<日中100人 生の聲>コロナ禍が教えてくれたもの―瀬野清水 日中協(xié)會(huì)理事長(zhǎng)

和華    2022年1月29日(土) 20時(shí)50分

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中國(guó)國(guó)際貿(mào)易促進(jìn)委員會(huì)大連市分會(huì)からの支援物資。

コロナ禍での開催を巡り日本の世論を大きく分けた2020東京オリンピックは予定通り開催された。東京では緊急事態(tài)宣言下という異例ずくめの幕開けになったが、開會(huì)式には世界205カ國(guó)?地域、団體から1萬(wàn)1000人が參加した。史上最多となる33競(jìng)技339種目にゴールドメダリストが誕生することになる。大多數(shù)の會(huì)場(chǎng)は無(wú)観客競(jìng)技となったが、それでも開會(huì)式の視聴率が56.4%と1964年の東京大會(huì)に次ぐ高さを記録したという。大手メディアにはオリンピック開催に強(qiáng)く反対したところもあったようだが、いざ始まってみると興奮と感動(dòng)が日本列島を覆うようになった。お祭り騒ぎの気のゆるみとデルタ株という変異ウイルスの出現(xiàn)からか、コロナの感染者數(shù)も國(guó)內(nèi)で1日1萬(wàn)人を超える最多記録を更新した。2021年7月末現(xiàn)在、世界ではコロナの感染者が2億人を超え、400萬(wàn)人以上が死亡している中でのオリンピック開催だった。

この感染の広がりは14世紀(jì)のヨーロッパを襲ったペストの流行やちょうど100年前のスペイン風(fēng)邪のパンデミックを想起させる。ペストの流行はその後、教會(huì)の権威を失墜させ、人間の存在こそが最大の価値と考えるルネサンス運(yùn)動(dòng)がイタリアを中心に沸き起こった。スペイン風(fēng)邪もその収束とともに、人々は個(gè)人の生命と自由を守るには國(guó)家の安全こそ最重要と考えるようになり、多くの國(guó)は軍事力と経済力の強(qiáng)化に取り組むようになった。そして軍事力競(jìng)爭(zhēng)の結(jié)果、人類は地球を何百回も破壊し盡くせるほどの核兵器を保有するに至り、恐怖の均衡の上に平和が築かれる世界が出現(xiàn)した。経済力の競(jìng)爭(zhēng)は、世界の上位26人が下位38億人分の富を保有し、富裕層があと0.5%でも多くの稅金を払えば貧困問(wèn)題は解決するとまでいわれるほどの欲望の拡大と富の偏在をもたらしている。

武漢応援ブースに掲げられた幕

21世紀(jì)に入り、通信技術(shù)や人の移動(dòng)手段が長(zhǎng)足の進(jìn)歩を遂げた結(jié)果、新型コロナウイルス感染癥の蔓延は、人々に否応なく人類は運(yùn)命共同體の中で生きているという事実を教えてくれた。仮に一國(guó)でゼロコロナを?qū)g現(xiàn)させたとしても、周辺の國(guó)々にコロナが蔓延していては、到底安心安全とは言えないからだ。人類が運(yùn)命共同體の中で生きているとして、その構(gòu)成員は何をなすべきであろうか。私には、新たな時(shí)代には新たな形態(tài)の競(jìng)爭(zhēng)が始まるべきことを今回のコロナ禍が教えてくれているように思われてならない。新たな競(jìng)爭(zhēng)とは、経済力と軍事力ではなく、欲望をコントロールし自他ともの幸福を築く競(jìng)爭(zhēng)であり、利己ではなく、利他の競(jìng)爭(zhēng)であり、悪意と敵意ではなく、善意と人道の競(jìng)爭(zhēng)である。

今回のコロナ禍は、中國(guó)の武漢を中心に急激な感染が広がり、マスクや防護(hù)服が不足し始めたと聞きつけた日本人が「武漢頑張れ!」の聲援とともにマスクを贈(zèng)ったり募金を始めたりした。逆に、中國(guó)が落ち著きを見せ、日本にマスクが足りなくなると、中國(guó)から大量のマスクが贈(zèng)られて來(lái)るようになった。

武漢 中國(guó)頑張れ」と書かれた募金箱

私は2020年の2月、池袋西口公園の野外劇場(chǎng)グローバルリングにて、多文化共生社會(huì)の理解を深めるために太陰暦の最初の満月を共に祝う趣旨で開催された「満月祭」に行った。そこで赤いチャイナドレスの少女が募金活動(dòng)をしている様子を見かけた。私はてっきり中國(guó)の人だろうと思いながら聲を掛けると、なんとその子は日本の中學(xué)生だった。中國(guó)に留學(xué)経験のある日本人の母親の後ろ姿を見ながら育った少女は、母親が作ったチャイナドレスを身にまとい、募金をしてくれた人に深々と頭を下げていたのだ。肌寒い北風(fēng)の中を朝から日が暮れるまで、誰(shuí)にいわれた訳でもなく、ただ中國(guó)のために自分にできる何かをしたいとの思いだけで、道行く人に90度のお辭儀をしている姿は感動(dòng)的でさえあった。人道の競(jìng)爭(zhēng)というのはこういうことではないだろうか。

深々とお辭儀をして募集活動(dòng)をしていた

他人の痛みを?qū)澃钉位鹗陇纫姢仆椁工毪韦悉郡浃工い?、今、目の前で起きていることを自分ごととして行?dòng)を起こすには、急にハードルが高くなる。大きな勇気を必要とするが故に、それを見る人にも共感と感動(dòng)を與えるのであろう。

オリンピック選手の活躍に、それまで開催に反対していた人までが感動(dòng)の渦に巻き込まれているのに似ている。かつて映畫俳優(yōu)の高倉(cāng)健さんが山田洋次監(jiān)督に「蕓術(shù)というものは、どういったものと思われますか」と質(zhì)問(wèn)したエピソードが殘っている。山田監(jiān)督は「それに接した人が、自分も自分の世界で頑張らなきゃいけないと、勵(lì)まされるようなもの」と答えている(『高倉(cāng)健インタヴューズ』野地秩嘉著、小學(xué)館、2016年)。説得でも強(qiáng)制でもない?!袱饯欷私婴筏咳摔?、自分も自分の世界で頑張らなきゃいけないと、勵(lì)まされるようなもの」は蕓術(shù)?文化の世界に限るまい。オリンピックで活躍する選手の姿も、赤いチャイナドレスの少女も、スポーツや人道の世界には、それに接する人の魂を鼓舞し、感動(dòng)と共鳴の連鎖反応を生み出す力があるのだと思う。

ポストコロナの時(shí)代は、米中両大國(guó)の間でも競(jìng)爭(zhēng)と協(xié)力が並行する時(shí)代といわれている。協(xié)力は素晴らしいが、競(jìng)爭(zhēng)は軍事力ではなく善意と人道の競(jìng)爭(zhēng)であってほしい。コロナ禍で肉親にさえも看取られる事なく死んでいった幾百萬(wàn)の感染者の死を無(wú)駄にしないためにも。

※本記事は、『和華』第31號(hào)「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內(nèi)容は発刊當(dāng)時(shí)のものとなります。

■筆者プロフィール:瀬野清水(せのきよみ)


(一社)日中協(xié)會(huì)理事長(zhǎng)、成渝日本経済文化交流協(xié)會(huì)顧問(wèn)。1949年、長(zhǎng)崎県生まれ。元在重慶日本國(guó)総領(lǐng)事。1975年、外務(wù)省に入省。北京、上海広州等、中國(guó)の大使館、総領(lǐng)事館で通算25年在勤。2012年、退職後、(獨(dú)法)中小機(jī)構(gòu)國(guó)際化支援アドバイザー、大阪電気通信大學(xué)客員教授、(一財(cái))MarchingJ財(cái)団事務(wù)局長(zhǎng)等を歴任。

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