<ウクライナ危機(jī)>50年代の朝鮮戦爭(zhēng)と酷似、一進(jìn)一退の消耗戦後に“戦爭(zhēng)凍結(jié)“か

村上直久    2023年3月28日(火) 5時(shí)0分

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ウクライナ戦爭(zhēng)はロシアによる核兵器使用の脅しが影を落とす中で、東部ドネツク州の要衝バフムートの攻防戦を軸に一進(jìn)一退のこう著狀態(tài)となっている。

ウクライナ戦爭(zhēng)はロシアによる核兵器使用の脅しが影を落とす中で、東部ドネツク州の要衝バフムートの攻防戦を軸に一進(jìn)一退のこう著狀態(tài)となっている。両者とも和平交渉には関心を示さず、戦爭(zhēng)の終結(jié)は見通せない。ロシアは「併合」を宣言したドネツク州など東部、南部の四州は自國領(lǐng)だと主張。一方、ウクライナはクリミア半島を含むロシアの占領(lǐng)地域からロシア軍を追い出すことが最低ラインだと主張。こうした中で、ウクライナ戦爭(zhēng)と1950年代の朝鮮戦爭(zhēng)の類似性を指摘する西側(cè)の専門家は、ウクライナ戦爭(zhēng)で戦闘が終結(jié)しても、戦爭(zhēng)自體は終わらず、朝鮮戦爭(zhēng)のようにずるずると休戦狀態(tài)が続く可能性を指摘している。言い換えれば“戦爭(zhēng)の凍結(jié)“だ。

代理戦爭(zhēng)後に休戦狀態(tài)に

ウクライナ戦爭(zhēng)と朝鮮戦爭(zhēng)にはいくつかの共通點(diǎn)がある。ここでは3點(diǎn)挙げてみよう。まず、開戦の端緒となった決定は、朝鮮戦爭(zhēng)が事実上ソ連によって、ウクライナ戦爭(zhēng)がソ連を継承したロシアによって下されたこと。代理戦爭(zhēng)の色合いが濃いこと。朝鮮戦爭(zhēng)では北朝鮮、ウクライナ戦爭(zhēng)ではウクライナがそれぞれソ連、米國の“代理“として戦っているとの見方があること。そして、朝鮮戦爭(zhēng)では國連軍の主力を務(wù)めた米國が、ウクライナ戦爭(zhēng)ではロシアが核兵器使用の脅しをかけたことだ。朝鮮戦爭(zhēng)では國連軍を指揮したマッカーサー元帥が米國のトルーマン大統(tǒng)領(lǐng)に26発の原爆をソ連と中國に投下することを進(jìn)言したが、卻下された。

ここで朝鮮戦爭(zhēng)の開戦をめぐる流れをたどってみよう。1950年1月、米國務(wù)長官アチソンが「米國が責(zé)任を持つ防衛(wèi)ラインはフィリピン~沖縄~日本~アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責(zé)任を持たない」と発言した。當(dāng)時(shí)の北朝鮮の指導(dǎo)者、金日成総書記はこれを聞いて西側(cè)陣営の韓國放棄と受け取った。同年3月、ソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成に対して、中華人民共和國成立(49年)後のアジア情勢(shì)の変化を受けてか、毛沢東の許可を得ることを條件にソ連共産黨のスターリン書記長は韓國進(jìn)攻を容認(rèn)。同年5月、訪中した金日成は韓國侵攻を中國が援助するとの約束を取り付けた。同年6月、北朝鮮が國境を越え、韓國に侵攻した。朝鮮半島を武力で統(tǒng)一しようと考えたのだ。

當(dāng)初、北朝鮮軍は韓國軍を圧倒し、朝鮮半島南端近くまで追い詰めたが、米軍主體の國連軍が仁川に“奇襲上陸”。その後、北朝鮮軍を中國國境近くまで押し返した。しかし、北朝鮮を支援する數(shù)十萬人の中國軍の參戦もあり、韓國軍は再び押し戻された。その後51年5月までには戦況はこう著狀態(tài)となった。

停戦気運(yùn)高まる?

こうした中でスターリンは停戦に反対した。同氏は51年6月、毛沢東に送った書簡(jiǎn)の中で、「戦爭(zhēng)が長引けば、中國軍は戦場(chǎng)で近代的戦闘技術(shù)を磨く時(shí)間を稼げるとともに、米國のトルーマン政権の足元を揺るがすことができる」と指摘した。

朝鮮半島で停戦に向けた機(jī)運(yùn)が高まり始めたのは53年3月のスターリンの死去の後だった。休戦協(xié)定は53年7月27日に板門店で署名された。和平協(xié)定が締結(jié)されたわけではなく、法的には戦爭(zhēng)狀態(tài)が今でも続いている。

ウクライナ戦爭(zhēng)はバフムートでみられるように、朝鮮戦爭(zhēng)の一時(shí)期のように消耗戦の局面に入っている。ウクライナ戦爭(zhēng)は朝鮮戦爭(zhēng)のパターンをたどるのだろうか。

米ジョンズ?ホプキンズ大學(xué)大學(xué)院のセルゲイ?ラドチェンコ教授(國際関係論)は米紙ニューヨーク?タイムズのオピニオン欄への寄稿で、ウクライナ、ロシアの雙方とも現(xiàn)時(shí)點(diǎn)での停戦には消極的だが、「今後數(shù)カ月以內(nèi)に、どちらも大幅な前進(jìn)を勝ち取ることが出來なければ、停戦に向けた機(jī)運(yùn)が高まるだろう」との見方を示した。そのうえで、「武力紛爭(zhēng)を凍結(jié)することは理想的な帰結(jié)ではないものの、朝鮮戦爭(zhēng)を振り返れば教訓(xùn)を得ることができ、それは、凍結(jié)された戦爭(zhēng)は全面的な敗退や過酷な消耗戦よりましだというものだ」と強(qiáng)調(diào)?,F(xiàn)在の韓國の繁栄は、同國が戦爭(zhēng)に勝利したというより、「平和を勝ち取った」ことを意味するとの見解を表明した。

ウクライナ戦爭(zhēng)の出口はあるのか。それとも凍結(jié)に向かっているのか。今後の展開から目が離せない。

■筆者プロフィール:村上直久

1975年時(shí)事通信社入社。UPI通信ニューヨーク本社出向、ブリュッセル特派員、外國経済部次長を経て退職。長岡技術(shù)科學(xué)大學(xué)で常勤で教鞭を執(zhí)った後、退職?,F(xiàn)在、時(shí)事総合研究所客員研究員。學(xué)術(shù)博士。

※本コラムは筆者の個(gè)人的見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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