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2020年2月初旬、中國大使館、中國駐札幌総領(lǐng)事館および中國の武漢、珠海、江西、上海にマスク、消毒液、防護服等を寄贈。
2016年のある日のことである。小泉純一郎元首相が、在日新華僑であるWWB株式會社の龍潤生代表取締役會長を夕食に招いた。食事を終えて、龍潤生が支払いに立とうとすると、小泉元首相は彼を制止して言った。「私は日本の一政治家ですので、人を食事に招待することはほとんどありません。でも、今日は違います。今日はあなたに支払わせるわけにはいきません。あなたは日本人にとって命の恩人ですから」。(文/人民日報海外版日本月刊編集長 蔣豊?本誌記者 王亜●〈●=くにがまえに女〉)
「命の恩人」。小泉元首相のこの言葉に龍潤生は感激した。この言葉は彼の過去を物語るものであった。龍潤生は語った?!府?dāng)時、私は日本に留學(xué)に來て就職し20年になろうとしていました。それまでに多くの日本人に助けられてきました。ですから、私は當(dāng)然のことをしたまでです。同時に、私は中國の三一重工の日本代理の法人の代表を務(wù)めていましたので、自分の會社と三一重工代理店としての行いであり、また中國がとるべき行動でもありました。ですから、『命の恩人』との評価は、同時に、三一重工と中國に対するものとも言えます」。
「3?11東日本大震災(zāi)」発災(zāi)10年を目前に、本誌は、WWB株式會社の龍潤生代表取締役會長を訪ね、當(dāng)時の忘れられない物語をうかがった。
▼「命の恩人」の物語の背景
2011年3月11日、日本時間午後2時46分、三陸沖を震源とする、この千年來経験したことのないマグニチュード9.0の大地震が発生し、列島を震撼させた。當(dāng)時、中國の三一重工の日本代理の法人の代表であった龍潤生は、同僚と共に東京の地下鉄に乗っていた。しばらくすると交通は遮斷され、攜帯電話の電波は屆かなくなりナビゲーションも使えなくなった。彼らは漠然とした記憶を頼りに歩いて會社へ戻るしかなかった。オフィスのドアを押し開けて腕時計に目をやると、既に8時間近くが経過していた。テレビのスイッチを入れると、地震の後に起こった巨大な津波が、竜巻のように民家や工場や施設(shè)を吞み込んでいく見たこともない様な光景が次々と映し出され、衝撃と戦慄が走った。今日まで日本の各テレビ局は、津波のシーンを映さないという「業(yè)界ルール」を守っている。津波によって身內(nèi)や家を失った被災(zāi)者を刺激しないためである。
ほぼ同時に、地震と津波の影響によって、福島第一、第二原子力発電所に放射能漏れの危険性があることをメディアが報じた。1945年の敗戦前、アメリカが落とした二つの原子爆弾に苦しめられてきた日本人は、「核」という言葉には特に敏感で、忌み嫌う。この情報はあっという間に巷に広まり、放射能漏れの危険から逃れるため、一部の日本の大財閥のトップは香港やシンガポールに逃避し、本社を海外に移す準(zhǔn)備を始めた大企業(yè)もあった。アメリカの空母艦隊は被爆を恐れ、日本の被災(zāi)地の救助活動を取り止めた。
メディアから次々に伝えられる報道を、日本の全國民が固唾をのんで見つめ、日本列島は前例のない恐怖とパニックに陥った。
龍潤生は中國?三一重工の日本代理の法人の代表として、この「地震後の核危機」を、より専門的見地から見つめていた。彼らは三人で監(jiān)視チームを結(jié)成し、毎日晝夜を分かたず福島原発の動向を把握した。そして、大地震による強烈な津波は福島原発に甚大なダメージを與え、原子爐の冷卻裝置が正常に作動していないことに素早く気付いたのである。早急に冷やさなければ、核燃料が燃焼を続けることによって生まれた巨大なエネルギーが甚大な被害をもたらすことになる。彼らはテレビで、政府が消防車を使って放水しているのを見て、高さが充分でないと感じ、ヘリコプターで散水しているのを見て、全く効果が得られていないと感じた。今、最も必要とされているのはコンクリートポンプ車だ! コンクリートポンプ車で高い位置から放水して、損傷した原子爐をとにかく冷やさなければ!
日本のコンクリートポンプ車市場を熟知していた龍潤生は、當(dāng)時、日本國內(nèi)にはドイツ製の「大象」と呼ばれる、54mのアームを持つポンプ車が一臺しかないことを知っていた。しかし、このポンプ車では長さが全く足りず、福島原発4號機の危機を解決することは不可能に思えた。福島原発を主管する東京電力に、もう殘された時間はない!
この時、龍潤生と三一重工のチームは、ドイツに輸出されることになっている、中國の三一重工が設(shè)計?製造した62mのアームを持つポンプ車が上海港にあることに思い至った。このポンプ車は、元々建築物の最上部を完成させる際にコンクリートを流し込むためのものであるが、アームの長さは正に福島原発4號機の現(xiàn)場の厳しい條件を満たしていた。これを使って放水、冷卻すれば焦眉の急をしのぐことができると思った。
東京電力にその旨を伝えると、彼らは切羽詰まった様子で言った。「そのポンプ車をわれわれに売ってください!どんなに高くても構(gòu)いません。今すぐ必要なんです!」。三一重工の在日擔(dān)當(dāng)がそれを電話で本社に報告すると、梁穩(wěn)根董事長からはこんな返答があった?!笁婴椁胜い?!売らないで!一流の社會貢獻をすることが、わが社の経営理念の一つだ。日本は一衣帯水の隣國だ。今こそ支援の手を差し伸べたい。そのポンプ車は日本の被災(zāi)地に贈ろう!」。
緻密かつ専門的な観察によって、日本の大地震発生後の「核危機」の急所を押さえ、日本を危機から救い、自らの商業(yè)利益を放棄するという重大な決斷によって、日本列島の上空を覆っていた暗雲(yún)は振り払われた。三一重工の前線は、このポンプ車を発注したドイツの顧客と掛け合い、ポンプ車を直ちに「蘇州號」に載せ替えた。日本に精通した龍潤生と三一重工のチームは、日本の行政官僚の障壁を巧みにかわし、ポンプ車が日本赤十字社に渡るよう手配した。
中國?三一重工の巨大なポンプ車が大阪港に到著すると、日本側(cè)は龍潤生と三一重工のチームと協(xié)力し、関連する全てのプロセスで連係し、通関、消防、警備、交通管理等の関係各所で便宜を図った。ポンプ車を大阪から東京に輸送する際には、警察が前後で護衛(wèi)し、運行が妨げられないように先導(dǎo)した。當(dāng)時、その光景を目にした人々は、それが日本を救うために中國からやって來たポンプ車であることは知る由もなかった。
三一重工のポンプ車は、被災(zāi)地に向かう途中、千葉県に二日間滯留した。この二日間は、隨行してきた三一重工のエンジニアが東京電力のスタッフを訓(xùn)練する時間に充てられた。先だって、ヘリコプターで上空から散水した際には、パイロットの被爆と突然の爆発事故を懸念して、低空飛行することができず、小雨が斜めに降り注ぐような形になり、全く効果が得られなかった。また、アームの長さが足りない上に、ドライバーが搭乗して操作をしなければならないポンプ車も數(shù)臺見つかったが、命の危険を冒してまで乗ろうとする者はいなかった。三一重工のポンプ車は遠隔操作様式であったため、オペレーターをトレーニングする必要があったのである。
二日後、ポンプ車は福島原発の被災(zāi)現(xiàn)場に到著した。62mのアームが天空に向かってゆっくりと伸ばされ、號令一下、オペレーターの操作によって、待ちに待った冷卻水が土砂降りの雨のように降り注いだ。中國?三一重工のポンプ車は疲れを知らない労働者の如く、毎日24時間、トン単位の水を噴射し続けた。
今日まで、東京電力はこのポンプ車が稼働した日數(shù)や時間、使用した水の量を公開していない。龍潤生は言う?!溉毡兢瘟訾蜃鹬丐?、私もそれは伏せておきましょう。ただお伝えできることは、原子爐の溫度が下がった瞬間、被災(zāi)地の現(xiàn)場も東京電力も、首相官邸の対策本部も喜びに沸きました」。
當(dāng)時、民主黨政権の重要人物が龍潤生と會った際、秘かにおしえてくれたことがある。中國のポンプ車が到著する前、日本は巨額の資金を用意し、手厚い報酬があれば手を挙げる勇者も現(xiàn)れるだろうと、60名の決死隊の闘志を募集しようとしていた。ところがそれはうまくいかなかった。やむを得ず日本政府は、自衛(wèi)隊から20人、警察から20人、専門知識を有する消防士から20人を出すよう通達した。ところが、當(dāng)時の菅直人首相がこの震災(zāi)を「想定外」と稱したように、決死隊の60人を募ったところで、根本的な問題は解決できないということは誰もが理解していた。核の殺傷力はあまりに強大で、原子爐に近づくことなどできない。なしのつぶてであることは誰の目にも明らかだった。死を覚悟した數(shù)名のスタッフが遺書をしたためていたことも「想定外」の出來事であった。
この危機を乗り越えるのに、多少の損失はやむを得なかった。福島原発でポンプ車が必要とされていることを知って、東京電力には企業(yè)や仲介業(yè)者が多く訪れた。ある者は、5000萬円で買った二本のアームを持つポンプ車を2億円で転売し、ある仲介業(yè)者は、この機に乗じて3倍、5倍の利益を得たが、結(jié)局効果は得られなかった。民主黨政権のある大臣はユーモアを込めて言った?!弗丧ぅ难uのポンプ車は『エレファント』と呼ばれているそうですから、中國のポンプ車にも名前を付けましょう?!捍螗辚蟆护扦嗓Δ扦筏绀Α埂?/p>
ここで、どうしても觸れておきたいことがある。長い間、コンクリートポンプ車は、設(shè)計においても製造においてもドイツ製が世界をリードしていた?!弗ē欹榨ˉ螗取工饯未恧扦ⅳ搿!弗ē欹榨ˉ螗取工蜓u造していたドイツ企業(yè)は、既に中國の三一重工に買収されている。10年前、三一重工は62mのアームを持つポンプ車を製造していたのであるが、今では101mのポンプ車の製造が可能になっている。
間もなく、2011年の「3?11東日本大震災(zāi)」から10年を迎える?!复螗辚蟆工辖瘠飧u原発の被災(zāi)現(xiàn)場にそびえ立ち、地域の平安を守り、最後の解決策を模索している。そこを通り過ぎる人々はこう話す。「見てごらん。あれがあの時、中國から贈られた『大キリン』だよ」と。あれから十年、龍潤生の會社は今も「大キリン」の修理とメンテナンスを無償で行っている。彼は、條件が許す限り、良いと思うことは最後までやリ抜くのだと言う。
▼異例の留學(xué)生生活
ここまで、中國の「大キリン」の物語を語ってきたが、われわれは、その陰の立役者であった龍潤生の存在を忘れてはならない。
1993年、龍潤生は日本に留學(xué)し、中部地方の中核都市にある名古屋市立大學(xué)の経営學(xué)部に學(xué)んだ。名古屋と言えば、「戦國三英傑」の一人である徳川家康を思い浮かべる人もいれば、世界トップの自動車メーカーであるトヨタを思い浮かべる人もいるだろう。ところが、龍潤生は、この地を「ピンポン外交」発祥の地として見ていた。彼は「小さなピンポン玉が世界を動かす」という壯大な戦略的外交思考に大きな刺激を受け、中國留學(xué)生として得たものは大きかったと言う。
龍潤生は、名古屋市立大學(xué)を卒業(yè)すると日本企業(yè)に就職した。日本には「石の上にも三年」という諺があり、中國では「學(xué)問する者は十年辛抱せよ」と言う。辛抱すれば必ず成功するとの教えである。ところが、龍潤生はそうはしなかった。そこでは三年しか働かないと公言した。彼には他に明確な目標(biāo)があった。
龍潤生には、來日して初めて中國に帰國した際に上海に降り立った時の忘れられない光景があった。その夜、彼は外灘の高層ホテルのバルコニーに立ち、勢いよく発展し、色とりどりに輝く黃浦江の対岸の浦東新區(qū)を窓越しに眺めていた。眼下に目をやると、まばゆいばかりの車の流れと、「三菱」、「東芝」、「松下」の巨大な看板が目に映った。それらは全て日本の有名メーカーで、改革開放後に入って來たことも知っていた。企業(yè)名は、そこで生産される全ての商品を包括し、それらの企業(yè)群がその國の企業(yè)イメージとなる。龍潤生は、中國企業(yè)の看板が東京の大都會の街角で見られるようになるのはいつだろうと思いを巡らせた。
龍潤生が待ち望んだその日は間もなくやってきた。彼は東京?銀座四丁目の繁華街の高層ビルに、中國の「ハイアール」の看板を見つけた瞬間、目は潤みぼんやりとしか見えなかった??窗澶蜗陇橇ⅳ林工蓼?、しばらく見上げていた。街中を行ったり來たりしながら、異なる角度から看板を眺めると胸は高鳴り、中國企業(yè)の立派な看板が増えていくことを願った。
龍潤生は自身の人生設(shè)計に従い、3年後に辭職し、日本の私立大學(xué)の両雄の一つである早稲田大學(xué)の経営學(xué)修士課程に學(xué)んだ。この頃の龍潤生は、少しばかり社會経験も積み、手にした學(xué)びの時間を無為に過ごすことはなかった。ある時はキャンパス內(nèi)を散策し、中國共産黨員の先駆者である李大●(●=金にりっとう)がかつて學(xué)んだ政治経済學(xué)部の學(xué)部棟に立ち寄り、またある時は、図書館で中國共産黨の創(chuàng)設(shè)者である陳獨秀と早稲田大學(xué)の歴史を?qū)Wんだ。日本で真理を探求したこれらの近代中國の志士たちの精神と勇気は、龍潤生の探求心を高め、心の扉を大きく開かせた。
名古屋市立大學(xué)で機上の學(xué)問を?qū)Wび、日本企業(yè)で3年の経験を積み、再びキャンパスに戻ってきた龍潤生は、「學(xué)んだことを生かす」ことをより重視した。元々、機械系エンジニアを目指していた龍潤生であったが、視野を広げ、日本の建設(shè)機械レンタル市場に関心を持つようになった。
龍潤生は特に、日本の「オリエント?リース」の創(chuàng)業(yè)者で、現(xiàn)在、金融サービス大手のオリックスでシニア?チェアマンを務(wù)める宮內(nèi)義彥氏の創(chuàng)業(yè)の歴史に注目し、氏を「心の師」と仰ぐ。かくして彼は、大學(xué)で學(xué)びながら日本企業(yè)數(shù)十社のトップを訪ね、機上での知識と第一線の知識、理論上の知識と実踐の知識を融合させ、リース市場をテーマにした學(xué)術(shù)論文を書き上げ、早稲田大學(xué)で修士號を取得した。リース會社數(shù)社からは、この論文を高額で買いたいとの申し出もあった。龍潤生はまた、在學(xué)中に創(chuàng)業(yè)の準(zhǔn)備をし、人脈を築いていった。
現(xiàn)代の中國人留學(xué)生の歴史に、龍潤生の成長の記録が記されることはないかもしれない。しかし、彼の経歴は、未來の中國人留學(xué)生に新たな道を切り開いた。
學(xué)びと就業(yè)経験の蓄積によって、2011年の「3?11東日本大震災(zāi)」発災(zāi)後、福島原発が放射能漏れの危機にあった時、龍潤生は市場の情報を正確に把握し、當(dāng)時、日本には54mのアームポンプ車が一臺しかないことを正確に言い當(dāng)てることができたのである。この正確な情報が、日本を、人類史上稀な地震?津波?放射能漏れという「複合的危機」から救ったのである。
▼中日エネルギー交流の新たなモデルを確立
2011年の「3?11東日本大震災(zāi)」は、龍潤生にとって一過性の出來事ではなく、彼の終生の事業(yè)を決定づける出來事となった。
世間では原発に関して様々に議論されているが、論調(diào)は収れんされている。つまり、100%原発に依存することはできず、安全でクリーンな再生可能エネルギーの開発が必要であるということである。
龍潤生は二つのことに注目していると言う。一つは、中國のリーダーが提唱した「緑の山河は金山?銀山に他ならない」とする「両山理論」であり、開発の視線が、未來の人類の生産と発展に向けられている。もう一つは、原発推進派であった小泉純一郎元首相が、天然資源の有効活用を訴えていることである。政治リーダーたちの認識は明らかに世界の共通認識となり、「人類運命共同體」の理論的基盤ともなっている。
龍潤生は「CO2削減、地球溫暖化を食い止めないと地球が人類によって破滅する」と認識し、転身してWWB株式會社を設(shè)立し、太陽光エネルギーに代表される新エネルギーの開発に注力した。感動的だったのは、自身が開発に係わった農(nóng)業(yè)?太陽光相互補完発電プロジェクトの定礎(chǔ)式のテープカットに、小泉純一郎、細川護熙、菅直人の三人の異なる政黨の元首相が揃って祝福に訪れたことである。小泉元首相は、三名の元首相が揃って民間企業(yè)の定礎(chǔ)式に參列するのは、日本史上初めての出來事だと語った。
事業(yè)を遂行する上で、龍潤生が特に注意を払っているのは、環(huán)境保全と地域住民の利益を守ることである。彼は言う?!腑h(huán)境保護事業(yè)に攜わりながら、一方で現(xiàn)地の自然環(huán)境を破壊しているケースが多くあります。さらには、従來通りの買収、合併であると言いながら、地域住民を追いやっているケースもあります。開発に當(dāng)たって、われわれは最大限に荒廃した土地を活用し、その土地を緑化しながらエネルギーを生み出しています。そうすることで、土地資源の利用価値を高めることができます。さらに大事なのは、地域住民に対して、『畏敬の念』と『尊敬の念』をもつことです。さらには、彼らが提示する要求と対立するようなことがあってはなりません。彼らは代々に渡ってその土地に住んできたのですから。自分たちは『救世主』だというような顔をして、彼らを敵と見るようなことがあってもなりません。將來的にどのような恩恵が受けられるのか、子や孫の代までどのように継承し、生活し、発展させていくのかを共に考えるべきです」。
人々に利益をもたらすという明確なビジョンの下、彼らの太陽光発電プロジェクトの多くは、農(nóng)地に太陽光発電システムを設(shè)置して発電を行いながら、農(nóng)作物も作れるという形をとっている。農(nóng)家は農(nóng)作物による?yún)毪思婴à铺柟獍k電による?yún)毪獾盲毪长趣扦毪韦扦ⅳ?。過去の「土地収用難」は解消し、代わって現(xiàn)れたのは「農(nóng)民による企業(yè)誘致」であった。
さらに興味深い話がある。日本のある右翼メディアが、中國系民間企業(yè)が再び土地買収を進めていると報道すると、現(xiàn)地の農(nóng)家から「あなた達はわれわれの収入が増えるのを邪魔するつもりですか?」と苦情が相次いだという。
龍潤生は、同社が開発した太陽光発電システムの発電量を、2030年までに1000メガワットにしたいと夢を語る。これは原発一基分の発電量に相當(dāng)する。
彼の事業(yè)展開は日本に止まらない?,F(xiàn)在、WWB株式會社は世界十?dāng)?shù)か國に支社や工場を設(shè)立し、太陽光発電裝置の生産、スマートグリッドの開発を行い、太陽光などのグリーンな再生可能エネルギーで発電した電気を蓄電し、世界の人々、特に発展途上國の人々も利用できるようになった。
「太陽光で貧困國の子供も毎日照明の下で勉強が出來て、電気で汲み上げたきれいな水を飲める?!埂袱蓼俊F(xiàn)在人類のほとんどの戦爭や戦いはエネルギー資源や食料の爭いによるものであり、ソーラー農(nóng)業(yè)シェアリングでエネルギー問題も食糧問題も同時に解決することによって、戦爭も戦いもなくなるのを期待出來る」とも彼が語った。
ここまで話すと、龍潤生は少し興奮気味に語った?!浮喝祟愡\命共同體』の構(gòu)築は壯大な目標(biāo)です。その大目標(biāo)の下にサブ目標(biāo)を立てる必要があります。新型コロナウイルス感染拡大以降、世界全體が『生命健康安全共同體』構(gòu)築の重要性を感じています?!?·11東日本大震災(zāi)』から10年となる今、われわれは改めて『再生可能エネルギー開発共同體』構(gòu)築の重要性を感じています。これらは、戦略的関連性を有する戦略的利益であり、戦略的利益が一つになった時、この世界は間違いなく変わるでしょう」。
●取材後記
実のところ、龍潤生氏とは知り合って十年になる。氏の仲介で、後に「大キリン」と名付けられた中國?三一重工のポンプ車が日本の被災(zāi)地に贈られた際に取材させていただいた。當(dāng)時の程永華駐日大使は、氏によって中日の「地震外交」が切り開かれたと稱えた。今日、氏は華やかに転身して新産業(yè)を創(chuàng)出し、中國と諸外國の経済協(xié)力の新たな道を切り開いた。
社會が混亂しているときにこそ、本物の英雄は現(xiàn)れる。
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