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22日、環(huán)球時(shí)報(bào)は、人民日?qǐng)?bào)甘粛支社社長(zhǎng)で、蘭州大學(xué)マスメディア學(xué)院院長(zhǎng)の林治波氏の「中國(guó)人は弱者を思いやり、日本人は強(qiáng)者を崇拝する」と題した文章を掲載した。寫真はバスの老人。
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2014年7月22日、環(huán)球時(shí)報(bào)は、人民日?qǐng)?bào)甘粛支社社長(zhǎng)で、蘭州大學(xué)マスメディア學(xué)院院長(zhǎng)の林治波(リン?ジーボー)氏の「中國(guó)人は弱者を思いやり、日本人は強(qiáng)者を崇拝する」と題した文章を掲載した。以下はその概要。
【その他の寫真】
日本の京都を訪れたことのある中國(guó)人は、中國(guó)の古都にいるような錯(cuò)覚に陥る。建築から街道、古跡、文字、景色、通行人の表情や服裝に至るまで、すべてに親近感を覚える。このような感覚は、日本と中國(guó)の距離を近づけるものだ。たとえ日本による侵略を受けたとしても、多くの中國(guó)人は依然として日本に善意の期待を持っているのだ。
しかし、日本への理解が深まると、日本と中國(guó)が似ているのは外見(jiàn)だけであり、両國(guó)は本質(zhì)的に違うということがわかる。
1987年に日本を訪れたときのある小さな出來(lái)事が深く印象に殘っている。バスに乗っていたとき、足元のおぼつかない老人がそばに立ったことに気付いた私は、すぐに立ち上がり席を譲った。しかし、思わぬことにこの老人は私に禮を言わなかったばかりか、顔に怒りの表情を浮かべて座ることを拒んだ。
私は後になって、これは日中の文化の本質(zhì)的な違いであると気付いた。中國(guó)人は弱者を思いやり、年寄りや子どもの手を引くことは義務(wù)であり、美徳だと考えている。一方、日本人は強(qiáng)者を崇拝し、弱者を見(jiàn)下す。老人に席を譲る行為は相手を弱者の地位に置くことになり、老人が不快に思うこともおかしなことではないのだ。この出來(lái)事は些細(xì)なことだが、そこから日中両國(guó)の価値観の違いがはっきりと見(jiàn)て取れる。
孫子の兵法は中國(guó)人にとって兵學(xué)の経典とされているが、一部の日本軍事思想家の考えは異なる。日本の兵法書「闘戦経」では、孫子の兵法は相手への恐れから生まれたもので、謀略を主とした正道ではない兵法としている。しかし、孫子の謀略は相手を恐れているのではなく、文化的な特性から生まれたものだ。日本人が好戦的で実力で戦うのに対し、中國(guó)人は好戦的ではなく、知力で相手を制する傾向が強(qiáng)いのだ。一部の日本人はこの點(diǎn)を誤解している。
日本人の文化的価値観の本質(zhì)は中國(guó)とは異なる。その上、日本の明治維新後の脫亜入歐により、その差はさらに鮮明になった。彼らの強(qiáng)者を崇拝するロジックでは、武力で問(wèn)題を解決する傾向が強(qiáng)い。
中國(guó)文化は根が深く、西洋文化の影響を受けにくい。日本文化は根が淺く、西洋文化の影響を大きく受ける。日本文化とは、中國(guó)と西洋の文化の混合物である。両國(guó)の本質(zhì)的な違いにより、日中関係は表向きは非常に近いようで、実際は大きく違うという狀態(tài)が作り出されている。両國(guó)の人間が同じ問(wèn)題でしばしば意見(jiàn)を異にするのは、おそらくこのことと関係があるのだろう。(翻訳?編集/北田)
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