拡大
約10年間にわたり凍り付いていた政府レベルの日韓関係は、首脳同士のシャトル外交が再開されるなど、今年に入って大きく改善に向かっている。寫真は韓國の屋臺。
約10年間にわたり凍り付いていた政府レベルの日韓関係は、首脳同士のシャトル外交が再開されるなど、今年に入って大きく改善に向かっている。両國にはそれぞれ反発する向きもあるが、北朝鮮への対応など政治的な要請に加え、ここ數(shù)十年で大幅に拡大?深化した民間レベルでの文化?人的交流が追い風(fēng)となりそうだ。
先日、學(xué)生時代に手帳代わりに使用していたノートを整理していて、奇妙な書き込みを見つけた。私とは異なる筆跡で、漢字で書かれた何人かの韓國人の名前と、その発音を表すアルファベット、東京?小金井市のアドレス。そして私には分からないハングル文字。これはいったい何だったのだろうとしばらく記憶の糸を手繰っているうちに、半世紀(jì)近く前の1979年1月または2月、當(dāng)時通っていた大學(xué)の喫茶室で、1人の韓國人留學(xué)生と話し合った際に書いてもらったものであり、アドレスは彼の下宿先であることがよみがえってきた。
書き込みによると、留學(xué)生の名前は李さん。流ちょうな日本語を話す彼と、最初は當(dāng)たり障りのない世間話をしていたと思う。ところが、サッカーファンの私が、何人かの韓國代表チームの選手の名前を挙げてそのプレーぶりを稱賛したところ、彼が突然目を輝かし、「こんなに韓國のことに興味を持ってくれる日本人と會ったのは初めてだ」と語ったのには驚かされた。
1993年のJリーグ発足後は日韓のサッカー代表チームの戦いはほぼ互角だが、70年代は韓國が圧倒的に優(yōu)勢。私たち日本のファンにとって韓國は憎らしい敵であるとともに、リスペクトの対象でもあった。この時、私が車範(fàn)根や李栄武といった當(dāng)時のスター選手の名前を韓國語読みで口にしたところ(この頃、日本では「金大中=きん?だいちゅう」というように、韓國人の名前を日本語読みするのが一般的だった)、彼の表情が一変。それをきっかけに、サッカーに限らず両國の文化や食べ物など、様々なテーマについて話が弾んだと記憶する。
それにしても、彼はなぜ「こんなに韓國に興味を持つ日本人は初めて」と言ったのだろうか。推測だが、來日以來、彼は當(dāng)時の日本人が母國についてほとんど無関心であることに苦々しい思いを抱いていたのではないか。そうしたときに、サッカーという限られたジャンルながら、韓國に興味を持つ學(xué)生と出會ったことで思わずオーバーに反応してしまったのではないだろうか。
この時代、韓國から伝えられるニュースは暗く、深刻なものばかり。72年に樸正熙大統(tǒng)領(lǐng)が戒厳令を施行して獨裁體制を強化。73年には、東京のホテルに滯在していた野黨の大物政治家を韓國中央情報部(KCIA)が拉致してソウルに連れ帰るという「金大中事件」が発生。74年にはソウルで樸大統(tǒng)領(lǐng)が銃撃され、本人は無事だったものの夫人が死亡。犯人が在日韓國人だったことなどから、金大中事件で悪化していた日韓関係は一段と冷え込んだ。そして79年には、ついに樸大統(tǒng)領(lǐng)が側(cè)近に暗殺された。文化交流がないに等しかった中、このようにネガティブイメージが強かったため、多くの日本人にとって韓國は積極的にかかわりたい國ではなかった。
ただ、一部の日本人男性にとって韓國は人気の旅行先だった。70年代は女性による接待目當(dāng)ての訪韓(いわゆるキーセン観光)の全盛期。韓國紙「中央日報」によると、韓國を訪れる日本人観光客數(shù)は71年の10萬人弱から79年には65萬人余りに増え、その85%以上が男性。韓國政府も外貨獲得手段としてキーセン観光を奨勵していたという。性の商品化の典型例で、當(dāng)時でも眉をしかめる人は少なくなかったが、今だったら日韓両國は世界中からひんしゅくを買っていただろう。
あれからほぼ半世紀(jì)。両國間の交流は、韓國による日本の大衆(zhòng)文化の解禁(1998年)、サッカーワールドカップ(W杯)の共同開催(2002年)などを経て、大幅に拡大?深化した。日本では昨年10月の個人旅行再開後、外國人観光客が急増しているが、その中でもトップは韓國人(4月の訪日外國人195萬人のうち、47萬人で最多)だし、今年に入り日本のアニメ映畫2本が韓國で大ヒット。一方で、日本での韓流ドラマやK-POPの人気は相変わらず高いし、韓國グルメの店には行列ができる。民間レベルでの人的交流や相互理解は、70年代とは比較にならないほど進(jìn)んだと言えるだろう。
4月の訪日韓國人47萬人は年率換算では564萬人(韓國の総人口5163萬人の1割強)となるが、コロナ禍前の2018年には753萬人が來日しており、これでも回復(fù)途上と言える。これまで來日した韓國人の中には悪い印象を抱いて帰國した人もいたかもしれない。しかし、失望した人が多ければ、口コミで日本旅行の人気は下がっているはずなので、全體としてはプラスの印象を持って帰った人が多いはずだ。このことは、韓國社會における日本(人)への見方に無視できない影響を與えているのではないだろうか。
日本人訪韓者數(shù)はそこまで回復(fù)していないが、もはや韓國旅行にかつてのようなマイナスイメージはない。そして韓流ドラマやK-POP人気などを背景に、韓國に親しみを持つ日本人は半世紀(jì)前とは比較にならない。
最近の政府レベルでの関係改善は、直接的には、昨年就任した尹錫悅大統(tǒng)領(lǐng)の外交姿勢によるところが大きい。ただ、民間レベルでの文化?人的交流は既に大きく先に進(jìn)んでおり、それが同大統(tǒng)領(lǐng)の背中を押した側(cè)面もあったと考える。
とはいえ、日韓関係がこれからも順調(diào)に進(jìn)むと考えるのは楽天的すぎる。歴史問題への日本の対応に不満を持つ韓國人は依然として多いし、それに反発する日本人も少なくない。歴史問題を別にしても、隣り合う二國間には何かとトラブルが起きやすいものだ。今後も政府レベルの関係に緊張が走ることは十分考えられる。
ただ、半世紀(jì)前と違うのは、民間レベルの文化?人的交流と相互理解が大きく進(jìn)んでいることだ。これは、両國間に何らかの問題が発生した場合、世論の一層の悪化を食い止めるクッションの役割を果たすのではないだろうか。
それにしても、始めに紹介した李さんはどうしているのだろうか。今にして思えば、あの時の會話は、ささやかな人的交流の一例だったと言えるかもしれない。もし再會が葉うならば、この半世紀(jì)の日韓関係の歩みについて語り合いたいと思う今日この頃だ。
■筆者プロフィール:長田浩一
1979年時事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任?,F(xiàn)在は文章を寄稿したり、地元自治體の市民大學(xué)で講師を務(wù)めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中國との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外國の地は北京空港でした。
Record China
2023/6/14
Record Korea
2023/6/14
華流
2023/6/14
Record China
2023/6/13
Record Korea
2023/6/13
華流
2023/6/13
ピックアップ
we`re
RecordChina
この記事のコメントを見る