朝鮮戦爭、誰が勝ち、誰が負(fù)けたのか―獨(dú)メディア

Record China    2023年7月29日(土) 19時0分

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26日、獨(dú)ドイチェ?ヴェレは、停戦協(xié)定署名から70年を迎えた朝鮮戦爭について「誰が勝ち、誰が負(fù)けたのか」とする文章を掲載した。寫真は遼寧省丹東市にある「抗美援朝紀(jì)念館(朝鮮戦爭記念館)」。

2023年7月26日、獨(dú)國際放送局ドイチェ?ヴェレの中國語版サイトは、停戦協(xié)定署名から70年を迎えた朝鮮戦爭について「誰が勝ち、誰が負(fù)けたのか」とする文章を掲載した。

文章は、今から70年前の1953年7月27日、米國を中心とする國連軍、朝鮮人民軍、中國人民志願軍の代表が、朝鮮半島の板門店で朝鮮軍事休戦協(xié)定に調(diào)印し、韓國軍はこの協(xié)定に反対して署名しなかったものの、最終的には履行することになったと紹介した。

そして、50年6月に始まった朝鮮半島での內(nèi)戦は、ソ連の水面下での支援もあり、瞬く間に米國、中國などの大國を巻き込んだ激しい戦爭へと発展、3年間におよぶ「綱引き」の結(jié)果、朝鮮半島は38度線を中心に南北が対峙する構(gòu)図となり、現(xiàn)在まで続いているとした。

その上で、世界的に勢力圏を爭っていた米ソ両國は、この戦爭により一定の損失を被りながらも戦略的目標(biāo)をある程度達(dá)成したと指摘。米國は、韓國の政権が朝鮮半島全體を支配するには至らなかったものの、共産主義陣営の封じ込めでしっかりとした成果を出し、韓國、日本などアジアの同盟國を取り巻く防衛(wèi)の輪をさらに強(qiáng)固なものにしたと説明したほか、中國やソ連との直接の戦爭勃発を回避した點も米國にとっては良い結(jié)果だったとしている。

遼寧省丹東市にある「抗美援朝紀(jì)念館(朝鮮戦爭記念館)」

さらに「多くのアナリストはソ連が朝鮮戦爭の最大の勝者だと考えている」とし、ソ連は直接參戦しなかったにも関わらず米軍の東アジアにおける戦力の分割を?qū)g現(xiàn)し、ヨーロッパ地域における米ソの勢力図を間接的に変化させることに成功したと論じた。

他方、中國については、いわゆる「兄貴」であるソ連のために代理戦爭に參加し、大きな代償を払うことになったと指摘。中國民政部のデータとして、朝鮮戦爭では19萬人以上の中國兵が戦死し、當(dāng)時內(nèi)戦を終えたばかりだったにもかかわらず大きな経済的負(fù)擔(dān)を強(qiáng)いられたほか、國際的にも中國軍が國境を越えて朝鮮半島で戦ったという事実によって侵略國家とみなされ、20年にわたって西側(cè)諸國から大規(guī)模な制裁と封鎖を受けることになったと伝えた。

遼寧省丹東市にある「抗美援朝紀(jì)念館(朝鮮戦爭記念館)」

また、中國にとって非常に痛かったのは臺灣海峽の問題であり、1950年代初めに米トルーマン政権は臺灣の中華民國政権を事実上見限っていたものの、朝鮮戦爭勃発によって臺灣を保護(hù)の傘に取り込むこととなり、中國が臺灣に武力介入する可能性が実質(zhì)的に排除されたと指摘。このため、冷戦史の研究者の多くは「中華民國すなわち臺灣が朝鮮戦爭の最大の勝者だった」と主張してきたと紹介している。

文章は「大國の地政學(xué)的な得失にかかわらず、戦爭の最大の敗者が朝鮮半島の人々であったという點では、あらゆる立場の専門家が一致している。各國の數(shù)十萬人の兵士が戦死し、半島の民間人の死者は少なくとも200萬人に上った」とし、戦爭の舞臺となった朝鮮半島にとって朝鮮戦爭が最大の悲劇に他ならなかったとの見解を示した。(翻訳?編集/川尻

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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