ライチは中國(guó)から世界への贈(zèng)り物―専門(mén)家が歴史的経緯や現(xiàn)狀を紹介

中國(guó)新聞社    2023年6月2日(金) 14時(shí)30分

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中國(guó)を代表する果物と言えば、多くの人がライチを思い浮かべるだろう。楊貴妃も愛(ài)したとされる果物だ。このライチの歴史やライチにまつわる文化や交流史とはどのようなものだったのだろう。

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中國(guó)を代表する果物と言えば、多くの人がライチ(日本では「レイシ」とも)を思い浮かべるだろう。外皮をむけば、意外なほど“なまめかしい”果肉から甘い果汁がしたたり落ちる。獨(dú)特の食感があり、気高い香気が口腔と鼻腔を満たす。唐代の玄宗皇帝に愛(ài)された楊貴妃も、ライチを愛(ài)した一人だったという。ライチの歴史やライチにまつわる文化や交流史とはどのようなものだったのだろう。ライチの種子資源や開(kāi)化のメカニズムを研究してきた華南農(nóng)業(yè)大學(xué)演蕓學(xué)院の陳厚彬教授はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、ライチについて紹介した。以下は陳教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

その他の寫(xiě)真

栽培史は2000年以上、多くの詩(shī)人がライチを題材に

文獻(xiàn)によれば、中國(guó)では2000年を超えるライチの栽培史がある。ライチを扱った詩(shī)も多い。例えば唐代の詩(shī)人の杜牧(803-853年)の「過(guò)華清宮絶句」には、「一騎が紅塵を巻き上げてやって來(lái)れば妃は笑う。人は知らず、ライチが屆いたことを」という一節(jié)がある?!溉A清宮」とは楊貴妃が湯あみをしたことで知られる。つまりこの詩(shī)は、ライチの到著を喜ぶ楊貴妃の様子を描いている。

宋代の蘇軾(1036-1101年)は、「1日にライチを300粒食べる。嶺南人に生まれ育つことを辭さず」と書(shū)いている。嶺南とは南嶺山脈の南の地域で現(xiàn)在の広東省や構(gòu)成チワン族自治區(qū)などを含む。昔も今もライチの大産地だ。蘇軾は嶺南のライチが大好きで、當(dāng)時(shí)はかなりのへき地だった嶺南でも、ライチをたっぷり食べられるならば、そこに生まれ育つのも悪くないと詠んだわけだ。

ただし、當(dāng)時(shí)は実際にはライチが非常に希少な果物であり、一般の人がおいそれと食べられるものではなかった。皇室の人でも、ライチをむさぼることはせず、一粒ずつ大切に食べたという。その他、杜甫(712-770年)や白居易(772-846年)など多くの詩(shī)人が作品でライチを扱っている。

さまざまな「特徴ある品種」が登場(chǎng)、ライチの世界は広がった

ライチの原産地は雲(yún)南省の南東部で、その後、東や北に向かって広がっていった。栽培される地方は四川、重慶、海南、広西、広東、福建、ひいては臺(tái)灣などにも広がった。ただし品質(zhì)が最もよいのは、蘇軾が絶賛した嶺南のライチだ。

ライチは各地に伝わる過(guò)程で、自然の進(jìn)化や交雑および人為的な選択を経て、品種が大いに増えた。中國(guó)での栽培な品種は300から400種ある。うち、栽培面積1が約6700ヘクタール以上と、かなり広く栽培されている品種は15ある?,F(xiàn)在の中國(guó)のライチの品種の豊富さは、歴史上のどの時(shí)期をもはるかに上回っている。


過(guò)去と比べて現(xiàn)代のライチは大きく変化した。まず、さまざまな品種が登場(chǎng)したことで、ライチの収穫期が伸びた。かつては春ごろの極めて短い時(shí)期にしか収穫できなかったが、現(xiàn)在では2月から9月下旬まで6カ月以上も流通している。果実の大きさも幅が広がり、最も小さな品種は1粒が10グラム未満だが、最も大きな品種では1粒が約100グラムもある。また、種無(wú)しや種が小さい品種も登場(chǎng)した。果実の酸度は低下して糖度が上がり、果肉の繊維は少なくなった。

ライチは典型的な亜熱帯作物だ。ただし気溫が高ければよいわけではない。最も重要なことは冬にはある程度気溫が下がらなければ花を咲かせないことだ。熱帯地域でもライチを栽培することはできる。木はよく育つが、花が咲かせないので実はつかない。一方で溫帯や寒帯地域では、ライチは冬の低溫に耐えられない。一般的に、ライチの栽培地域は主に北緯18度から同24.5度の地帯だ。中國(guó)では広東省、広西チワン族自治區(qū)、福建省などが該當(dāng)する。

2023年のライチの栽培面積は約52萬(wàn)700000ヘクタールで、約26萬(wàn)4000ヘクタールの広東省が最も広い。2023年の中國(guó)のライチの総生産量は前年比31%増の329萬(wàn)トンと予測(cè)されている。

世界的に見(jiàn)ると、ライチの栽培は北半球に集中している。中國(guó)以外にはアジアならばベトナム、タイ、ラオス、インドなどだ。米國(guó)やメキシコ、さらには南アフリカ、マダガスカル、オーストラリア、ブラジルなど一部の南半球諸國(guó)でも栽培されている。しかし栽培規(guī)模はいずれも小さい。これらの國(guó)の消費(fèi)者がライチにさらになじんでいけば、世界のライチ栽培は大きく広がる可能性がある。

遺伝資源とライチ文化を後世にしっかり殘すことがわれわれの責(zé)務(wù)

中國(guó)の古人は豊富なライチの遺伝資源を殘してくれた。われわれには、この貴重な資源を保護(hù)する責(zé)任がある。私は、ライチの古樹(shù)の集中している地域を國(guó)家ライチ遺伝資源區(qū)に指定して保護(hù)することを提案する。

同時(shí)に、ライチの伝統(tǒng)文化を掘り起こし、発揚(yáng)せねばならない。ライチの古樹(shù)は1カ所に根を張り、1000年の長(zhǎng)きにわたりさまざまな自然災(zāi)害を防ぎ、しかも毎年、果実を提供してくれた。粘り強(qiáng)さを示すライチの古樹(shù)は學(xué)ぶ価値がある。

嶺南では2000年の歴史を通じてライチの栽培が地域の特色ある農(nóng)業(yè)文化遺産を形成した。ライチ精神は嶺南人々の精神文化の構(gòu)成部分になった。全國(guó)的に見(jiàn)ても、ライチの文化遺産は極めて中國(guó)的な特色を持ち、かつ世界的な影響力を持つ。その保護(hù)と発展させるための研究をすることは重要な意義を持つ。

ライチが世界的に広く知られるようになったのは19世紀(jì)だった?,F(xiàn)在では新鮮なライチが歐米諸國(guó)にも輸出されている。ライチは中國(guó)から世界への贈(zèng)り物だ。中國(guó)は世界の栽培植物の起源の中心の一つでもある。ライチは中國(guó)と外國(guó)の文明が打ち解け合う上で重要な役割を演じてきた。ライチという特色ある果物は世界各國(guó)の人々の食の世界を広げたことになる。

中國(guó)としては今後、ライチ遺伝資源區(qū)の整備に力を入れねばならない。ライチの遺伝資源バンクを構(gòu)築して、良質(zhì)で貯蔵や輸送に強(qiáng)いライチの新品種をより多く開(kāi)発し、特色あるライチ産業(yè)の質(zhì)の高い発展を後押しし、栽培農(nóng)家の増収を促進(jìn)し、農(nóng)村の振興と、都市と農(nóng)村の共同富裕を後押しせねばならない。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見(jiàn)解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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