<日本人の忘れられない中國>広場ダンスに參加した私を見て、ほかの參加者は目を丸くしていた

日本僑報社    2024年1月3日(水) 23時0分

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中國に來て以來、興味関心を持っていることの一つに広場ダンスがある。寫真は中國の広場ダンス全國大會。

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外國人教師として中國に赴任して12年がたった。中國に來て以來、興味関心を持っていることの一つに広場ダンスがある。

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2010年、かつて勤めていた大學(xué)內(nèi)で初めて広場ダンスを見た。早朝から大音量で軽快な音楽が流れ、その音楽に合わせて踴っている方々がいた。それは朝8時頃から始まり、ダンスサークルではなく、近隣住民の集まりであるかのように見えた。遠(yuǎn)くからその様子を見ているだけの人もいたが、ダンス好きであることが暗黙の參加條件のようだった。誰かがスピーカーを持參し、音楽が流れ始めたらどこからともなく近隣住民が集まって來る。この「音楽が流れ始めたら」というのが、まるで目覚まし時計であるかのように、音楽が人々を行動へと移す合図であるかのように感じられた。人々に「朝が來た。動かなければ!」と思わせる音楽、それが広場ダンス特有の音楽だろう。大音量で音楽が流れる理由も、このことから何となく理解できる。輪に入って踴るだけという、誰でも參加しやすい形式。この參加の気軽さが人々に受け入れられているのかもしれない。

ダンスと言えば「社交ダンス」、「ストリートダンス」などを思い浮かべるが、中國の広場ダンスは若者のダンスとはまったく異なり、獨特な動作が多い。中高年の女性が參加しており、若者の姿は皆無に等しい。參加者は幼稚園や小學(xué)校に通う孫がいる50~70代の女性がほとんどであり、悪天候の日を除き、たいていいつも同じ場所、同じ時間帯に「広場で」ダンスが行われ、顔ぶれは日によってさまざまだ。中國の風(fēng)物詩ともいえる広場ダンス、なぜ若者は參加しないのだろうか。若者は練習(xí)を他人に見られるのが好きではない。逆に、中高年の方々は肝が據(jù)わっており、他人の目を気にせず踴っている。また上手下手を問わず、「見せる?披露する」ことにあまり抵抗がないようだ。この點が若者と感覚が違うと思われる。

若者が參加したがらない理由が他にあるのだろうかという好奇心と、何事も體験あるのみという気持ちから、私は數(shù)年前、地區(qū)の広場ダンスに參加した。外國人が近隣住民の輪に入るのは勇気がいる。周りの目が気になっただけでなく、さらに緊張も加わった。広場ダンス初體験である私は最後列で、最前列のリーダーの動作を見よう見まねで踴った。他の參加者はすでにダンスに慣れていて、振り付けを覚えていた。私は常にワンテンポ遅れていたため、そのみっともなさと観衆(zhòng)の視線で、とにかく恥ずかしかった。しかし、小刻みのステップ、腕を上下左右へと動かしたり、腰を少し曲げたりするなど、動作は基本的に易しく、數(shù)回練習(xí)すれば形になりそうな覚えやすい動作が多かった。アップテンポの歌に合わせて踴る時もあれば、スローテンポの歌で人々に非常に優(yōu)雅な印象を與える踴りもあった。

參加初日、後ろを振り返ったダンス參加者が私を見て、目を丸くしていたのを今でもはっきりと覚えている。その方は私を見て「広場ダンスに參加するような年齢ではない」と感じたのだろう。私はそれを百も承知で敢えて參加したのだ。その方が私をダンス參加者に紹介してくれて、私は中高年の知り合いが非常に増えた。まさかこんな広場で大聲で自己紹介をすることになるとは思いもしなかった。中高年の方々は自分の娘と同世代の私を見て、ずいぶんかわいがってくれた?!袱达垽鲜长伽郡韦埂钢袊抢Г盲皮い毪长趣悉胜い工胜?、私の生活面まで心配してくれた。自分の周りにはこんなに気に掛けてくれる人がいるという安心感で満たされ、広場ダンスを通じていろいろな話ができる知り合いができたことがうれしかった。

日本のラジオ體操の動作は全國共通。それに対して広場ダンスは創(chuàng)意工夫で、踴り方は無限にある。また、小道具を使ったり、全員同じ衣裝で踴ったりしている団體があるのも魅力的である。また、広場ダンスの大會も行われている。テレビで各地區(qū)の代表団體が獨自の踴り方で、獨自の衣裝を身に纏い大會に臨んでいるのを見た。地區(qū)での楽しみの一つである広場ダンスが、徐々に勝負(fù)にこだわる広場ダンスへと変化する。たとえ大會に出場しなくても、多世代が集まり、振り付けを教え合いながら楽しく交流できる、これが広場ダンスの魅力であるのではないだろうか。

近所付き合いの希薄化が問題になっている現(xiàn)在、「広場」はまさに絶好の社交場だと言える。広場ダンスへの參加がきっかけで、私は近所の八百屋や飲食店へ行くたびに「広場ダンスに參加する外國人」という名で聲を掛けられるようになり、言葉の壁があっても世代が違っても楽しく交流できる広場ダンスの素晴らしさを?qū)g感した。交流の種は大小を問わず身の回りに多數(shù)存在している。それを一つずつ拾い集めれば、いつか自分にとって大きな収穫につながるに違いない。今後も多世代交流、異文化交流を楽しみ、自分の目に映った中國の魅力を多くの方に伝えていけたらと思う。

■原題:多世代交流を育む広場

■執(zhí)筆者プロフィール:橫山 明子(よこやま あきこ)

2010年、中國湖南省吉首大學(xué)外國語學(xué)院、2011年、吉首大學(xué)張家界學(xué)院で日本語會話や作文、日本概況の授業(yè)を擔(dān)當(dāng)。2014年より湖南外國語職業(yè)學(xué)院東方語言學(xué)院応用日本語科教員。

※本文は、第5回忘れられない中國滯在エピソード「驚きの連続だった中國滯在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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