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自分の伝えたいことが伝わることに私の心は晴れ晴れとしていた。しかし私の心とは裏腹におばあちゃんの顔色は曇っていった。
あの日バス停で誓った約束は今も尚続いている。
私が中國の青島に來たばかりのこと。當(dāng)時私は小學(xué)校1年生。中國語も英語も話せない私にとって初めての海外在住。私の目に映る青島は異世界で、不思議で魅力的で寶を探す冒険のようだった。
忘れもしないあのバス停。毎日私たちと共に孫の幼稚園の送迎バスを待つ、同じマンションに住むおばあちゃんがいた。當(dāng)時青島では外國人が珍しかった。興味本位で日本人である私たちに話しかけてくれたおばあちゃんとの出會いが、一生忘れられない出會いになったのだった。
これをきっかけにバスを待つ間、會話をするのが日課になっていた。私、私の母と弟。同じ幼稚園に通う弟の友達(dá)とそのおばあちゃん。いつもバス停には5人が仲良く會話をする光景が広がっていた。初めは英語が話せる弟の友達(dá)を頼りに、身振り手振りで何とか意思疎通していた。しかし日を重ねるにつれ、伝わらないことも増えていた。そこで私の母は紙とペンを持ち、慣れない手つきで中國語を書いた。事前に調(diào)べて伝えたい內(nèi)容をメモするという案だった。私たちにはおばあちゃんと話したいという熱い感情が芽生えていた。
翌日、おばあちゃんに中國語が書かれた紙を渡した。會話の幅が広がり、自分の伝えたいことが伝わることに私の心は晴れ晴れとしていた。しかし私の心とは裏腹におばあちゃんの顔色は曇っていった。いつも元気で明るいおばあちゃんの暗い表情を見るのは初めてだった。車が走る騒音だけがバス停に鳴り響いた。周りは騒がしいはずなのにとても靜かだった。そしてようやくおばあちゃんが悲しい顔で、ごめんねと手を合わせた。そして弟の友達(dá)が口を開いた。
「僕のおばあちゃんは文字が読めないんだ」
この言葉を母を介して聞いた時、私はショックを受けた。なぜ自分がショックを受けているのか、小學(xué)生の私には分からなかった。同情なのか悲しみなのか。さっきまで降っていた雪は雨へと変わっていた。
おばあちゃんが文字を読めないことを知った翌日、私はおばあちゃんと會話するのが怖くなっていた。おばあちゃんもきっとそうだろうとため息をついた。自分達(dá)の當(dāng)たり前が引き起こした悲劇を恥じた。雪だるまも退屈にバスを待つ頃。いつもの見慣れたふたつの人影が遠(yuǎn)くの方に見えた。おばあちゃん達(dá)だ。おばあちゃんの手にはなんと紙とペンがあった。そして中國語が書かれた紙を私たちに渡した。漢字で何となく読み取った言葉は「文字読めないけど頑張って勉強する」だった。
嫌われたと思い込んでいた私は、意外な展開に驚きを隠せなかった。そして、とても嬉しかった。私の勝手な憶測だが、文字が読めないことはおばあちゃんにとってコンプレックスであったと思う。それを外國人である私たち日本人に知られては、中國人としてのプライドが傷ついたであろう。もし私なら恥ずかしさと悲しさに負(fù)け、その人とは距離を置くと思う。しかしおばあちゃんは違った。距離を置くどころか、私たちと會話をするために文字を勉強するというのだ。
バス停で出會った私たち日本人に、それまでして何故會話をしたいのか。それはおそらく、彼女にとって初めての日本人だったからであろう。そして私たちにとって初めての中國人は、おばあちゃん達(dá)だったのだ。私たち日本人が中國人のおばあちゃん達(dá)と話したいという強い想いは、おばあちゃんも同じであった。
それから私たちは、中國語の勉強を一生懸命にした。新しい単語を覚えては紙に書き、寒い雪の中バス停でおばあちゃん達(dá)と會話する日々が続いていた。だが、そんな幸せな毎日は思っていたよりも早く終止符を打つことになった。私たちは上海に引っ越すことになったのだ。
バス停へ向かう最後の日。私は家を出る前に髪を束ねた紐をキュッと結(jié)び直した。そして、バス停への雪道を歩いた。歩く度に聞こえる雪の音は、おばあちゃん達(dá)との思い出を回想させた。バス停に著くと、おばあちゃんは何かを手にしていた。なんと私たちに手紙を書いてくれたのだった。手紙を渡されたときのおばあちゃんの笑顔は一生忘れない。手紙には「私は文字の勉強を続ける。だからあなた達(dá)も中國語の勉強を続けてね。がんばれ?!工葧欷皮い?。
これが青島生活最後の日に誓ったおばあちゃんと私たちの約束だった。そして手紙の最後に書かれた「謝謝」の二文字。少し震えた字がおばあちゃんの一生懸命さを物語っていた。私が青島での冒険の中で、探していたものは出會いという名の寶だったのかもしれない。
高校生になった私は今も尚、中國語の勉強をしている。私が中國語を話せるようになったと知ったらどんな反応をするだろう。そしておばあちゃんは文字の勉強を続けているだろうか。バス停で出會った奇跡は、私の運命を変えることになった。中國語を勉強し続けることであの日の約束は守られ続ける。だから私は中國語を?qū)Wび続ける。これからも、ずっと。
■原題:青島のバス停
■執(zhí)筆者プロフィール:高橋未來(たかはし みら)高校生
小學(xué)校の約5年間を中國(青島と上海)で過ごす。中國での人々との出會いをきっかけに、中國語の勉強を始める。中國で生活をするなかで、中國の良さや溫かさを知る。そして、第2の故郷となる。日本への帰國後、中國への愛が募る。中國への愛は加速するばかりで、中國への留學(xué)を決意する。しかし、コロナの影響でオンライン留學(xué)に。中國に行ける日を夢にみて、今も中國語を勉強し続けている。好きな食べ物は麻辣湯と豫園のトウモロコシ。
※本文は、第5回忘れられない中國滯在エピソード「驚きの連続だった中國滯在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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