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香港誌「亜洲週刊」は毛峰東京支局長(zhǎng)によるANAホールディングスの芝田浩二社長(zhǎng)に対するインタビュー記事を発表した。ANAグループ、そして芝田社長(zhǎng)個(gè)人も中國(guó)との強(qiáng)い絆を持ち続けてきた。寫(xiě)真は毛峰氏提供。
香港誌「亜洲週刊」はこのほど、毛峰東京支局長(zhǎng)の署名入りの、ANAホールディングスの芝田浩二社長(zhǎng)に対する獨(dú)占インタビュー記事を発表した。芝田社長(zhǎng)は東京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)で中國(guó)語(yǔ)を?qū)煿イ贰?979年から81年にかけては休學(xué)して北京の日本大使館に勤務(wù)した。卒業(yè)後はANAに入社。中國(guó)語(yǔ)や英語(yǔ)に堪能な能力などを生かして、歐州やアジア戦略を擔(dān)當(dāng)するなどでANAの國(guó)際化を支え、グループの経営戦略立案なども行った。そして2022年4月1日付で、ANAホールディングス代表取締役社長(zhǎng)に就任した。以下は、亜洲週刊の毛東京支局長(zhǎng)によるインタビュー部分の抄訳だ。
毛:
全日空は今年で創(chuàng)立70周年です。この2年余りの新型コロナウイルス感染癥の影響を受けた特別な時(shí)期を除いて経営業(yè)績(jī)は素晴らしいもので、多くの分野で「アジアで一番」を達(dá)成してきました。成功の秘訣は何でしょう。
芝田浩二社長(zhǎng)は學(xué)生時(shí)代に中國(guó)語(yǔ)を?qū)煿イ贰⑼饨还伽谓U験もあるという、大企業(yè)のトップとしては異色の経歴の持ち主だ
芝田:
全日空は純粋な民間航空會(huì)社として創(chuàng)業(yè)して以來(lái)、二つの精神を引き継いできました。美土路昌一初代社長(zhǎng)が唱えた「和協(xié)」と「今は貧しくとも將來(lái)に希望を持つ」のチャレンジ精神です。
まさにANAの創(chuàng)業(yè)以來(lái)の経営の根幹にあるDNAで、従業(yè)員が互いに理解し互いを思いやり、困難に直面しても未來(lái)に向けて挑戦し続けるのです。この調(diào)和の精神と挑戦の精神が全日空に代々受け継がれ、ANAの大きな柱となり、事業(yè)の発展にも浸透しました。
全日空の事業(yè)は最初の35年は政府の政策で制限されて、基本的に國(guó)內(nèi)線(xiàn)に支えられました。國(guó)際線(xiàn)は1986年の開(kāi)始です。経験とノウハウに乏しかったANAは、香港のキャセイパシフィック航空による研修を受けました。國(guó)際線(xiàn)は就航してから赤字が続き、國(guó)內(nèi)線(xiàn)の黒字で埋めることで、全體の収益バランスをとって會(huì)社を成長(zhǎng)させました。99年は(國(guó)際的な航空會(huì)社の連合組織である)スターアライアンスに加盟した転換の年でした。國(guó)際線(xiàn)の業(yè)績(jī)は改善され、2004年からは黒字を続けました。國(guó)際線(xiàn)と國(guó)內(nèi)線(xiàn)のハイブリッドミックスは黒字を維持し、ANAは日本最大の民間航空グループになりました。
今後3-5年の中期経営戦略でもありますが、柱となる航空事業(yè)の著実な成長(zhǎng)を確保し、中核となる國(guó)際線(xiàn)の回復(fù)と拡大を進(jìn)めることが、今後の最大の試練だと考えています。そのためには、人材の確保が特に重要です。人は力です。従業(yè)員の働き方改革や給與としての還元などを行い、企業(yè)への帰屬感、栄譽(yù)感、責(zé)任感を高める必要があります。
毛:
芝田社長(zhǎng)は東京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)の中國(guó)語(yǔ)學(xué)科を卒業(yè)し、北京の日本大使館にも2年間勤務(wù)されました。日本の巨大企業(yè)のトップとしては異例です。中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)するようになったことに、どのような不思議な縁がおありだったのでしょうか。
芝田:
私と中國(guó)には確かに獨(dú)特の縁があります。今まで中國(guó)に行ったのは400回を超えました。昔、私の部屋には「黃鶴樓送孟浩然之広陵(黃鶴樓にて孟浩然の広陵にゆくを送る)』の詩(shī)が飾られていました。葡萄の美酒と夜光杯の詩(shī)もありました。日本國(guó)民は高校生になれば漢文や漢詩(shī)を習(xí)うのです。詩(shī)としては李白、杜甫、王維などの詩(shī)人の作品を?qū)Wびます。私はそのころから中國(guó)にとても興味があり、漢詩(shī)の勉強(qiáng)を通して中國(guó)の魅力を想像していました。
1972年には日中の國(guó)交が回復(fù)し、遠(yuǎn)く離れていた中國(guó)が一気に身近になりました。これからは自分の目で中國(guó)を見(jiàn)て感じられるようにと、大學(xué)受験時(shí)に中國(guó)語(yǔ)専攻を志し、76年には東京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)に入學(xué)できました。しかし、當(dāng)時(shí)は一般の日本人にとって中國(guó)へ行くのは容易ではなく、ビザが必要で、観光も難しかった。組織された日中友好青年の船でしか行けない狀況で、私は他の方法を探さねばなりませんでした。
芝田氏は中國(guó)人客室乗務(wù)員の研修を擔(dān)當(dāng)した際に、中國(guó)語(yǔ)の能力を大いに発揮した
そして日本の外務(wù)省が2年間の短期外交官?lài)谟毬殕Tを募集していることを知り、試験を受けて合格したので、北京の日本大使館で2年間勤務(wù)することになったのです。この2年間の職歴は、まるで昨日のことのように鮮明によみがえってきます。一番感じたのは、日本とは全く違う世界に來(lái)たということです。會(huì)って接した中國(guó)人はどの人も親切で友好的で、特に子どもたちにはとても優(yōu)しい人々でした。
そんなわけで、私は大學(xué)での學(xué)業(yè)を終えるのに6年かかりました。そして、82年に卒業(yè)して全日空に就職しました。當(dāng)時(shí)は全日空に國(guó)際線(xiàn)がなかったので、いつか必ず國(guó)際線(xiàn)の定期便を?qū)g現(xiàn)しようと秘かに決意し、そのためにいろいろと準(zhǔn)備をしました。その後、中國(guó)各地へのチャーター便が続々と実現(xiàn)し始めました。特に印象に殘っているのはアモイ線(xiàn)です。85年當(dāng)時(shí)のアモイ空港は外國(guó)の航空會(huì)社の航空機(jī)乗り入れが常に難しかったのです。いろいろと紆余曲折がありましたが、全日空は外國(guó)の航空會(huì)社として初めてのアモイ空港への乗り入れ許可を得ました。
全日空は中國(guó)民用航空局と古くから関係を持ち続けています。あまり知られていないのですが、中國(guó)民用航空局の客室乗務(wù)員研修は全日空が擔(dān)當(dāng)することになりました。私は84年と85年に國(guó)際部に所屬していて中國(guó)語(yǔ)もできたので、中國(guó)人客室乗務(wù)員の研修や受け入れとその調(diào)整を擔(dān)當(dāng)しました。また、パイロットの訓(xùn)練も擔(dān)當(dāng)しました。中國(guó)の客室乗務(wù)員は皆、美しくて優(yōu)しくて、頭もよかったですね。忘れられない経験です。
全日空で研修を受けた中國(guó)人客室乗務(wù)員の第1期生。全日空には中國(guó)の航空會(huì)社との深いつながりがある
毛:
全日空グループは中國(guó)と縁が深く、中國(guó)路線(xiàn)は全日空の國(guó)際線(xiàn)の中で最も高い割合を占めています。全日空グループとしての今後の中國(guó)での事業(yè)展開(kāi)について、どのようにお考えですか。
芝田:
全日空は2代目の岡崎嘉平社長(zhǎng)から中國(guó)と良好な関係を保ってきました。長(zhǎng)い年月をかけて岡崎氏の精神を受け継ぎ、中國(guó)との健全な関係を維持してきました。87年に全日空が最初の中國(guó)路線(xiàn)を開(kāi)設(shè)してから35年になりますが、中國(guó)市場(chǎng)の開(kāi)拓に力を入れ、中國(guó)路線(xiàn)の航空便を積極的に拡大してきました。全日空は新型コロナウイルス感染拡大前の2019年まで、中國(guó)本土の北京や上海など10都市への直行便を週に182便も運(yùn)航していました。全日空の國(guó)際線(xiàn)に占める中國(guó)路線(xiàn)の割合は25%に達(dá)しました。また、全日空は中國(guó)國(guó)際航空とのコードシェアなど、中國(guó)の航空會(huì)社との連攜を強(qiáng)化してきました。全日空の成長(zhǎng)は中國(guó)事業(yè)の拡大に支えられており、今後も中國(guó)市場(chǎng)を積極的かつ著実に開(kāi)拓していく方針です。
急務(wù)であるのは、新型コロナの影響で欠航している便の早期再開(kāi)です。その次には新規(guī)路線(xiàn)の開(kāi)拓や既存路線(xiàn)の増便に著手します。全日空グループには、旅客輸送のANA、LCCのピーチ?ジャパン、さらにエアー?ジャパンという3つのブランドがあります。今後はそれぞれの事業(yè)領(lǐng)域や特徴を生かして中國(guó)やアジアでの事業(yè)を拡大していきたいと考えています。
日中両國(guó)は一衣帯水の隣國(guó)です。中國(guó)語(yǔ)には「取長(zhǎng)補(bǔ)短(長(zhǎng)所を取り入れ短所を補(bǔ)う)」と「互尊互敬(互いに尊敬し合う)」という言い方があります。これは日中両國(guó)の人々が尊重し理解し合うことを深めるための、非常に重要な「座右の銘」です。相互理解は人と人とのつながりの基礎(chǔ)であり、往來(lái)の強(qiáng)化はつながりを促進(jìn)する重要な手段です。人と人との相互往來(lái)を推進(jìn)し促進(jìn)する重要な手段である絆が航空事業(yè)であり、航空事業(yè)は「空の懸け橋」です。
全日空の新社長(zhǎng)として、全日空グループの3つのブランドの強(qiáng)みを生かし、「和協(xié)」と「挑戦」の企業(yè)精神を堅(jiān)持し、全日空の中國(guó)とアジアでの事業(yè)を効果的に定著させ拡大し、日中の空の懸け橋の新たな案內(nèi)役としての役割を果たしていきたいと考えています。(翻訳?編集/如月隼人)
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