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蒲松齢による「聊斎志異」は怪奇小説集だ。世界の各民族の神話や奇譚はその民族の文化に強(qiáng)く影響される。聊斎志異にはどのような文化が反映されているのだろうか。
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蒲松齢(1640-1715年)による「聊斎志異(りょうさいしい)」は怪奇小説集だ。世界のどの民族も神話や奇譚(きたん)を伝えているが、そのような物語は民族の文化に強(qiáng)く影響される。聊斎志異の物語には、中國文化のどのような面が反映されているのだろうか。また、中國とは文化の大きく異なる西洋で、聊斎志異はどのように受け入れられてきたのか。山東大學(xué)文學(xué)院教授で、中國聊斎學(xué)會(huì)設(shè)立準(zhǔn)備委員會(huì)の會(huì)長でもある王平氏はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、聊斎志異の特徴や西洋での受け入れの狀況について紹介した。以下は王教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
蒲松齢の「聊斎志異」は約500編の短編作品から成る小説集だ。ほとんどが超現(xiàn)実的な表現(xiàn)手法を用いて現(xiàn)実社會(huì)を反映したり、嘲笑したり、批判したり、理想を託したりしている。表面上は奇怪に見え、不條理な物語すらあるが、その実質(zhì)は社會(huì)の現(xiàn)実と密接に結(jié)びついており、意味深遠(yuǎn)だ。魯迅先生は「出于幻域,頓入人間(幻の域から出て人の世に入る)」の8文字で聊斎志異この特徴を概括した。
聊斎志異は中國の文語小説の集大成だ。この分野で最高傑作とも言われる。このように高く評(píng)価されているのは、蒲松齢の天賦の文學(xué)才能により、物語が獨(dú)特で鮮明な審美的特徴を帯びているからだ。
蒲松齢は人と亡者の戀、人と妖怪の戀を描くことが実に巧みで、生死を超えた真摯な愛を表現(xiàn)できた。千々に亂れる心を表現(xiàn)して、読む人の涙を誘い、感動(dòng)させる。次に、聊斎志異は「幻想的ではあるが奇妙ではなく、奇妙でありながら不自然ではない」という特色を持つ。読む人は自らが體験するように実感するが、そこには玄妙で幻想的な世界が繰り広げられ、現(xiàn)実と幻を結(jié)合させ虛実が絡(luò)み合う蕓術(shù)効果がみられる。
聊斎志異では特に、愉悅の表現(xiàn)が際立っている。亡者や妖怪の描寫にすぐれ、物語の構(gòu)成が巧みで、ユーモアもあるなど、多くの特徴がある。聊斎志異に登場する亡者や妖怪は人情に富み、親しみやすく、「異類の存在であることを忘れ、何かの折に改めて異類であることに気付かされる」といった存在だ。
西洋でも多くの神話や怪奇作品が生み出されたが、聊斎志異とは違う。なぜなら文化の背景が違うからだ。より具體的に言えば、中國の伝統(tǒng)文化はギリシャ型文化や中東型文化と違いがある。ギリシャ型文化は人と自然の関係を重視し、中東型文化は人と神の関係を重視する。一方で、中國の伝統(tǒng)文化は人と人の関係を重視する。
古代ギリシャ神話の中の妖怪は、ほとんどが人と獣の結(jié)合體だ。例えば半人半蛇のエルゲドナ、半人半牛怪物のミノタウロスなどだ。これらの超現(xiàn)実的な形態(tài)は、異民族を醜悪視したことや自然物への敵視が反映されている。
西洋人は「自己」以外のものを「他者」として、「他者」を定義することで、自己を認(rèn)識(shí)してきた。自己と他者が相互依存していると言ってもよい。妖怪は「他者」として発生して、兇悪さを象徴する。しかし英雄が存在する限り、妖怪は悪を行うことができない。この善悪の対立関係は、古代ギリシャ人が人の価値を認(rèn)めたことや自己を肯定したことを示している。
妖怪像は、古代ギリシャ人の自然への畏敬の念の表れでもある。彼らは神秘的で気まぐれな自然や外界を敬い、恐れ、自分では勝てないものを神霊としてその加護(hù)を求め、すべての悪いものを妖魔として呪い、神の力で彼らに対抗することで、自分を守り、罪から逃れた。
一方の中國の伝統(tǒng)文化の基本精神は人文主義だ?!溉宋摹工ⅳ毪い稀溉说馈工趣?、もっぱら人と人の関係を重視するものだ。中國の小説はこのような人中心、現(xiàn)世を目的とする文化心理の影響を受けて、怪奇を扱う物語でも、人を基盤とした。そして中國人は、小説による世相や人の心を補(bǔ)う作用を重視した。
三國から隋の時(shí)代の中國の怪奇小説のいくつかは、仏典に著想を得たものだ。しかし、小説家は宗教家とは違う方向から仏教をとらえた。小説の作者は仏法を広めたり、來世を重視するのではなく、人生の現(xiàn)実を描寫しようとした。東晉の史家だった干寶(?-336年)が書いた「捜神記」の中の「盧汾の夢(mèng)が蟻穴に入る」は、人生は夢(mèng)のようだと説き、「紫玉韓重」は若い男女の誠を盡くす愛を賛美した。
唐代になると、伝奇小説は現(xiàn)実の人生にさらに密接に結(jié)びついていった。李朝威(生沒年不詳)の「柳毅伝」は、人と神の戀の物語で、柳毅の正直さと勇敢さが際立っている。沈既済(750-800年ごろ)の「任氏伝」は、狐の妖怪が美女となった任氏の感情の繊細(xì)さや聡明さ、勇敢さを賛美している。任氏は結(jié)局は人に殉じて命を落とす。魯迅は「今の婦人に及ばざる者あり」と論評(píng)した。つまりこの作品は現(xiàn)実の世相を風(fēng)刺したものだった。
聊斎志異は、物語がいかに幻想的であっても、すべて人生の現(xiàn)実を指向しており、人の価値を肯定して、人文主義の伝統(tǒng)的な文化心理と一致して、同時(shí)に鮮明な時(shí)代の特色を持っている。
聊斎志異の最初の刻本である青柯亭本は清の乾隆年間の1766年に登場した後、すぐに海外に伝わった。これまでに英、仏、獨(dú)、露、日など20以上の言語の選訳本や全訳本があり、西洋の文學(xué)、文化、ひいては社會(huì)に一定の影響を與えてきた。
西洋の翻訳者は自らの文化環(huán)境や文學(xué)の伝統(tǒng)に基づいて翻訳対象を選ぶことが多い。翻訳者の國情や民族、身分および問題を考える立場、方法、角度が異なるため、彼らの中國文化に対する認(rèn)識(shí)、理解、紹介、そして翻訳は大きく異なる。
彼らは最初、「聊斎志異」の中の倫理観念や教化思想をあまり考慮せず、面白さに富む作品や想像力が豊かな作品を選んで翻訳した。例えば、最初に外國人に翻訳された2編の小説「梨の種」と「鴨の悪口」は物語性の強(qiáng)い小説で、外國の専門家が目をつけたのは老道士の風(fēng)変わりな行為だった。しかし、物語で描かれる人々に対する善意や善行にはほとんど関心がなかった?!给啢螑櫩凇工摔膜い皮稀⒑M猡畏U者は妖魔が憑いているなどの部分にさまざまな連想を抱いたのかもしれない。
「聊斎志異」は文語文で書かれており、外國人にとって、原文を読むのは困難だ。さらに難しいのは外國人読者にとって、中國と中國以外では物語の背景が違うことだ。この問題を解決するために、多くの翻訳者は本來の意味を損ねないように気をつけながら部分的な変更を行った。
英國人中國學(xué)者のハーバード?ジャイルズは、聖書の中の人物を、斎志異のさまざまな登場人物に割り當(dāng)てて、読者にその性格を理解させようとした。それ以外にも、聊斎志異に登場する人物を、西洋の神話やローマ時(shí)代の人物に変更した例もある。
ただ、西洋の翻訳者や研究者も、聊斎志異が書かれた中國文化をきちんと理解して知識(shí)の蓄積を増やすことが、普遍性のある観點(diǎn)の形成に必要と認(rèn)識(shí)するようになった。
海外の研究者の多くはすでに、このことを十分に認(rèn)識(shí)している。彼らは西洋の理論と中國の実際、現(xiàn)実の生活、テキストを詳しく読むなどの要素を結(jié)合した上で解釈を行うようになった。
例えば、中國系アメリカ人學(xué)者のヤン?ルイ氏は聊斎志異の解釈について、西洋の理論を使用する際には洋の東西の違いや過去と現(xiàn)代の文化の差を無視してはならないと指摘した。その他の研究者も、中國文化の中から西洋の伝統(tǒng)とは異なる考え方や認(rèn)知態(tài)度を汲み取る必要があると論じ、そのことが現(xiàn)代の西洋社會(huì)の諸矛盾を解消して、人間性がより強(qiáng)い世界を構(gòu)築することに役立つなどと主張している。
これらの海外における「聊斎志異」の解釈の試みによっても、中國と外國の文化融合の積極的な取り組みが徐々に蓄積されている。文化の融合をより深いレベル、より広い範(fàn)囲に推し進(jìn)めることは、グローバル化時(shí)代を迎えた人類にとって、現(xiàn)実的な影響を與えるものだ。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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