社會(huì)主義?中國(guó)は発展変化向上を目標(biāo)とする國(guó)=「共産主義國(guó)」ではない―西原早稲田大元総長(zhǎng)

Record China    2021年8月20日(金) 5時(shí)0分

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西原春夫早稲田大元総長(zhǎng)が講演?!钢袊?guó)は共産主義國(guó)だ」と思っている人が多いようだが、完全な誤解であると指摘?!钢袊?guó)が『発展』を前提とし、『変化向上』を當(dāng)然の目標(biāo)としていることは明らかだ」と強(qiáng)調(diào)した。

國(guó)際アジア共同體學(xué)會(huì)(會(huì)長(zhǎng)?進(jìn)藤榮一筑波大名譽(yù)教授)が主催する日中シンポジウムがこのほど東京の國(guó)會(huì)議員會(huì)館で開催され、西原春夫早稲田大名譽(yù)教授?元総長(zhǎng)(アジア平和貢獻(xiàn)センター理事長(zhǎng))が講演した。日本人の中には、「中國(guó)は共産主義國(guó)だ」と思っている人が多いようだが、完全な誤解であると指摘?!钢袊?guó)が現(xiàn)実に『発展』を前提とし、したがって『変化向上』を當(dāng)然の目標(biāo)としていることは明らかだ」と強(qiáng)調(diào)した。

西原春夫早稲田大名譽(yù)教授?元総長(zhǎng)の講演要旨は次の通り。

日本を含む自由主義?民主主義國(guó)は、その価値観を普遍的なものと考えているから、「変化」を前提とした発展目標(biāo)を持っていない。そこでほかの國(guó)もそうであるかのように考え、その結(jié)果として、現(xiàn)在の基本方針を永続的なものと考えがちになっているように思われる。

 

確かに中國(guó)の場(chǎng)合、1949年の人民共和國(guó)建國(guó)以來(lái)「共産黨の指導(dǎo)する社會(huì)主義國(guó)」であるという基本方針については変化は考えられていない。しかしその範(fàn)囲內(nèi)では、この70年の間にもさまざまな大きな変化を遂げている。1950年代の「大躍進(jìn)運(yùn)動(dòng)」、60~70年代の「文化大革命」、70年代末葉の「改革開放政策の採(cǎi)用」などの激動(dòng)の歴史を想起するだけでも明らかだろう。

これら個(gè)々の歴史的出來(lái)事の根拠には、確かに指導(dǎo)者個(gè)人の思想信條とか、権力闘爭(zhēng)の結(jié)果とかが影響している。しかし、元來(lái)「共産黨の指導(dǎo)する社會(huì)主義國(guó)」には、そのような変化を許容し、むしろそれを本質(zhì)とする性格のあることに著目する必要がある。

そもそも日本人の中には、「中國(guó)は共産主義國(guó)だ」と思っている人が多いようだ。実はそれは完全な誤解なのである。今年の7月1日、北京天安門で行われた、共産黨設(shè)立100年記念式典での習(xí)近平國(guó)家主席の演説の中に、何と「共産主義」という言葉は一言も使われていない。それではなぜ「共産黨」と呼ぶのかと問(wèn)うならば、「共産黨は共産主義の建設(shè)を目標(biāo)にする黨」だからだと理解するほかはない。

◆「歴史を鑑として未來(lái)を切り開く」

もともとマルクス主義は歴史発展の究極的な形態(tài)である階級(jí)闘爭(zhēng)の無(wú)い共産主義社會(huì)を「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」、國(guó)家も法もない理想社會(huì)と想定しているから、社會(huì)主義革命を成就したからといってすぐに実現(xiàn)するものとは考えていない。共産主義にも発展段階があるとされ、第一段階は社會(huì)主義と呼ぶように考えられていた。

中國(guó)でも建國(guó)當(dāng)時(shí)からそれは前提にされていたと思われるが、この點(diǎn)が明確に強(qiáng)調(diào)されるようになったのは習(xí)近平時(shí)代に入ってからである。習(xí)近平主席は、共産黨設(shè)立100年に當(dāng)たる2021年と、中華人民共和國(guó)設(shè)立100年に當(dāng)たる2049年との間に2035年という節(jié)目を設(shè)け、そこまでに社會(huì)主義の現(xiàn)代化を?qū)g現(xiàn)し、その時(shí)期以降、富強(qiáng)?民主?文明の社會(huì)主義國(guó)家を作り上げることとしている。その段階を「共産主義」の実現(xiàn)した段階と見ているのかどうかは不明だが、その理想に近づく段階と見ていることは明らかだろう。

少なくともこの點(diǎn)からしても、中國(guó)が現(xiàn)実に「発展」を前提とし、したがって「変化向上」を當(dāng)然の目標(biāo)としていることは明らかだ。このことをわれわれ外國(guó)人は忘れてはならない。

さらに著目しなければならないのは、近代中國(guó)は內(nèi)外の政治的理由から、長(zhǎng)い間國(guó)際活動(dòng)の経験を積む機(jī)會(huì)を失ってきたということである。改めて振り返ってみると、社會(huì)主義?中國(guó)が國(guó)際社會(huì)の中で活躍するようになったのは、広くは改革開放政策が現(xiàn)実に動(dòng)き出す1980年代以來(lái)40年、狹くはIMFに加盟した2001年以來(lái)20年しか経っていないことがわかる。

そこにひとつ大きな問(wèn)題が橫たわっていると考えざるをえない。経験が少ないにもかかわらず変化する、つまり前例の無(wú)い実験に挑むには、必ず成功と失敗があるということである。中國(guó)もそのことをよく知っているのであろう。習(xí)近平國(guó)家主席は、前掲の演説の中で、「歴史を鑑として未來(lái)を切り開くには」という言葉を何と6回も使用している。それ自體は素晴らしいことだ。

◆他國(guó)からの批判、寛容な受け入れ必要

ただ私ども外國(guó)人から見ていささか心配になるのは、政府の政策への國(guó)內(nèi)的な批判が自由に活発に行われる自由主義國(guó)とは異なり、自由な批判があまり許されない政治體制では、政権の面子ということもあり、どうしても「失敗の自覚」が薄くなってしまうのではなかろうかということである。

そこで思うことは、中國(guó)の場(chǎng)合、他國(guó)からの批判の寛容な受け入れが必要ではないかということである。とりわけ必要なのは、「古き友人」の、常に中國(guó)のためを思った提案には是非耳を傾けて頂きたいと思う。それは中國(guó)の影響をますます受ける世界人類のためにも、高い理想を掲げる中國(guó)自身のためにも望ましいことだ。(主筆?八牧浩行

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