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母が來日した時(shí)のある場面がよく頭に浮かびます。寫真は07年8月、両親と甥っ子と東大寺を訪問した時(shí)のもの。
母が來日した時(shí)のある場面がよく頭に浮かびます。まだ留學(xué)生だった頃、両親は學(xué)業(yè)などで何年も中國に帰れなかった私と會(huì)うために日本に來てくれました。せっかく來てくれたからと東京や京都へ観光に連れていきました。ある日、東京でバスの乗り換えをしていた際に、先に降りた私が後についているはずの母を振り返ると、母は降りたバスのドアの近くで、身體障害者が下りてくるのをじっと見ていました。
周りは誰一人、身體障害者のことを特別視せず、自然體で動(dòng)いているのに、母だけがじっと見ていました。あまり見かけない日本の身體障害者の様子を珍しがっていたのだろうか、と私はとても恥ずかしくなり、思わず明らかに不機(jī)嫌な聲で「お母さん、何をしているの。早く來てよ」と母を呼びました。私の不機(jī)嫌さが伝わり、母は何かを間違えた子どものように緊張してついてきました。「何か手伝えることがあるかなと思ったのよ」と母がつぶやきました。そういうことだったのか…。母を誤解したことが分かり、私は自責(zé)して母に謝りました。それ以降、観光客や在日外國人に関する異文化エピソードが出るたびに、私はこの出來事を思い出してしまいます。娘でさえ母の異國における言動(dòng)を誤解してしまうのだから、思い込みや先入観で異なる文化背景を持つ人の言動(dòng)を勝手に判斷できないとつくづく思います。
私は自分の目を信じましたが、目に入ったことの背景や意味を必ずしも理解していませんでした。上記のことで中國の古典「顔回の盜み食い」を思い出しました。孔子は弟子たちが食糧に困った時(shí)に、弟子の顔回がどこからかもらった米でご飯を炊き始めました。しばらくして孔子は顔回がご飯を手でつかんで食べるところを見かけました。しかし、実際はご飯に木炭の灰が落ちてしまったため、顔回がそれを捨てるのがもったいなくて食べたのです。それを聞いた孔子は、「人は自分の目を信じるが、見たものがすべて信用できるとは限らない。人は自分の心に頼るが、自分の心があてにならないときもある。弟子たちよ、人を理解するのは簡単ではないことを覚えなさい」と戒めました。
日本語には「以心伝心」という言葉があります。中國語にも似ている表現(xiàn)があり、「心有靈犀一點(diǎn)通」といいます。しかし、それはとても親しい仲間同士なら當(dāng)てはまるかもしれませんが、汎用するのは難しいでしょう。まして、異なる文化背景や習(xí)慣を持つ人に対して、相手の表面上の言動(dòng)を見聞きするだけで自分または自分たちの価値観や基準(zhǔn)で決めつけるのは、誤解が生じてしまう恐れがあります。相手を正しく理解しようとする気持ちを持ってコミュニケーションを重ねていく努力が、多文化共生社會(huì)では何より大事なことでしょう。
■筆者プロフィール:武 小燕
中國出身、愛知県在住。中國の大學(xué)で日本語を?qū)Wんだ後、日系企業(yè)に入社。2002年に日本留學(xué)し、2011年に名古屋大學(xué)で博士號(hào)(教育學(xué))を取得。単著『改革開放後中國の愛國主義教育:社會(huì)の近代化と徳育の機(jī)能をめぐって』、共著『変容する中華世界の教育とアイデンティテ?!?、『歴史教育の比較史』、研究報(bào)告書『多文化世帯に生きる子どもたちの言語習(xí)得に関する実証研究:愛知県における中國系世帯とブラジル系世帯の比較を通して』などがある?,F(xiàn)在名古屋付近の大學(xué)で研究と教育に取り組んでいる。一児の母として多文化教育を?qū)g踐中。教育、子育て、社會(huì)文化について幅広く関心をもっている。
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