ウクライナの「失敗」と「強靭性」

大村多聞    2022年3月14日(月) 7時0分

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プーチン?ロシアの狂気ともいえる國際法無視のウクライナへの軍事侵攻?市民の大量殺害についていかなる非難をしても足りない。

プーチン?ロシアの狂気ともいえる國際法無視のウクライナへの軍事侵攻?市民の大量殺害についていかなる非難をしても足りない。同時に危険極まりないロシアの隣に位置する地政學上もっとも危険な場所に位置するウクライナには獨立後の安全保障に抜かりがあったことも指摘せざるを得ない。しかし數(shù)々の失敗を乗り越えたウクライナの獨立への意思の強靭さも思い起こしたい。

◆非核化時のブタペスト合意

1991年12月獨立時のウクライナには舊ソ連より殘された英?仏?中の合計を上回る核兵器が殘された。1993年10月に実施されたウクライナの世論調(diào)査ではロシアを脅威に感じる國民の66%が核保有継続を支持した。しかし非核化政策を推進する米國とロシアの圧力によりウクライナ政府は國民の懸念に反して核兵器をロシアに引き渡し非核化を?qū)g現(xiàn)した。その見返りに1994年12月ロシアの武力行使を禁じる「ブタペスト合意」を米?露?英?ウクライナで締結(jié)した?!弗芝骏讠攻群弦狻工摔蠂B安全保障常任理事國の仏?中も後に署名している。內(nèi)容骨子は次のとおりである。

1:ウクライナの獨立?主権?國境の尊重、2:ウクライナへの武力の行使?威嚇を行なわない、3:ウクライナへの核攻撃には國連安保理の行動を要請する、4:ウクライナに対して核兵器を使用しない、5:これら約束に関する問題発生には他の関係國と協(xié)議する。

今回のロシアのウクライナ侵攻はブタペスト合意を全く無視するものである。注目すべきは中國も署名しているが今のところ中國の対応には「ブタペスト合意」署名の當事者意識は見られない。國連憲章等の條約さえも守らず武力行使を行いさらに核の脅しを行うロシアの脅威について覚書で満足した當時のウクライナはあまりに甘かったと言えよう。

◆通常戦力の劇的削減

1991年の獨立から2014年のロシアによるクリミア併合までウクライナは通常戦力を劇的に削減した。1:陸軍兵力17萬人を6000人に減らし、通常兵器を獨立時の10分の1に削減、2:黒海艦隊の大部分をロシアに譲り航空巡洋艦を中國に売卻、3:戦略爆撃機44機を処分した。さらにクリミア半島のセバストポリ市にロシア軍基地を殘した。ウクライナ軍の予算は徹底的に削減され軍幹部は兵器切り売り代金を著服するという腐敗が生じた。

2014年2月のロシア軍のクリミア半島侵攻時にウクライナは軍事的に無抵抗で、當時のティモシェンコ首相の國防會議での発言は「兵士は武器を持つな。ウクライナは世界で最も平和を愛する民族であることを訴えるのみだ。それは領(lǐng)土を守る唯一のチャンスだ」。

國際社會はロシアを非難しても自ら戦おうとしないウクライナへの軍事支援は皆無であったことは當然である。まさに「平和ボケ」と言えよう。

◆國策の変動「NATO加盟の封印」

2008年4月ウクライナとジョージアはNATO加盟のための行動計畫への參加を要請した。ロシア?プーチンの圧力で獨?仏は難色を示したが米國のとりなしでとりあえず前に進むことになった。すかさずロシアは翌5月ジョージアに武力行使をしてジョージアのNATO參加を阻止した。NATO加盟承認には全加盟國の賛成が必要であり、紛爭國の加盟は事実上不可能であることを見越したロシアの実力行使であった。

2010年登場の親露派のヤヌコヴィッチ大統(tǒng)領(lǐng)は改めてウクライナのNATO參加要請を凍結(jié)した。NATOは「加盟國の一國が武力攻撃を受けた場合、それは全加盟國への攻撃とみなされ、全加盟國が反撃する」という専守防衛(wèi)の條約であり、NATO加盟國は歴史上一度も攻撃を受けていない。NATO非加盟を選択したからにはウクライナは他國からの軍事侵攻に対して獨力で立ち向かうしかない途を選択したことになるが、このことを國民がどこまで自覚したのか疑問である。

◆未熟な民主主義

ヤヌコヴィッチ大統(tǒng)領(lǐng)は2013年11月EUとの連合協(xié)定調(diào)印一週間前に締結(jié)停止したことを発端として國民の反発を招き結(jié)局2014年2月クリミア経由ロシアに逃亡したが、その逃亡日にロシア軍がクリミアに軍事進攻しその後ロシアがクリミアを併合した。今となってヤヌコヴィッチは売國奴とされているがその不適切な指導(dǎo)者を選択したのはウクライナの未熟な民主主義であったと評さざるを得ない。

◆ウクライナ獨立意志の強靭性

第一次大戦中1917年11月の「ウクライナ國民共和國」獨立宣言を認めないソビエト?レーニンの赤軍とウクライナは4年間にわたり壯絶な「ソビエト?ウクライナ戦爭」を戦った。ウクライナは赤軍と反革命白軍の雙方から攻撃され甚大な被害を被ったうえ敗戦となり1922年ソビエトの支配下に入った。

スターリンはウクライナ民族主義を根絶するために1932~33年人為的飢饉を作り出しウクライナ人400萬人を餓死させるジェノサイドを行った。ウクライナ農(nóng)民に収穫減に反比例する調(diào)達増を課し食物を隠し持つ農(nóng)民を死刑に処した。人は飢えてネズミ?木の皮?葉?そして人肉まで食べ、全員死に絶えた村もある。隣のロシアでは飢饉被害はなかったことがジェノサイドの証左である。ロシアは長く事実を隠ぺいした。それでも生き殘ったウクライナ人の獨立への意思を根絶できなかった。

第二次世界大戦中の1941年6月ウクライナ民族主義者組織が「ウクライナ」獨立宣言をしている。この時も結(jié)局ソ連に制圧されたが殘黨は西ドイツに逃れKGBに殺害される1959年まで地下活動を行いウクライナ民族主義の強靭さを示した。

ウクライナは1991年に獨立し、17世紀のコサック國家から実に350年後に獨立の夢を果たした。しかしソ連邦解體による「棚ぼた」的獨立であったことがその後のウクライナの甘さを招いたともいえよう。

今回のウクライナの主権を無視するロシア軍の侵攻により仮にウクライナがロシア軍に制圧されても歴史上示されたウクライナの獨立への意思の強靭さが殘っていればウクライナ人は抵抗を続けると思われる。

■筆者プロフィール:大村多聞

京都大學法學部卒、三菱商事法務(wù)部長、帝京大學法學部教授、ケネディクス(株)監(jiān)査役等を歴任。総合商社法務(wù)部門一筋の経歴より「國際法務(wù)問題」の経験?知見が豊富。2021年に(株)ぎょうせいから出版された「第3版 契約書式実務(wù)全書1~3巻」を編集?執(zhí)筆した。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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