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子どもというのは、周りの大人が思っている以上に敏感だ。ちょっとした感情の機(jī)微で、この人に嫌われていると、すぐにわかるのである。そしてその理由が、自分が「在日中國(guó)人」だからだ、ということも理解している。
児童精神科醫(yī)という仕事をしていると、日本の子どもだけではなく、在日の子どもたちと話す機(jī)會(huì)も多い。その中でいつも思うことは、日本と中國(guó)の関係性だ。
國(guó)交正常化50年。49歳になる私には、歴史的背景があって、お互いにあまりいい感情を抱いていないのはわかる。だがそれは、今の時(shí)代の子どもたちには関係のないことだ。いや、もう子どもだけではなく、大人もそうだろう。確かに政治レベルでは、色々な問(wèn)題が山積みになったままになっているため仕方がないと思うが、國(guó)民レベルではそんな問(wèn)題はどこにもないはずだ。それなのに、政治レベルの話を國(guó)民レベルの話と同じように感じ、お互いにいい感情を持たないようにしているとしか見(jiàn)えない。この風(fēng)潮をなくすためにも、政治家自身に「政治と人の交流は違う」とはっきりと明言してほしい。だが、少なくとも私はそんなことを言っている政治家を知らない。
小學(xué)校や中學(xué)校の中には、在日中國(guó)人の子どももいるが、彼ら彼女らは、そのことを公にしない。両親から言わないように言われていることがほとんどだ。本來(lái)、在日中國(guó)人の子どもには何の罪もないし、差別されるいわれもない。日本人の子どもと、何ら変わらない存在。だが、人の感情というのは、そうもいかない。在日中國(guó)人だとわかった瞬間に、人はその人のことを見(jiàn)下したり、嫌悪したり、差別をするからだ。
「私はそんなの気にしないよ」と口で言っていても、態(tài)度でそれが本人に伝わるものだ。というよりも、「そんなの気にしないよ」という言葉もすでに偏見(jiàn)のあるものだし、上から目線の言葉になっていることに気づいているだろうか?例えば、東京の小學(xué)校で、「私、出身は群馬県なの」と言った時(shí)に、「私はそんなの気にしないよ」と言うだろうか?「へーそうなんだ」とか「群馬って行ったことないけど、どんな場(chǎng)所なの?」とか、そういう言葉が続くはずである。都內(nèi)の小學(xué)生が「群馬出身」ということを告げる時(shí)は、おそらく自分が田舎者だからという気持ちがあって、恐る恐る言っている場(chǎng)合があるが、基本誰(shuí)も田舎者扱いはしない。だが、中國(guó)だったらどうだろうか?子どもも親も違う反応をしていないだろうか?
また子ども同士では何も偏見(jiàn)がなかったとしても、在日中國(guó)人の子どもが、日本人の子どもの家に遊びに行ったときに、日本人の親が他の子とは違う目でその子を見(jiàn)てしまうということもある。
子どもというのは、周りの大人が思っている以上に敏感だ。ちょっとした感情の機(jī)微で、この人に嫌われていると、すぐにわかるのである。そしてその理由が、自分の性格ではなく自分が「在日中國(guó)人」だからだ、ということも理解している。そうすると、幼心に「在日中國(guó)人」であることが、いけないことなんだと刷り込まれて行ってしまうのだ。
日本人の多くは、中國(guó)人に対して反日感情を持っている人たちだという認(rèn)識(shí)を持っているが、自分たちが中國(guó)人を侮蔑している意識(shí)が少ない。だから自分は悪くないのに、あいつらは……という思考になるのである。向こうが反日なら、こっちだってという感情もおかしなものだが、まずは何が「偏見(jiàn)の目」なのかを理解しない限り、この無(wú)意味な感情が取り払われることはないだろう。
私は偏見(jiàn)の目を取っ払って、一人の人間として彼ら彼女らと向き合ってほしいと切に思う。私は醫(yī)師という立場(chǎng)ではあるが、彼ら彼女らと向き合って話をしている。それでわかることは、お國(guó)柄なのだと思うが、彼ら彼女らは非常に義理に厚いということ。
中國(guó)に帰った後も、私のようなおじさんに対して、「マイフレンド」や「ベストフレンド」と言って、日本にいる私に會(huì)いに來(lái)てくれるのだ。こんなに嬉しいことはない。中日の子ども友好の講演會(huì)を、教育委員會(huì)を通して主催者として迎えてくれたこともある。
子どもの発達(dá)には自尊感情が何よりも大事だ。それなのに、子ども時(shí)代に偏見(jiàn)の目で見(jiàn)られた子どもは、心の負(fù)擔(dān)となる。正常な発達(dá)に支障をきたしているという理解も持ってほしい?!袱椁ぁ工妊匀~にしていなくても、それは相手に伝わっている。こちらの何気ない一言が、一生の傷になることだってある。自分が知らず知らずのうちに、深い傷を相手に與えているかもしれないのだ。
中國(guó)は日本の、まさにそばにある國(guó)。飛行機(jī)を使えば、気軽に行ける海外でもある。もうそろそろ、國(guó)民レベル、一般レベルで、國(guó)を理由に偏見(jiàn)を持つのをやめてみてはどうだろうか。國(guó)に対しての差別、區(qū)別はもう必要ない。人と人との付き合いを、相手が日本人でも日本人ではなくても、ちょっとした気持ちの切り替えでできるはずだ。まさに心のバリアフリーである。
私は一人でも多くの人に、そうなってほしいと切に願(yuàn)っている。そして私はこの発信を、何があってもやめるつもりはない。
■原題:心のバリアフリー
■執(zhí)筆者プロフィール:秋谷 進(jìn)(あきたに すすむ) 醫(yī)師
1973年?yáng)|京都生まれ、神奈川県橫浜市育ち。桐蔭學(xué)園高等學(xué)校、金沢醫(yī)科大學(xué)醫(yī)學(xué)部醫(yī)學(xué)科卒業(yè)後、國(guó)立小児病院小児神経科、獨(dú)協(xié)醫(yī)科大學(xué)越谷病院小児科、三愛(ài)會(huì)総合病院小児科をへて、東京西徳洲會(huì)病院小児醫(yī)療センター勤務(wù)。専門は小児神経學(xué)、児童精神科學(xué)、小児救急。子どもの心に寄り添った診療、「ベイビーファースト」を信條とし、日中友好を始め、多文化共生社會(huì)の形成を図っている。
※本文は、第5回忘れられない中國(guó)滯在エピソード「驚きの連続だった中國(guó)滯在」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。
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