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100近いレストランが手書きの地図に書いてありました。
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「それではお願いします?!股鐑?nèi)會議の席上、國內(nèi)単身赴任者である私に対する役員の一言で中國駐在が決まりました。
【その他の寫真】
私が推薦した中國の都市に現(xiàn)地責(zé)任者として新會社を立ち上げる仕事です。現(xiàn)地政府との面會日程を踏まえると、赴任まで2週間しかありません。これからアパートを引き揚げ、行政の手続きを行い、中國行の片道航空券などを手配し、宿泊先を決めます。私は中國語の勉強をしたことはありませんが、それまでに何回か中國出張を経験していましたので、なんとかなるだろうと思っていました。
予約したホテルの部屋では湯を沸かすことしかできませんが、ホテルならば朝食も夕食もホテルに併設(shè)のレストランを利用することが出來ます。ホテル生活は出費が多くなるものの、食料品の買い出しは無く、食後の片付けから解放されるので快適に過ごすつもりでした。
現(xiàn)地赴任し、早速問題発生です。ホテルでは喫食者ひとりでは夕食の対応をしてもらえないのです。夜のホテルのレストランは宴會場の様にとても賑わっていました。10人ほど座れる円卓に私ひとりではホテルの売り上げが少ないから困るのだと察しました。仕事を終え街の中心部のホテルから、毎日ひとりで入れそうなレストランの探索を始めました。ネクタイを締めた中國語の通じない日本人がたったひとりで店に入るのは勇気が必要です。
ここで、外國滯在中の私の基本方針である「三つの必要なこと」を思い出し覚悟をしました。ひとつ目は常に「旅券」を攜行する、そしてある程度の「現(xiàn)金やクレジットカード」が必要です。最後の三つめは「勇気」です。何事も気後れせずに勇気を出して店に入ることです。中には日本ではなじみの薄いアラビア文字の看板を掲げたレストランもありました。アラビア文字の店はポークが無いだけで他の店と変わる事はありませんでした。メモには「中山西路、英語ダメ、アラブ、二重丸」となります。店の名前がわからない、通りの名前はあやふや、気に入った食事であってもメニューの何を食べたのかわからないことも多くありました。
餃子屋に入れば種類が多くあり、毎日餃子を食しても異なる味が楽しめます。ここも二重丸の店ですが、日本では中々お目にかかれない餃子の中身があるとわかったのは3回ほど食事をしてからです。メニューは、白菜、何種類もあるキノコ、豆腐、パクチ等々あり、中でも「玉子とトマト」これは日本にいてはお目にかかれない餃子でした。私にとって初めての味でしたが絶品です。餃子の種類は多分40種類以上ありました。ピーマンかセロリかよくわからない野菜、肉は豚肉だけではなく、ロバ肉もあり、中身が違うので毎日餃子が続いても飽きることはありません。栄養(yǎng)的にも、「脂肪」「蛋白」「澱粉」と3種の栄養(yǎng)素が揃った餃子を食べるのですから健康面からも良く、満足感も得られました。
日本のラーメン屋では餃子は1種類だけです。水餃子があったとしても、中身を選ぶことはまずありません。そして日本の水餃子は一般にスープ餃子ですが、ここは茹餃子です。醤油と思ったのは黒酢で、ラー油は味噌狀で、ニンニクのかけらがいくつもテーブルにありました。餃子にはニンニクを入れない代わりに、かじりつくものだと知ったのもこの店です。
前日の夕食の內(nèi)容を會社設(shè)立準(zhǔn)備で雇用した社員と運転手に、毎日話をしました。暫くすると、ホテルから徒歩圏內(nèi)で男一人、中國語を理解しない外國人である私が食事をすることができる店の地図を作ってくれたのです。100近いレストランが手書きの地図に書いてありました。
その中のいくつかは行った事のある店でしたが、ひとりで食事ができるホテルのレストラン、大きな屋敷の様に見えた建物は気軽に食事が出來るレストランでもありました。商店街に怪しい階段があることは知っていましたが、階段を上がればそこは町のフードコートだったのです。しかし、見かけの面から躊躇する店も多くありました。そんな店には運転手が店に何か一言聲を掛けてくれます。入ってみれば外國人のオッサンである私が一人でも食事が出來る店である事は確かでした。
この地図は駐在中の私の寶物となり、日本からの出張者が2週間滯在しても毎日違うレストランに案內(nèi)することが出來ました。出張者は駐在員の行動力を高く評価しますので、仕事も私の考え通り進めていくことができました。
中國の考え方は歐米に近く、ビジネスライクだと言われていますが、私と縁のあった人たちはなんて親切なのだろうと感じました。日本から數(shù)年間派遣され、その後は新しい日本人に交代します。數(shù)年間仕事だけして帰國する日本人に対して仕事だけではなく、こんなに親切にしてくれ、プライベートなことにも盡くしてくれた現(xiàn)地社員達にはとても感謝しています。
■原題:こんなに親切なんだ
■執(zhí)筆者プロフィール: 神谷 東彌(かみや とうや)
1951年東京生まれ、東京育ち。育英高専卒業(yè)後、自動車製造メーカーに採用され、研究開発部門に配屬。技術(shù)認証駐在員として歐州2カ國(オランダとドイツ)に派遣され型式認定取得および技術(shù)調(diào)査業(yè)務(wù)に従事。帰國後は、異動先の海外企畫部門から中國を含む多くの國に出張。自動車部品メーカーに転職後も海外関連業(yè)務(wù)に従事し、主に海外拠點管理を擔(dān)當(dāng)。新規(guī)製造拠點設(shè)立の命を受け、中國駐在員として製造拠點2社を設(shè)立。これらの會社の稼働後黒字化の目処がついたところで雇用延長期間満了となり退職。駐在當(dāng)時の社員や取引先だけでなく、役所の職員とも現(xiàn)在まで交流が続いている。
※本文は、第5回忘れられない中國滯在エピソード「驚きの連続だった中國滯在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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