西洋楽器として有名なハープは紀(jì)元前に中國(guó)に伝わり大流行していた―考古學(xué)専門家が紹介

中國(guó)新聞社    2023年10月19日(木) 0時(shí)0分

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西洋音楽で使われるハープは西アジアまたはエジプトが発祥の地とされる。ハープは東にも伝わり、中國(guó)では紀(jì)元前から大いにもてはやされた楽器だった。

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「ハープ」というと、西洋クラシック音楽の楽器を連想するのではなかろうか。西洋の楽器の先祖をたどると、多くの場(chǎng)合には西アジアやエジプトなどが発祥の地だ。そして、多くの楽器が東にも伝わり、中國(guó)さらには日本にも伝わった。ハープもその例に漏れずに東進(jìn)して、中國(guó)さらに日本にも伝わった。ハープ系の楽器は東アジアでは「箜篌(コンホウ、くご)」と呼ばれる。中國(guó)で古い時(shí)代の箜篌が特に出土するのは、新疆ウイグル自治區(qū)などだ。新疆ウイグル自治區(qū)博物館考古部に所屬する魯禮鵬氏はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、新疆およびその他の地域での箜篌の出土狀況や、當(dāng)時(shí)の社會(huì)における楽器の使われ方などを紹介した。以下は魯氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

その他の寫真

新疆では紀(jì)元前の箜篌が次々に出土

箜篌あるいは箜篌に相當(dāng)する楽器は多くの文獻(xiàn)や壁畫で扱われている。最も古い記述は紀(jì)元前3200年ごろのシュメールのウルで発見された。新疆では4-10世紀(jì)の數(shù)カ所の石窟壁畫で、箜篌の絵が見つかっている。ウルでは紀(jì)元前2500年前後の箜篌が出土している。さらにメソポタミア、アルタイ地方、パミール高原にかけて、紀(jì)元前8世紀(jì)から紀(jì)元2世紀(jì)のものとみられる箜篌が出土している。

中國(guó)では1996年に、新疆ウイグル自治區(qū)のチャルチャン県にあるザグフンルク遺跡墓地から紀(jì)元前5世紀(jì)前後の箜篌3點(diǎn)が出土した。

中國(guó)ではザグフンルク遺跡で箜篌が出現(xiàn)するまで、箜篌については壁畫や彫刻、あるいはそれらから復(fù)元された楽器の研究にとどまっていた。実物の箜篌の出土には、中國(guó)の音楽史の空白を埋める畫期的な意義があった。

関係者がさらに興奮したのは、ザグフンルク遺跡に続いて新疆の數(shù)カ所で箜篌の出土が相次いだことだった。うちエスケシャルル南墓地では11點(diǎn)も出土した。

漢族地域である中原での箜篌については、漢代の文獻(xiàn)に記録されている。また甘粛省では敦煌の莫高窟など、陝西省では銅川薬王山石窟の壁畫にも見られる。西安では箜篌の絵がある出土品もある。これらから、敦煌が仏教に伴って中央アジアから中國(guó)の新疆や甘粛省の河西回廊に伝わった過程がはっきりと分かった。

新疆で発見された箜篌は24點(diǎn)に達(dá)した。出土數(shù)が多く大部分の保存狀態(tài)が比較的良好だ。新疆の天山以南の乾燥と雨の少ない自然環(huán)境が関係している。

西アジアの箜篌と新疆で出土した箜篌の形狀には若干ではあるが明らかな違いがある。新疆で出土した箜篌はすべて同じタイプだ。新疆では箜篌の獨(dú)自の様式が確立した。このことについては、新疆には箜篌の実物がもたらされたのではなく、西からの情報(bào)を吸収した地元の人たちが自分たちで作った可能性があるとの指摘がある。いずれにせよ新疆での箜篌の現(xiàn)地化は、文明の相互參照を如実に示す例だ。


大流行した箜篌だが、その後は失われる

箜篌は音色が清らかで、霊感を呼び起こす。中原地域では漢の武帝が箜篌の美しい音に心酔して宮廷楽師に箜篌の制作を模倣させ、改良させた。さらに楽府という音楽を扱う役所の専門家に、民間から採(cǎi)集した音楽を整理?編曲させたという。漢楽府の有名な長(zhǎng)編敘事詩(shī)「孔雀東南飛」にも箜篌が登場(chǎng)する。

魏晉南北朝時(shí)代はさまざまな民族が融合した時(shí)代だった。中國(guó)音楽には新鮮な血が多く流れ込こんだ。西域音楽は當(dāng)時(shí)の流行音楽だった。唐代でも箜篌は帝王から高く評(píng)価された。箜篌は隋?唐時(shí)代の宮廷の娯楽音楽であった燕楽の中で重要な楽器だった。李白王維などの重要な詩(shī)人も箜篌を詠んだ。ただし箜篌は宮廷では重視されたが、民間では衰退していった。

北宋のころも、宮廷の燕楽では箜篌が流行していた。しかし明末ごろになると、史書や詩(shī)、雕刻畫業(yè)にではほとんど扱われなくなった。箜篌は忘れられていった。

1930年代から中國(guó)の音楽界や學(xué)界の先輩が箜篌の再現(xiàn)を試みるようになった。箜篌が再び人前で演奏されるようになったのは1980年代だ。

箜篌は東西文明の交流の証人、復(fù)活への努力が続く

新疆は歌と踴りの里であると同時(shí)に、楽器の里でもある。歌と踴りと楽器演奏は、新疆の各民族の人々の生活に欠かせない。新疆のチャルチャン県では學(xué)校が箜篌を?qū)毪筏破占挨丹护?。箜篌の文化を発揚(yáng)し、さらには箜篌の文化遺産を保護(hù)し、箜篌文化が名聲を獲得するための力強(qiáng)い措置だ。

新疆は中國(guó)の西北、ユーラシア大陸の奧地に位置し、古來(lái)より?yáng)|西経済?文化交流の重要な通路であり集積地だった。新疆には多様な文明と宗教が伝わった。中華文明の懐の中で育まれた新疆の各民族の文化は歴代の発展を経て、中原文化との交流と融和が絶えず強(qiáng)化され、中華文化の構(gòu)成部分となった。新疆文化は中原文化などと共に、多元的で一體的な、輝かしい中華文化をつくり上げてきた。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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