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2020年1月18日、私用で訪れていた山東省済南市から日本に一時帰國した。寫真は筆者が顧問を務めるボランティア団體で中國の希望小學校に訪問した際の全體寫真。
2020年1月18日、私用で訪れていた山東省済南市から日本に一時帰國した。スタートアップで立ち上げた會社の事業(yè)がようやく動き出すことになって、私は春節(jié)前の休暇を日本で過ごそうと考えていた。
日本に戻ってから日にちが経つごとに、新型コロナウイルス感染癥のニュースを耳にする機會が増えていく。中國から一時帰國する前にも正體不明のウイルスがあるかもしれないという話を聞いていたが、まさかここまで大きな出來事になるとは、誰が想像しただろうか。
私は中國の大學に進學したことで、人生を大きく変革することができた。だからこそ、教育という手段で日本?中國に恩返しし、貢獻したいと強く思い、學業(yè)では教育を専攻し、學外では日中民間交流を促進するため日本人留學生會の代表として、學內での日中交流會、北京日本大使館での日中友好成人式などのイベントを企畫した。將來教育で事業(yè)を起こすため、いかに効率よく経験を積むかを熟考し、2015年に學部を終えた私は東京に戻り「北京語言大學東京?!工温殕Tとなった。日本全國の高校?日本語學校に足を運び、多くの學生、教職員たちに中國の魅力や中國語學習による將來のキャリア形成などを説いてきた。
元々2年間働いてから中國政府奨學金を申請して大學院に戻ろうと決めていた私は、予定通り2017年から修士課程に進學し、よりレベルの高い研究とインターンシップという形で中國社會で実踐を積んできた。そして2019年の修士修了間近のタイミングで中國人の友人と教育関係の會社を立ち上げることを決意し、新一線都市No.1の成都を訪れた。大學時代から6年以上の時間を過ごした北京から離れるかについて迷ったが、知り合いが誰もいない中で1から仕事を立ち上げる過程に挑戦したいという思いから決斷をした。聞き取りづらい四川訛りの中國語、北京で食べるのとは比較にならない本場の四川料理の激辛、常に濕気が強い南國気候、慣れないことが多い中でも忙しく仕事をしたことを覚えている。
このように、自分で語るのもおこがましいが、學部時代に掲げた目標に向けて順調に歩んでくることができたと思っていた、その時までは…。
新型コロナウイルス感染癥が蔓延し始め、中國への入國が出來なくなり、會社の狀況も日に日に悪化、最終的には登記人だった中國の友人とも音信不通になり、事実上の倒産という最悪の狀態(tài)。東京に戻ってきても何ができるか分からず、また外出自粛ムードで仕事もできない、そんな逆境の中でも私が信念を曲げずにやり続けてきたのは日中交流活動だった。
連日のように取り沙汰される新型コロナウイルスのニュースから、中國に対する國民感情が悪下していく姿は、2012年尖閣諸島國有化問題が起こった時のことを思い出させた。當時の私は北京で學生をしており、現(xiàn)地での時代の変革や中國人との対話を経験したことがきっかけとなり、日本と中國の友好に攜わっていきたいと夢を描くようになった。それから9年の時が経ち、今新型コロナウイルスという未曾有の問題が立ちはだかる中、自分なら何ができるのかはもちろん、一番大変な時だからこそ、どうしたら中國との「草の根交流」を絶やさずに継続できるかを考えた私は、2020年4月11日に東京都日中友好協(xié)會青年委員會で初めて中國現(xiàn)地とのオンライン交流會を企畫、そこから毎月1回以上のペースで言語や文化、旅行など多分野に渡るイベントを企畫し、また日本各地で日中民間交流に寄與する多くの人材や中國駐日本國大使館や北京市人民対外友好協(xié)會などと交流を重ねることができた。
その結果、2021年4月から東京都日中友好協(xié)會青年委員會の委員長に就任することになり、日中草の根交流の最前線で活動することになった。
今でこそ當たり前になったオンラインイベントだが、當時は使い方が分からない人への対応、ネット速度、交流方法など、さまざまな問題を工夫しながらひとつひとつ解決していった。その中で特に工夫したのは交流方法だ。
イベントに參加し、交流するという點では大きな違いはないが、顔は見えていても同じ空間にいないので、相手の表情や動作がわかりづらく、円滑に交流するのが難しくてその場限りになりやすい。そんな中で、どうしたら交流の內容を深め、イベントの価値を高め、その場限りで終わらず次回の交流に繋げることが出來るかを熟考し、ワークショップ形式のイベントを企畫することにした。約1カ月間、見ず知らずの日中青少年12名がグループを組み、オンライン上で日々発表の準備に取り組むことにより、直接會わずとも親交を深め、12名の日中青少年同士で友好を深めることができた。
このように、オンラインになって以降、試行錯誤の中でも問題意識や実現(xiàn)したい明確な目標を持って動くことにより、新しい発見や気づきを得ることができた。同じように、コロナ禍だから諦めるのではなく、今しかできないことを明確にしていくことが大事だと考える。例えば私は今まで中國に滯在していた時間が長かったが、この1年半は1度も中國に戻れていない。こんなことは初めての経験だが、だからこそ日本で多くの人と交流を持つことができたのだ。
まさしく人生は、環(huán)境の変化との戦いである。東京に戻ってから活動してきたこの経験が、將來中國に帰った際にどれだけ活かせるのか、自分が日本と中國の青少年交流促進にどれだけ寄與できるのか、常に自問自答しながら、これからも日々挑戦していこうと思う。
※本記事は、『和華』第31號「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內容は発刊當時のものとなります。
■筆者プロフィール:井上正順(いのうえまさゆき)
東京都日中友好協(xié)會?青年委員會委員長、日中友好青年大使。1992年生まれ。北京語言大學漢語國際教育専攻學士?修士號取得。留學中は北京語言大學日本人留學生會代表、日本希望工程國際交流協(xié)會顧問等を歴任。2019年に中國でスタートアップを経験。2020年9月に學友と日本で起業(yè)。
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