<日本人の忘れられない中國>日本語を話せるお姉さんから突然の電話、なぜ助けてくれるのか聞くと…

日本僑報社    2023年4月29日(土) 20時0分

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「中國語が話せないので、英語か日本語で話してもらえませんか」と事前に調べた中國語を頭の中で唱えながら電話に出ました。

父の仕事の関係で中國への渡航が決まり、中國の現地校國際部で高校生活を送ることに決めた私は今年の4月、ついに中國に入國できることになりました。しかし當時はコロナウイルスの関係で入國ができず、1年間現地校の授業(yè)をオンラインで受けることになりました。

全く中國語が話せなかったのは、學年で私一人だけ。本來なら隣の友達に質問できる場面でも、オンラインではそれができません。休み時間は中國に渡れず日本から授業(yè)を受けている同じ境遇の友達とメッセージアプリを通して會話をしていました。畫面越しに見える、友達がいろいろな言語を使って先生やクラスメートと話している姿。早く中國に渡りたいな、教室で友達と一緒に授業(yè)を受けたいな、友達と話せるようになりたいな。そう思いながら、1年間を過ごしました。

そして2年生の春、私はついに中國へ渡航できるようになりました。待ちに待った渡航日、飛行機を降りると全身防護服に包まれたスタッフの方がPCR検査場まで連れて行ってくれました。検査場では、1年間オンライン授業(yè)で學んだたどたどしい中國語を使いながら何とか自分の伝えたいことを伝えることができました。

1年間中國語で授業(yè)を受けていたとはいえ、學校の先生以外の中國語を聞くのは、この時が初めて。「ここに荷物を置いてください」「一人ずつ部屋に入ってください」指示を聞き逃さないよう、今まで學校で習った単語を一つ一つ思い出しながら頭をフル回転させました。自分でスタッフさんからの指示が聞き取れたこと、最後に謝謝!と伝えたらスタッフさんが「ありがとう」と日本語で返してくれたこと。初めて交わす中國の方とのコミュニケーションはどれもその時の私にとってはとても新鮮な出來事でした。

しかし、稅関検査の前の書類記入で分からなかった所を聞こうとスタッフの方に近づいた時に、「近づくな!ディスタンスを保て!」と長い棒を振りながら怒られてしまいました。たしかにこのコロナ禍で外國から入國してきたばかりの人を避けたいという気持ちは分かります。しかしそんなにはっきりとばい菌扱いをしなくてもいいのにな、と少し悲しくなりました。そして隔離ホテルに到著し、バスを降りるとスタッフの方に「荷物を消毒するからすべての荷物をあそこに置いて!」「置き終わったらあなた達はあっちで手や靴などを消毒してきて!」とすごい剣幕で言われました。もしかしたら本當はただ大聲で指示を出していただけかもしれません。しかしその時の私にはすべての中國語が怒っているように聞こえていました。

部屋に入って數時間が経ったとき、部屋に1本の電話がかかってきました。中國語で話されるのが怖くなっていた私は、「中國語が話せないので、英語か日本語で話してもらえませんか」と事前に調べた中國語を頭の中で唱えながら電話に出ました。しかし電話に出ると、「私は日本語が話せるこのホテルで隔離中の者です」とまさかの日本語が聞こえてきました。その日本語の話せるお姉さんは、私にこの後の流れや隔離中のルールなどを説明してくれました。後で分かったことなのですが、その方はホテルのスタッフさんからホテルに泊まっている日本人全員に電話を回すよう言われていたらしく、數十部屋に電話をかけていたらしいです。

隔離開始から數日後、またお姉さんから電話がかかってきました。私はお姉さんに、「どうして數十部屋に電話を回すという大変な仕事を引き受けたのですか」と質問しました。答えは、お姉さんが中國から日本に留學した時に、たくさんの日本人が優(yōu)しくお姉さんにいろいろなことを教えてくれたから、だそうです。あの時助けてもらったから。きっとお姉さんは助けてもらった恩返しとして中國で困っている日本人を助けてくれたのだと思います。でも、お姉さんは「日本人だから」助けてくれたのではないと私は思います。困っているときに誰かが手を差し伸べてくれることがどれだけ安心するのかをきっとお姉さんは理解していたから仕事を引き受けたのでしょう。そんな名前も連絡先も知らないあのお姉さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

3週間の隔離生活を終え、私は今中國で新しい生活を始めています。まだコミュニケーションが取れるほどの語學は身につけられていないため、お店の店員さんなどとは簡単な中國語とジェスチャーを使ってコミュニケーションをとっています。そんな私にも、よく行くスーパーの店員さんはセルフレジのやり方を教えてくれたり、お店の中に忘れ物をしていたら教えてくれたりします。學校はコロナウイルス流行の関係でまだ行けていませんが、いつかコロナウイルスが収まり普通の日常が戻ってくるその日を楽しみに、今は中國での生活を満喫しています。

私もこれから中國語と英語を勉強し、困っている方を助けられるような、素敵な人になりたいです。

■原題:あの時助けてもらったから

■執(zhí)筆者プロフィール:若林 実里(わかばやし みさと)高校生 2005年に福岡県で生まれ、三歳の時に東京都に引っ越す。小學4年生の夏休みに父の仕事の関係でマレーシア?クアラルンプールに引っ越し、日本人學校に通う。中學3年の夏、現在父が勤務している中國の高校に通うことを決める。日本で1年間の待機期間を経て、現在中國深圳で中國生活満喫中。最近のブームは語學學校からの帰りに近所の市場でおいしい野菜を買うこと。

※本文は、第5回忘れられない中國滯在エピソード「驚きの連続だった中國滯在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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