光交流に大きく貢獻(xiàn)し続けている。
岡崎氏は1962年から1989年まで約100回中國を訪れ、チベット自治區(qū)と青海省を除く中國全土を巡った。岡崎氏の訪中には隨行する通訳?スタッフが多數(shù)いたが、1978年から30回以上にわたりこの役目を擔(dān)ってきたのが朱金諾氏だ。
朱氏は北京外國語大學(xué)で日本語を?qū)煿イ筏皮い侩HにLT貿(mào)易のことを知り、當(dāng)時から岡崎氏のことを尊敬していた。その後、岡崎氏の通訳として間近で仕事をする中で、そのひたむきさと日中友好への強(qiáng)い信念に深く感銘を受けた。岡崎氏は、アジアの大國である中國と日本はアジアの未來と繁栄のために協(xié)力すべきであり、中國と日本は末永く友好的でなければならないと常に考えていた。明治30年生まれの岡崎氏は中國の古典や歴史にも造詣が深く、中國訪問の際によく中國の故事やことわざを引用してあいさつしていたことも印象に殘っているという。
岡崎氏は日中友好のためにその生涯を捧げた。當(dāng)時、LT貿(mào)易の覚書は定期的に更新する必要があったが、日本から中國への直行便はなく、香港経由で往復(fù)1週間ほどかかることがネックだった。また、日本の右翼団體が日中國交正?;朔磳潳?、岡崎氏の自宅に投石や銃弾で威嚇する者もいた。それでも身の危険を顧みず、日中関係の発展のために盡力した岡崎氏は偉大なる人物といえるだろう。
1997年6月、岡崎氏の訪中通訳として30回以上隨行した朱金諾氏が全日空に入社した。これは全日空にとって初めての外國人社員採用だ。朱氏は全日空入社まで、中國國際旅行社総社(CITS?JAPAN)日本法人の副社長を務(wù)めていた。日系企業(yè)から數(shù)々のオファーを受けていたが、生前の岡崎氏との約束を果たすため、全日空への入社を決めた。
旅行業(yè)界における豊富な経験を持ち、中國の政策や市場に精通している朱氏は、長年にわたり経営陣に向けて適切な助言を行ってきた。全日空は中國路線拡大のために、1999年から毎年中國人スタッフを採用するようになった。朱氏は岡崎氏の遺志を受け継ぎ、ANAと中國との交流?発展に寄與することを目的に、2004年に當(dāng)時の大橋社長の賛同を得て、社內(nèi)で中國人社員會「嘉華會」を発足した。會員は現(xiàn)在63人に上る。朱氏は代表世話人として、しばしば會社の経営トップを招き、中國に関する勉強(qiáng)會や中國路線の販売に関するアイデアを披露するなど、全日空の経営幹部とのつながりを持つ草の根交流のキーマンとして好評を博している。また、全日空が中國新規(guī)路線を就航するたびに、朱氏は日中雙方のメディア関係者を招待し、就航都市を取材するなど、相互理解を深めることにも貢獻(xiàn)している。
このように中國路線のネックワーク拡大と中國擔(dān)當(dāng)業(yè)務(wù)に大きく貢獻(xiàn)したことが評価され、朱氏は2021年3月に「2020年東京オリンピック?パラリンピック」の全日空スポンサー代表として推薦され、東京オリンピックの聖火リレーに唯一の中國人として參加した。朱氏は「全日空の一員として聖火ランナーを務(wù)めたことは、大変な名譽(yù)です。この一生に一度の貴重な経験は、生涯忘れることができないでしょう。この名譽(yù)は私だけではなく、嘉華會を含めたすべての外國人社員へのエールにもなります」と語った。
2022年は日中國交正?;?0周年を迎えた記念すべき年。岡崎氏の生涯の日中友好への貢獻(xiàn)と偉業(yè)をより多くの人に知ってもらうため、朱氏は東京の中國文化センターで「日中國交正?;?0周年記念―歴史の記憶を甦る―日中50年民間友好使者回顧展」を企畫し、その記念開幕式の場で主催者代表として日中友好の井戸を掘った岡崎氏と中國のエピソードを紹介した。
朱氏は「50年前に日中両國が國交正常化できたのは、長年民間交流の促進(jìn)をしたことがきっかけであったのは間違いない。岡崎先生の遺志を受け継ぎ、日中間の人的交流、特に草の根の民間交流をさらに促進(jìn)することは私たちの責(zé)務(wù)であり、今後、初心に戻り、若い世代の交流にもっと力を入れるべきだ」と述べた。
昨今の日中関係が楽観視できない現(xiàn)狀の中、朱氏は次の三つの視點(diǎn)から日中関係を見直す時期に來ているのではないかと考えている。
一つ目は大同につき小異を殘すこと(求大同存小異)。日中両國は社會制度やイデオロギーが異なり、中國脅威論や臺灣問題などの論議を呼ぶ問題が殘されている。まずは50年前の日中國交正?;卧c(diǎn)に立ち返り、「日中共同聲明」「日中平和友好條約」などの両國政府の共通認(rèn)識に基づき、これらの問題を適切に対応することが一番大事だということだ。
二つ目は「未來志向」。日本も中國も過去にとらわれ続けていたら前に進(jìn)むことは難しい。日中関係のより良い発展のため、アジアの繁栄や日中の將來のために、何をすべきかを常に大局の観點(diǎn)で、引っ越しのできない「永遠(yuǎn)の隣人」として成熟した日中関係を考えるべきだろう。
三つ目は「溫故知新」という言葉の通り、過去から學(xué)ぶことだ。2000年に及ぶ両國の友好往來の歴史や日中國交正常化の物語をより多くの若い世代に知ってもらえるよう努力するべきだ。
朱氏は、「私はこれから第二の人生を迎えるが、岡崎先生の薫陶を受け賜った門下生として、これからも日中の架け橋となり、両國の民間交流促進(jìn)に微力ながら引き続き貢獻(xiàn)していきたい」と締めくくった。(提供/日中文化交流誌「和華」?編集/藤井)
【朱金諾氏プロフィール】
全日本空輸株式會社中國室 常任理事
1977年 北京外國語大學(xué)アジア?アフリカ言語學(xué)部卒業(yè)(日本語専攻)
1977年 中國旅行遊覧事業(yè)管理総局勤務(wù)
1989年 中國國際旅行社総社日本法人副社長、社長代行
1997年 全日本空輸入社 現(xiàn)在に至る
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