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中國を代表する高級(jí)車ブランドの「紅旗」だが、その歴史は紆余曲折に富んだものだった。一時(shí)は「落ちこぼれ自動(dòng)車」になってしまった「紅旗」だが、現(xiàn)在では見事に復(fù)活を遂げたという。
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自動(dòng)車?特に乗用車は?國の工業(yè)力が如実に反映される製品とされる?部品の種類が極めて多く?さらにその部品を作るための素材についても高度な技術(shù)水準(zhǔn)が要求されるからだ?中華人民共和國で初めて乗用車が製造されたのは1958年だった?その時(shí)代から現(xiàn)在まで続くブランドが紅旗だ?紅旗の歴史は順風(fēng)満帆ではなかった?しかし紅旗は復(fù)活し?高級(jí)車としての地位を回復(fù)させた?紅旗を製造する中國第一汽車集団(以下、一汽)系列の販売會(huì)社で働く潘成氏は、約20年間も紅旗関連の資料を収集?整理してきたことで、現(xiàn)在では「紅旗のことなら潘成氏に聞け」と言われる存在だ。潘氏はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、紅旗の特徴やその歴史を紹介した。以下は潘氏の言葉に若干の情報(bào)を追加することも含めて。再構(gòu)成した文章だ。
【その他の寫真】
紅旗の歴史は1958年に始まった。ただし紅旗は中華人民共和國で初めて製造された乗用車ではない。紅旗が完成したのは8月で、約3カ月前の5月には「東風(fēng)」いう乗用車が完成していた。東風(fēng)と紅旗は、いずれも一汽が開発を手掛けた。東風(fēng)汽車集団という自動(dòng)車メーカーがあるが、この會(huì)社は中國で2番目の自動(dòng)車會(huì)社として64年に設(shè)立された會(huì)社だ。
紅旗と東風(fēng)は中國中央の指令によって開発が始まった。中央は59年10月1日の建國10周年の式典に自國製の乗用車を使おうと考えたからだ。一汽の従業(yè)員は吉林工業(yè)大學(xué)から借りた米國製高級(jí)車の1955型クライスラーを土臺(tái)にして、手作業(yè)で「紅旗」高級(jí)車を作り上げた。一汽では59年5月までに、紅旗が5回にわたって試作された。この紅旗にはCA72という型番號(hào)が與えられた。
10月1日の天安門前広場(chǎng)の式典には、紅旗CA72が1臺(tái)と、それとは別にオープンカー仕様の紅旗2臺(tái)が登場(chǎng)した。外國メディアは中國が乗用車を完成したことに驚き、盛んに報(bào)道した。當(dāng)時(shí)の中國は、指導(dǎo)者だった毛沢東主席自身が「一窮二白」、つまり「第一に貧困であり、第二に文化が空白」と表現(xiàn)したほど遅れた國だったからだ。
1960年代からは、紅旗に関連する技術(shù)水準(zhǔn)がどんどん向上していった。紅旗は高級(jí)車として、利用できる人も限られていた。中國人の場(chǎng)合には、政界で副大臣以上の地位を持つ者だけだった。それ以外は、中國を訪れた外國の要人の中でも、中國が極めて重視する人物だ。移動(dòng)のために紅旗を提供することは、外國人の賓客に対する最高の禮遇の一つと見なされた。
社會(huì)主義経済の時(shí)代の中國には、一つの製品に多くのブランドを作る必要性は乏しいという考え方があった。資本主義のような競(jìng)爭(zhēng)は資源の浪費(fèi)を招くので、中央による計(jì)畫に従って生産すればよいとの考えが強(qiáng)かった。したがって、紅旗は中國で唯一の高級(jí)車ブランドになり、中國の工業(yè)製品の一つのシンボルにもなった。
しかし、競(jìng)爭(zhēng)原理や市場(chǎng)原理が働かない狀態(tài)で、中國の経済や技術(shù)が立ち遅れたことは、今となれば周知の事実だ。改革開放が本格化していった80年代には、紅旗は燃費(fèi)が悪く、製造コストが高いなどで、製造中止に追い込まれた。それまでの約20年間で製造された紅旗は、累計(jì)でわずか1540臺(tái)だった。
しかし、中國が「改革開放」の旗を高く掲げ、外資と先進(jìn)技術(shù)を広く誘致し、中國人自身が懸命に努力したことで狀況は変化した。一汽は紅旗を復(fù)活させた。90年代末ごろに紅旗の派生タイプを次々に登場(chǎng)させ、最終的に「CA7220小紅旗標(biāo)準(zhǔn)型」の大量生産を開始した。この紅旗は、市場(chǎng)で利益を得ることに成功した。
つまり、60-70年代の紅旗は中國の自動(dòng)車工業(yè)の象徴だったが、改革開放後は中國を象徴する自動(dòng)車ブランドという重責(zé)を擔(dān)うと同時(shí)に、市場(chǎng)経済の下で生き殘れる車種であることが求められることになった。
一汽は2018年1月、紅旗についての新たなブランド戦略を発表した。それ以降の紅旗の成長は、まさに奇跡だった。紅旗が誕生して65周年の23年には、紅旗の販売臺(tái)數(shù)が5年前の65倍を超えた。
かつては手作業(yè)で作られていた紅旗が、海外から導(dǎo)入した組み立てラインで製造されるようになった。かつては海外の技術(shù)を參考にしていたが、現(xiàn)在では全面的に自主開発する狀況になった。紅旗の歴史から分かるように、中國の自動(dòng)車企業(yè)の自主研究開発の実力は、質(zhì)的な飛躍を?qū)g現(xiàn)しつつある。
紅旗ブランド車はここ數(shù)年來、多くの國際的な重要イベントで使われている。ユーラシア経済フォーラム、APEC(アジア太平洋経済協(xié)力會(huì)議)會(huì)議、G20サミットなどだ。特に「紅旗L5」は超高級(jí)な製品としての位置づけと超豪華な乗車體験により、中國外交儀禮用車両とし採用されることが多く、重要な外交の場(chǎng)にもたびたび登場(chǎng)している。
紅旗ブランド車のデザインは民族的な雰囲気が強(qiáng)い。最初の紅旗を例にとると、同車両のエンジンフードの先端には風(fēng)になびく紅旗のマークがあり、扇面形のフロントグラスは中國人の「善」を基本とする中國人の理念を象徴している。さらに中國の伝統(tǒng)建築の梅花窗のデザインのウインカー裝飾板などもある。車の內(nèi)外の至る所に民族の特色が濃厚に打ち出されている。1960年の海外のモーターショーでは、ある有名な外國人の自動(dòng)車デザインの専門家が紅旗を見て、「東洋蕓術(shù)と自動(dòng)車技術(shù)を結(jié)合した模範(fàn)だ」と述べた。
2013年、紅旗ブランド初の高級(jí)カスタムモデルである紅旗L5が登場(chǎng)した。この車は、従來の紅旗の特徴である前高後低の船のようなボディデザインを受け継ぎつつ、威厳を持ち前進(jìn)する精神を示している。車體のデザインは「山と水」がテーマで、ヘッドランプやエンジンフードは起伏に富んだ山の形狀をなし、グリル部分は水の流れを表現(xiàn)し、「動(dòng)中に靜を見、靜かにして山を観る」といった情景を演出している。車のフロントエンブレムには、伝統(tǒng)的な中國の赤色が使用された。
中國では「如意」と言う言葉が、縁起がよいとして好まれてきた?!袱胜摔搐趣庖猡韦蓼蓼恕?、つまり願(yuàn)ったことが、そのまま実現(xiàn)するということだ。紅旗L5はまた、「如意」をテーマに「バランスと対稱」の美が追求された。操縦席まわりの計(jì)器類は、全體として「大如意」のイメージが意識(shí)された。また、液晶デジタル計(jì)器も採用された。つまり古い中華文化と現(xiàn)代技術(shù)の結(jié)合だ。
また、ドアハンドルは、四つの「小如意」を示す形狀で、それぞれに雲(yún)龍紋の白玉(はくぎょく)がはめ込まれた。中國では、君子の徳は玉に例えられた。つまり白玉を採用したことは、中華民族が徳を追求することの象徴だ。
紅旗ブランドには各発展段階で、異なる意味があった。1958-64年は「苦難に耐えての出発」、1964-81年は「自力更生」、1981-2005年は「共同開発」、2005-15年は「自主開発」と「ブランドの復(fù)活」、2016-17年は「重要技術(shù)の掌握」と「ブランドの振興」、18年以降は、中國式の「高尚主義」だ。紅旗は誕生から現(xiàn)在まで、中國の工業(yè)の発展を生き生きと反映してきた。(構(gòu)成 / 如月隼人)
赤阪清隆
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