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「不夜城」と言われてきた香港で今、政財(cái)界が夜間の市民の外出と経済活動(dòng)の掘り起こしに躍起になっている。夜の街から人が消え、「夜経済」が落ち込んでいるからだ。
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「不夜城」と言われてきた香港で今、政財(cái)界が夜間の市民の外出と経済活動(dòng)の掘り起こしに躍起になっている。夜の街から人が消え、「夜経済」が落ち込んでいるからだ。眠らない街はなぜ消えたのか?そして、あの活気あふれる眠らない街は戻ってくるのだろうか?
【その他の寫真】
香港の「夜経済」の歴史は古い。香港の中國(guó)返還を巡って中英交渉が進(jìn)んでいた1980年代初期、當(dāng)時(shí)中國(guó)の最高指導(dǎo)者だったトウ小平氏は「馬照跑,舞照跳(競(jìng)馬もダンスもこれまで通り)」と言って、返還後も香港社會(huì)が変わらないことの例えに競(jìng)馬と夜総會(huì)(ナイトクラブ)を引き合いに出したほどだ。
1840年代から始まった競(jìng)馬は1973年からナイター競(jìng)馬も始まり、今も晝夜ともに盛んだ。夜総會(huì)は70~80年代を最盛期に2000年代初めにかけて徐々に姿を消していった。當(dāng)時(shí)の夜総會(huì)はディナーや宴會(huì)、客が踴れるダンスフロア、人気歌手の歌や広東オペラの上演がある夜の社交の場(chǎng)だったが、ホテルやコンサート會(huì)場(chǎng)などに取って代わられていった。
庶民レベルでいうと、私が香港に來た90年代後半は、若者はカラオケボックスで夜遅くまで遊んだり、友達(dá)と夕飯を食べた後にさらに別の仲間と夜食を食べに出かけたりしていた。街のネオン看板がギラギラと光を放つ中、宵っ張りの朝寢坊の香港人は、時(shí)を忘れてナイトライフを楽しんでいた。娯楽の多様化でカラオケボックスがすたれていくと、夜に路上でライブやパフォーマンスをする若者が出現(xiàn)し、人だかりができるようになった。中國(guó)人観光客の個(gè)人旅行が始まった2003年以降は、観光客が激増し、夜遅くまで飲食店も小売店もにぎわっていた。
ところが、最近は夜間に外出する人が激減し、街にはかつてのような活気がない。會(huì)食は晝間にして夜は自宅で過ごす市民が増え、夜9時(shí)前でもレストランは空席が目立つ。テーブルは2回転どころか1回転もままならない狀況だ。店側(cè)も、客足が遠(yuǎn)のいているのに、高い人件費(fèi)を払ってまで営業(yè)する理由もなく、閉店時(shí)間を早めている。小売店も同じで、街は靜まり、「夜経済」は回らなくなっているのだ。
たまりかねた香港政府は先月、「香港夜繽粉(Night Vibes Hong Kong)」と銘打ち、商業(yè)施設(shè)や飲食店、小売店のほか、博物館などの公共施設(shè)などが一體となって、2024年の春節(jié)にかけて短期?長(zhǎng)期でさまざまな夜間サービスに乗り出した。言わば「香港らしい夜」を取り戻そうという一大キャンペーンだ。
地下鉄運(yùn)営會(huì)社は、夜10時(shí)半以降に5回降車したら1回分の乗車料金を4回まで無料にしている。映畫館は夜間上映のチケット料金を割り引いている。80を超えるショッピングモールが、営業(yè)時(shí)間を繰り下げたり、「午後7時(shí)以降モール內(nèi)で50香港ドル(約950円)以上を消費(fèi)したら1時(shí)間の駐車料金無料」「午後8時(shí)以降に飲食すれば割引サービス」「10月の土日の夜は人気歌手を呼んだり演奏會(huì)を開いたりする」など、あの手この手で夜間の集客に力を注いでいる。
さらに新たな目玉として、尖沙咀や灣仔などのビクトリアハーバー沿いのプロムナードに夜市が立ち、屋臺(tái)、パフォーマンス、文化イベントなども始まった。市民が集まることで観光客への波狀効果も狙っている。
こんな感じで、とにかく市民に夜間も外出して消費(fèi)してもらおうと必死なのだ。そもそも、なぜ不夜城は消えたのか?
最大の理由は、2019年に香港各地で起きた大規(guī)模反政府デモと、翌20年から流行した新型コロナの流行で、市民はナイトライフの変更を余儀なくされ、生活習(xí)慣が大きく変化したためだ。
香港は朝晝晩の3食を外で食べるほど外食文化が普及しているが、デモを避けるために不必要な外食を控える市民は少なくなかった。翌年に入って新型コロナが流行し始めると、香港政府はデモを抑え込むためにもコロナ対策を口実に、徹底的に集団行動(dòng)を制限した。感染者數(shù)が増えると、午後6時(shí)以降の店內(nèi)飲食を全面禁止し、外食は大きく制限された。例年なら冬至、春節(jié)、母の日、父の日などは家族そろってレストランで祝うが、コロナ禍ではそれもできなかった。在宅勤務(wù)も普及し、外出の機(jī)會(huì)も減った。
この間、臺(tái)頭したのが「中食産業(yè)」だ。種類豊富な総菜の中から2~3品選べる安いお弁當(dāng)屋があちこちで店を構(gòu)えた。市民はこうした持ち帰り弁當(dāng)や宅配サービス、ネットショッピングを活用し、家で過ごすことが習(xí)慣化したのだ。
しかも、コロナ規(guī)制が撤廃されて自由に食事ができるようになったら、待っていたのは飲食店のすさまじい値上げ攻勢(shì)だった。コロナ禍での値下げ合戦から一転、どの店も大幅な値上げに転じたのだ。飲食ばかりでなく、今の香港はあらゆる物価が上昇し、市民の財(cái)布のひもは固くなっている。
それだけではない。今春、香港人の香港―深セン間の移動(dòng)が自由になると、最近の人民元安が追い風(fēng)になって、隣町の広東省深セン市に遊びに行く香港人が後を絶たないのだ。
香港ドルは米ドルにペッグしているから、人民元は対香港ドルに対しても割安感が続いている。直近でも人民元は、昨年の高値水準(zhǔn)から約14%下落している。今の深センは、香港の半額から3分の1の価格で食事や買い物、遊ぶことができるため、「1000香港ドル(約1萬9000円)で目いっぱい遊べる」「何年間も訪れていなかったので、深センの発展ぶりを見に行きたい」など、多くの香港人が週末や休暇を利用して深センに出かけている。逆に中國(guó)人観光客は香港ドル高の中で香港観光をすることになり、中には宿泊代が高い香港のホテルを避けて深センに泊まりながら香港観光する人がいるありさまだ。香港の飲食店や小売店は、深センという競(jìng)爭(zhēng)相手にも苦しんでいるのだ。
キャンペーンを打ち上げてから最初の大きな経済効果が期待された10月1日の國(guó)慶節(jié)(中國(guó)の建國(guó)記念日)を挾んだ10日間のゴールデンウィーク。國(guó)慶節(jié)前日のドローンショーや5年ぶりに行われた國(guó)慶節(jié)を祝う花火大會(huì)は、多くの香港市民や観光客でビクトリアハーバー沿いが埋め盡くされ、久しぶりに香港らしい活気ある夜となった。
今後、ハロウィーン、クリスマス、新年のカウントダウン、春節(jié)と、年中行事が目白押しで、一年で最も活気ある季節(jié)が到來する。大規(guī)模な野外グルメイベント「香港ワイン&ダイン?フェスティバル」も5年ぶりに開催されることになり、政府や飲食?小売り業(yè)界の期待は高まる。ただ、入境処のデータを見ると、ゴールデンウィークの10日間に香港から中國(guó)本土に出かけていった香港人は約220萬人となり、中國(guó)本土から香港にやってきた中國(guó)人より100萬人も多かったという現(xiàn)実もある。今回のキャンペーンは従來のサービスを寄せ集めて一體化した感は否めず、そう簡(jiǎn)単に夜経済が回りだすとは思えない?;顨荬ⅳ胂愀郅我工蛉·陸工摔?、斬新で魅力的なさらなる仕掛けが求められていると思う。
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長(zhǎng)を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國(guó)と香港を旅行し、西洋文化と中國(guó)文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國(guó)返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。
ブログ:香港時(shí)間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89
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