<日中100人 生の聲>分?jǐn)啶螘r(shí)代に自分の力で世界を思い描く―竹田武史 寫真家

和華    2022年2月8日(火) 21時(shí)50分

拡大

私は東京在住の寫真家です。ライフワークとして中國への旅を20年以上続けてきました。寫真は長江三峽を徒歩で(2000年)。

新型コロナウイルス感染癥が世界中にまん延して、もうすぐ2年が経とうとしています。その間、私たちの暮らしで大きく変化したことといえば、マスク越しにしか人と會話しなくなった、海外旅行へ行けなくなった、楽しみにしていた盆や正月の里帰りすら億劫になった…。コロナ禍の行動制限によって変わってしまった生活習(xí)慣や生活様式を挙げれば、きりがありません。ですが今、私が強(qiáng)く感じているのは、ウイルスと共に世の中にまん延しつつある、すべてを〝分?jǐn)?しようとする力そのものについてです。コロナ禍がもたらしたこの奇妙な現(xiàn)象を薄気味悪く感じているのは、きっと私だけではないでしょう。

思えば、この謎のウイルスへの対応を巡っては、火事場の対立が余りに目立ちました。ダイヤモンド?プリンセス號の乗客への対応、PCR検査の拡充、全國小學(xué)校の休校措置、緊急事態(tài)宣言の発令など、すべての施策に賛否両論、さまざまな意見が飛び交いました。今年に入ってからは、政府と一部の利権者たちが、ごり押しで東京オリンピック?パラリンピック開催に漕ぎつけようとしたために、「緊急事態(tài)宣言」と「まん延防止等重點(diǎn)措置」の連発、休業(yè)補(bǔ)償、ワクチン接種のあり方を巡っても様々な対立が生じました。政府の場當(dāng)たり的な対応が、今まで明るみに出なかったいびつな社會構(gòu)造を浮き彫りにし、異なる境遇、価値観に生きる人々の対立をかえって煽る結(jié)果となってしまっているようです。

ところで、私は東京在住の寫真家です。ライフワークとして中國への旅を20年以上続けてきました。そんな私が、昨年以來のコロナ禍で最も思い悩んだこと、それは中國との関係を今後どうするか、という問題でした。都市封鎖された武漢市の病院から送られてくる生々しいニュース映像を初めて目にしたのは、昨年1月に中國?杭州市での撮影取材から帰國した1週間後のことでした。その直後には、謎のウイルスの危険性をSNS上で注意喚起しようとした醫(yī)師?李文亮さんがクローズアップされました。政府當(dāng)局者たちが李さんを処分し、隠蔽している間にウイルスはどんどん広まり、李さん本人も感染し、亡くなられたとのことでした。中國政府はいつまでたってもWHOの現(xiàn)地査察を受け入れず、ウイルスに関する情報(bào)を提供しませんでした。中國の一部の人たちが防疫対策と世界との協(xié)調(diào)を怠ったために世界中にウイルスがまん延してしまった、というのが一連の報(bào)道から私が理解したことでした。

いったい、なんという傲慢な國だろう…。私は、こんな國に、これまで20年以上も魅了され、夢を追い続けてきたのかと思うと、とても悲しく、恥ずかしい気持ちになりました。もちろん、中國という國のあり様が、日本や歐米諸國と大きく異なることは肌身で感じてきましたが、20年以上も付き合っていると、どちらが良い悪いとは、そう簡単には結(jié)論できなくなるものです。とりわけ近年、世界を席巻する新自由主義的な政治?経済のあり方に憂鬱を感じていた私は、曲がりなりにも共産主義思想に基づく政策が実施されていて、地方へ行けばアジア的共同體ともいえる営みがまだまだ健在する中國のような國に、學(xué)ぶべきこと、一緒に取り組めることは多々あると考えていたほどでした。ところが、今回のコロナ禍を巡る一連の報(bào)道は、これまでの中國への憧憬と親しみをいっきに失望へと変えました。日本人として、これ以上、中國に深く関わることはできない。私的な未練は殘しても、社會人としてけじめをつけなければならない。當(dāng)初、私はそこまで思い詰めていました。

夏頃まで仕事は完全にストップしていて、その間はテレビやネットで情報(bào)を収集し、親しい友人たちとも情報(bào)交換をしながら、自分なりに今後の対応策を真剣に考えている〝つもり?でいました。ところが、しばらく経つと、テレビやネットに溢れる斷片的な情報(bào)にはどこかリアリティが欠如していると感じるようになりました。謎のウイルスについても、専門家と呼ばれる人たちは、実は何も確かなことは分かっていないらしく、結(jié)局のところ、おしゃべり好きな人たちが、場當(dāng)たり的に適當(dāng)なことをしゃべり続けているとしか思えません。そのような情報(bào)から何かを判斷し、自分の意思を持つことなどできるはずがありません。以來、テレビやネットで情報(bào)収集するのをきっぱりと止めることにしました。

では、自分にとってよりリアルな真実の世界とは…。そう考えた時(shí)、これまで20年以上、自分の足で歩き、身體で感じてきた中國に思いを馳せました。そして、次の日から、これまで撮り続けてきた中國の旅の寫真の整理を始めました。一枚、一枚の寫真と靜かに向き合っていると、山や川や田畑や市場の匂い、出會った人たちとの會話、食べ物の味、當(dāng)時(shí)考えていたことまでが鮮明に蘇ってきました。そこには、私自身が體験した、ありのままの中國が息づいていました。どうやら私は、謎のウイルスへの恐怖から平常心を失い、情報(bào)の洪水に押し流されて、自分の力で世界を思い描くことをすっかり忘れてしまっていたようです。これでは寫真家=真実を?qū)懁烦訾拐撙趣筏剖Ц瘠扦埂?。私は自分を深く反省することで、ようやく心の落ち著きを取り戻しました?/p>

そして今冬、初めてのモノクローム寫真作品集『長江六千三百公里をゆく』が完成します。目に見えないウイルスへの恐怖と、情報(bào)の洪水によって、人と人、國と國との〝分?jǐn)?が加速する時(shí)代に、一石を投じることができれば幸いです。

2021年12月に発売した寫真作品集

※本記事は、『和華』第31號「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內(nèi)容は発刊當(dāng)時(shí)のものとなります。

■筆者プロフィール:竹田武史(たけだたけし)


寫真家。1974年、京都生まれ。1996年に初訪中。翌年から5年間、日中共同研究プロジェクト「長江文明の探求」(國際日本文化研究センター主催)の記録カメラマンとして中國各地を取材。以來、20年以上にわたり中國各地の生活文化を記録する。『大長江~アジアの原風(fēng)景を求めて』『茶馬古道~中國のティーロードを訪ねて』など著書多數(shù)。

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜