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中國(guó)の日本語(yǔ)學(xué)校における日本人教師の処世術(shù)とは一體何か。寫(xiě)真は青島市。
「今の世のありさまは変わろうとしている」とはよく言ったものだ。これは僕自身の半世紀(jì)余りの個(gè)人的経験からしても真実だが、こと日中関係に関し、世の中が全く様変わりしてしまったとつくづく思う。
たとえば前の記事にも書(shū)いたのだが、10年前であれば日本の100円ショップの「日本のお土産」が中國(guó)人に喜ばれたが、今では逆に「メイソウ」が日本はもとより世界各地で展開(kāi)中だったりする。
その「日本のお土産」を日本への一時(shí)帰國(guó)の折に買(mǎi)い求め中國(guó)の友人に持ち帰っていた日本の某友人が「とにかく定期的に日本に帰って日本の壽司を食べないことには気が済まない」と言っていたのが、つい昨日のことのようだ。今では僕らが住む中國(guó)?青島の片田舎でさえ相応のホテル(3つ星程度)に行けば、ランチバイキングで日本の回転壽司レベル以上の「握り壽司」を手軽に食べることができる。
では日中関係はどうか。10年前であれば切羽詰まった日本の中小企業(yè)に対し中國(guó)進(jìn)出や越境ECで御社の活路を開(kāi)きませんか?みたいな話だったのが、今では中國(guó)企業(yè)が直々に日本で求人広告を打ち、日本語(yǔ)教師を募集している。
僕が思うに、これはまるで「黒船」が「來(lái)航」したかのようだ。つまり、中國(guó)の一般企業(yè)で日本人が普通に働けるような時(shí)代が到來(lái)した。
ところでこれに「渡りに船」のごとく乗り込むのは比較的容易かもしれないものの、実を言えばこの「船」にとどまり続けるのは、ある意味それほど容易ではない。
なぜ容易でないのか。なぜならその「船」はぶっちゃけ中國(guó)のそれであって、日本の船ではないからだ。結(jié)果として自身のサバイバル値が実際どれほどのものかを身をもって測(cè)ることになる。
最近話題の「イカゲーム」ほどでは全然ないのだが、それでも日々企業(yè)ウィーチャット上で同僚の先生方の苦情やうめきや慟哭ならぬ「障害報(bào)告」を眺めていて、皆さん容易ではないとつくづく思う。
これは一つには最近日本でも報(bào)道された「中國(guó)教育塾規(guī)制」と若干関係がある。詳しくは書(shū)けないが、簡(jiǎn)単に言えばグレートファイアーウォールプラスアルファなご時(shí)世となったため、日本を含め海外の同僚の先生方の中國(guó)國(guó)內(nèi)でのオンラインレッスンが容易でない。
とはいえこの程度のハードルは「上に政策あれば下に対策あり」で済むことなので、パソコンやネットワークに関わる相応のサバイバル値があればクリア可能だ。とはいえ「黒船」內(nèi)部での「就労」に伴う問(wèn)題は、「船內(nèi)」の誰(shuí)も避けては通れない。
最初にお斷りしておきたいのだが、この「黒船」は某業(yè)界の人月商売な「蟹工船」では決してない。だが率直、日本人として中國(guó)企業(yè)に雇われ中國(guó)人學(xué)生に日本語(yǔ)を教えるのだから、その點(diǎn)はわきまえなければなるまい。
では一體、何をわきまえるのか。中國(guó)の日本語(yǔ)學(xué)校における日本人教師の処世術(shù)とは一體何か。
第一に、日本人である日本語(yǔ)教師は、中國(guó)人學(xué)生の「親」となり親身になって発音を直してあげる必要がある。このハードルは自ら経験すれば分かるがけっこう高く、日本人教師の側(cè)に不斷の努力とエネルギーが常に求められる。これを面倒くさがったり嫌がったりするようではこの船にとどまれない。
というのも日本人である日本語(yǔ)教師の人材としての価値は、日本語(yǔ)ネイティブという點(diǎn)にあるからだ。そして発音を容易には直せない日本語(yǔ)學(xué)習(xí)者上位20%以下のごくごく普通の中國(guó)人學(xué)生にとってほぼ唯一かつ最も確実な発音矯正法とは、日本語(yǔ)ネイティブからのダメ出しと、日本語(yǔ)ネイティブ共に行う発音練習(xí)にほかならない。
第二に、日本人である日本語(yǔ)教師は、中國(guó)人學(xué)生の「友」となり相手に受け入れてもらう必要がある。それでまず相手を自分の「友だち」に加えるわけだが、その上で相手から「朋友」として迎え入れてもらう必要がある。
では中國(guó)人學(xué)生の「朋友」とは何か。たとえば今中國(guó)で一番ホットで一般的な話題は両岸問(wèn)題であったりするから「先生はどう思いますか?」みたいなことを遅かれ早かれ尋ねられよう。返答次第では「朋友」どころか、だったら下船してください、となりかねない。
そして第三に、日本人である日本語(yǔ)教師は、「同僚」の中國(guó)人教師と連攜を深め中國(guó)企業(yè)における良き社員となる必要がある。既に記事にも書(shū)いたが、なにより「中國(guó)企業(yè)での仕事には大きな変化がつきもの」であることをわきまえる必要がある。日本まで來(lái)た「黒船」ではあるが、荒海のただ中で皆で一緒にオールで漕ぐかのような連攜がたびたび求められる。
「同僚」の中國(guó)人教師との連攜について言えば、僕が思うに、先にも挙げた中國(guó)人學(xué)生の発音の変なクセの矯正や他の諸々は、僕が敬愛(ài)し信頼する中國(guó)人教師の面々の助けなしには決して成し遂げられないと思うし、それ以前に彼らの助けなしには日本語(yǔ)オンリーでの日本語(yǔ)學(xué)習(xí)そのものを始めることができない。
それはどういうことか。海外でハーフの子どもを育てる日本人の親の皆さんならお分かりだと思うが、ひらがなやカタカナをすらすら読めたり五十音をそらで言ったりという、日本で生まれ日本人に囲まれて日本語(yǔ)を勉強(qiáng)する日本の子どもたちにとってごくごく當(dāng)たり前のことが、ハーフの子どもたちには相応のハードルなのである。まして長(zhǎng)じてから日本語(yǔ)を勉強(qiáng)する中國(guó)人學(xué)生の場(chǎng)合、日本人教師に加え中國(guó)人教師との3人4腳の連攜が一番奏功する。なぜなら彼ら彼女らは中國(guó)人として、自ら日本語(yǔ)を?qū)W習(xí)したノウハウを?qū)W生とシェアできるからだ。
それで最初に挙げたパソコンやネットワークに関わる相応のスキルに加え、「親」となって「発音」を直してあげ、「友」となって相手に受け入れてもらい、「同僚」の中國(guó)人教師と連攜を深めるなら、この「黒船」から振り落とされることはまずない。あとは中國(guó)語(yǔ)で言うところの「沖鴨ー」(日本語(yǔ)にあえて訳すと「行くぞー」または「やったれー」)ということで、「オールで漕ぎ」続ければそれで済む(はずだ)。
日本でのここ半世紀(jì)の変化もハンパないが、それをはるかに上回る変化が中國(guó)で生じ、結(jié)果として「黒船」の「來(lái)航」となった。日本人として中國(guó)企業(yè)に雇われ中國(guó)人學(xué)生に日本語(yǔ)を教える機(jī)會(huì)に恵まれた皆さんに、上述の処世術(shù)が幾許かでも役立てばと願(yuàn)ってやまない。
これから10年先がどうなのかは神様以外誰(shuí)も知らないが、僕自身の日本人としての中國(guó)現(xiàn)地生活12年の経験から言わせてもらうなら、現(xiàn)時(shí)點(diǎn)での中國(guó)企業(yè)での就労には明らかに一定のメリットがある。いや、僕がまだ振り落とされずに済んでいるんですから、まして皆さんだったら絶対大丈夫(なはずです)!
■筆者プロフィール:大串 富史
本業(yè)はITなんでも屋なフリーライター。各種メディアでゴーストライターをするかたわら、中國(guó)?北京に8年間、中國(guó)?青島に3年間滯在。中國(guó)人の妻の助けと支えのもと新HSK6級(jí)を取得後は、共にネット留學(xué)を旨とする「長(zhǎng)城中國(guó)語(yǔ)」にて中國(guó)語(yǔ)また日本語(yǔ)を教えつつ日中中日翻訳にもたずさわる。中國(guó)?中國(guó)人?中國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)?中國(guó)ビジネスの真相を日本に紹介するコラムを執(zhí)筆中。
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