<コラム>西安の大雁塔が日本でも復(fù)元されていた件

関上武司    2020年9月14日(月) 9時(shí)50分

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あまり知られていないが、日本には復(fù)元された大雁塔が存在する。

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西安の大雁塔といえば、『西遊記』の三蔵法師こと唐の高僧の玄奘がインドから持ち帰った経典や仏像を安置していることでも知られている。大雁塔のある大慈恩寺の前には玄奘の像が設(shè)置され、大雁塔の最上階の7層まで登ることが可能だ。眼下には大規(guī)模な再開(kāi)発によって、唐の時(shí)代の街並みが再現(xiàn)されており、夜はド派手なライトアップが眩しそうだ。大雁塔の內(nèi)部で玄奘の業(yè)績(jī)をまとめたDVDを購(gòu)入、帰國(guó)してから鑑賞したところ、玄奘の強(qiáng)靭な體力、深い知恵、逆境を好転させた運(yùn)には驚嘆させられた。なぜか『西遊記』の三蔵法師は実在の人物とは違って、ストーリーの中ではほぼトラブルメーカーだが、ある意味、ストーリーを盛り上げる重要な役割と言える。ついでに述べると作中の孫悟空は、天界で大暴れしてお釈迦様に封印されてからは弱體化が顕著で、牛魔王といった有名どころの妖怪とのバトルでは、ほぼ毎回、観世音菩薩などに助けを要請(qǐng)している。玄奘がインドから持ち帰り翻訳した経典がその後の仏教界に多大な影響を與えたのだが、あまり知られていないが、日本には復(fù)元された大雁塔も存在する。

その他の寫(xiě)真

愛(ài)知県蒲郡市西浦町の無(wú)量寺には玄奘三蔵ゆかりの中國(guó)西安の仏塔を三分の一に復(fù)元した日本大雁塔(高さは20メートル)が存在する。無(wú)量寺は平安時(shí)代に開(kāi)山した古剎で、がん封じ寺としても知られている。日本大雁塔は構(gòu)造上、登ることはできないようだが、境內(nèi)には敦煌や洛陽(yáng)の石窟寺院をモデルにした拝観無(wú)料の千佛洞めぐりがあり、薄暗い內(nèi)部には痔病封じ仏も安置されている。それと有料ではあるが、三蔵法師の一代記を極彩色の絵巻で再現(xiàn)した玄奘三蔵絵殿もあり、無(wú)量寺の住職の玄奘に対する敬意を感じずにはいられない。日本の旅行會(huì)社にはお坊さん向けに中國(guó)寺院ツアーを扱っていることもあり、住職もそういったツアーに參加して訪中したのだろうか?

香川県仲多度郡多度津町の金剛禪総本山少林寺には6層の大雁塔がある。こちらは開(kāi)祖の宗道臣が西安の大雁塔を訪問(wèn)して感動(dòng)したことがきっかけで復(fù)元されたとのこと。筆者は大學(xué)で少林寺拳法部(段位は二段)に所屬していたこともあり、本山合宿で大雁塔內(nèi)部の掃除をしたところ、宗道臣の遺品や資料が展示されていたのを確認(rèn)している。少林寺の境內(nèi)は仁王門正面の事務(wù)所に聲をかければ一人からでも見(jiàn)學(xué)は可能だが、念のため、事前に予約をしておいた方が無(wú)難だろう。日本の少林寺拳法と中國(guó)の嵩山の少林拳はまったく異なる団體だが交流はあり、ジェット?リーのデビュー作となった映畫(huà)『少林寺』では日本の少林寺拳法の高段者もエキストラとして出演していた。

日本に他にも大雁塔の情報(bào)があれば、コメント欄に記入していただければ幸いだ。

■筆者プロフィール:関上武司

1977年の愛(ài)知県生まれ。愛(ài)知大學(xué)経営學(xué)部卒。中國(guó)で留學(xué)や駐在員としての勤務(wù)経験あり。日本や中國(guó)のB級(jí)スポットを紹介するブログ?軟體レポートの管理人。中國(guó)遊園地の取材で中國(guó)の全省、全自治區(qū)、全直轄市へ訪問(wèn)。會(huì)社員の傍ら、「中國(guó)遊園地大図鑑」シリーズを執(zhí)筆し、メールマガジンのロードサイダーズ?ウィークリーにて「ROADSIDE CHINA 中國(guó)珍奇遊園地紀(jì)行」を連載中。このほかイベントも開(kāi)催している。

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