<日本人の忘れられない中國(guó)>「差別されるのではないか」その不安は幻想だった

日本僑報(bào)社    2024年3月17日(日) 15時(shí)40分

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キャノンの一眼レフカメラを自分の正面に設(shè)置し、そのレンズに向かって中國(guó)と日本の文化の違いについて話してみました。

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私は大學(xué)時(shí)代に獨(dú)學(xué)で中國(guó)語を?qū)Wび始め、大學(xué)を卒業(yè)した2017年には、かねてから訪れてみたいと考えていた中國(guó)の深圳での滯在を決斷しました。

その他の寫真

深圳は過去30年間で急速に発展し、今もなお成長(zhǎng)し続ける勢(shì)いのある都市です。深圳で働く人々のエネルギーは街全體にも浸透していて、常に新しい発見や驚きと出會(huì)う日々を過ごしていました。

このように発展のスピードが早い深圳で暮らしていく中で、私は特別な価値観に出會(huì)いました。それは、新しいことでも「とりあえず試してみる」という姿勢(shì)です。

成功するのか、失敗するのかは挑戦するまで分からないし、上手くいったら継続しながらより良くしていこう、仮にもし失敗したら別の方法を試せばいい。この大らかで自由な価値観は私にとってはとても斬新で、この街が勢(shì)いを増しながら発展していく理由は、きっとここにあるのではないかと感じました。この価値観に気がついた時(shí)、私は中國(guó)ではどんなことでも自分の気持ちに正直に向き合い、何でも挑戦して良いのだと勇気をもらえた気がしました。

私は現(xiàn)地の映像製作會(huì)社に入社し、動(dòng)畫編集や撮影のサポート業(yè)務(wù)などを行うことになりました。様々な映像製作の業(yè)務(wù)を通じて、私はあるアイデアを思いつきました。それは、中國(guó)での生活や興味深い出來事を映像に収め、日本人の視點(diǎn)から発信するということでした。當(dāng)時(shí)、そのようなコンテンツはインターネット上にほとんど存在しなかったため、ますます挑戦したい気持ちが高まりました。

私は中國(guó)で暮らしているという貴重な機(jī)會(huì)を活かし、難しいことは考えず「とりあえず挑戦してみよう」という気持ちになりました。キャノンの一眼レフカメラを自分の正面に設(shè)置し、そのレンズに向かって中國(guó)と日本の文化の違いについて話してみました。

最初は自宅で撮影をしていましたが、動(dòng)畫の投稿を続けていくうちに徐々に注目を得るようになり、旅行Vlogを撮影したり、各地の郷土料理や日本では見たことがない食べ物にも挑戦したり、様々な都市の観光名所を訪れたりすることもできるようになりました。

そしてそれらを、自分自身のリアクションとともに動(dòng)畫に収めて発信しました。これらのコンテンツは日本と中國(guó)の価値観や文化の違いを伝える役割も果たし、かなりの反響を得ることができました。とある動(dòng)畫の再生回?cái)?shù)が250萬回を突破してからは、より多くのファンの方とコミュニケーションをとったり、映像編集のスキルだけでなく、中國(guó)のインターネットやSNS上の文化についても徐々に理解を深めることができました。

実は中國(guó)へ行く前に、心のどこかで「日本人として差別されるのではないか」という不安を抱いていた時(shí)期がありました。しかし実際に日常の中に溶け込んでみると、私の抱いていた不安は幻想だったのだと気がつきました?,F(xiàn)地の人々は、第一印象が荒っぽく見えることもありましたが、私が困っている時(shí)には助けてくれたり、わずかな中國(guó)語しか話せなくてもコミュニケーションを図ろうとしてくれる人が多くいました。これらの経験は、私の予想を覆すものでした。

しかし、インターネットで活動(dòng)を始めてフォロワーが増えるにつれ、日本と中國(guó)の歴史をめぐる複雑な議論も避けられなくなりました。コメント欄で歴史について言及するユーザーも徐々に現(xiàn)れ、時(shí)にはあまり嬉しくないコメントもありました。しかし、そうした狀況でも、多くのファンの方が味方となってくれました。彼らは勵(lì)ましの言葉を私に送ってくれたり、差別的なコメントに立ち向かってくれました。その時(shí)、國(guó)境を超えて多くの方に支えられていることへの深い感謝と、こうした行動(dòng)をとってくれる素?cái)长市膜虺证盲骏榨ˉ螭畏健─颏趣皮庹Fりに感じました。

これらの経験を通じて、日本と中國(guó)の間には確かに歴史的な問題が存在し、その影響は無視し難いことを理解しました。しかしながら、出身地だけで差別することがクールだとは思われていない現(xiàn)狀や、新たに浸透している価値観があるということも実感しました。そして同時(shí)に、私たちはインターネット上でも新たな行動(dòng)規(guī)範(fàn)や文化を築き上げているのだと感じました。こうした私の中國(guó)での體験は、時(shí)代に合った友好関係の形成の仕方があることや、相互理解をしようと努める姿勢(shì)とコミュニケーションの重要性を再確認(rèn)させてくれました。

過去の歴史に縛られることなく、未來に向けて手を取り合い、歩みを進(jìn)めるために、これからも私は中國(guó)の様々な地域の方と、より深い相互理解を追求していくことができればと考えています。また、その過程で日本と中國(guó)の間に新たな友好の形を見出し、より多くの人々にそれを伝えていきたいと思います。

■原題:中國(guó)で學(xué)んだ価値観

■執(zhí)筆者プロフィール:飯岡 美沙(いいおか みさ)會(huì)社員 福島県生まれ。Oxford Brookes大學(xué)卒業(yè)後、中國(guó)?深圳市に移住。主に映像制作業(yè)務(wù)に従事。滯在期間中に自身も中國(guó)のSNSプラットフォームにて日常や旅行の記録、文化の違いなどについて発信。當(dāng)時(shí)の総フォロワー數(shù)は16萬人。現(xiàn)在は帰國(guó)し東京都に在住。帰國(guó)後も中國(guó)語學(xué)習(xí)継続及び様々なSNSプラットフォームにてトレンドを発信をしながら、新たな日中友好の形を模索する。

※本文は、第6回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中國(guó)と私」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2023年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

第6回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中國(guó)と私」

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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