<コラム>ベトナム王朝時代に使われた銅貨幣、最後まで中國春秋戦國「秦」王朝の伝統(tǒng)を守った

工藤 和直    2020年8月31日(月) 22時20分

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ベトナムは「漢字圏」の國であった。日本語が漢字とひらがなを併用するように、ベトナム語は漢字とチュノムという漢字を応用した獨自文字を併用していた。

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ベトナムは「漢字圏」の國であった。1945年ベトナム民主共和國獨立までは、漢字(漢文)を公式文字として使ってきた。日本語が漢字とひらがなを併用するように、ベトナム語は漢字とチュノムという漢字を応用した獨自文字を併用していた。1887年仏領(lǐng)インドシナ連邦成立に伴い、フランス語を公用化しようと漢字を廃止したが、固有語である「クオック?グー」が一般庶民に使われていたので、第二次世界大戦後はアルファベット表記した「クオック?グー」を公式言語とした。「クオック?グー」は漢字の「國語」が起源といわれる。

その他の寫真

ベトナム(中國では越南)は紀(jì)元前から中國の文化圏であった。10世紀(jì)まで北部は中國文化圏、中央部はチャンパ(占城)王國(西暦192~1832年)というチャム族からなる王國、南部はカンボジア?タイ文化圏になる。西暦1010年に始まる李朝は積極的に中國文化(漢字?儒教?仏教?科挙制度)を?qū)毪筏俊%佶去圣嗳粒ū辈?中央?南部)が統(tǒng)一されたのは西暦1802年阮(グエン)朝からで、公式言語は漢字とチュノムを併用した。

中國では、ベトナムのことを「越南」という。阮福映が清から「越南王」に封じられた時に國名を「南越」とすることを希望したという。今でも、ベトナムでは越南と呼ばれるのを嫌うのは、ここに由來する。春秋戦國時代、浙江省に君臨した「越」より南にあるからだ。

日本で明治國家が始まった時、特に英単語を日本語に訳する際、福沢諭吉は新語創(chuàng)造の天才といわれるほど「新漢字語」を発明した。この和製漢字語は、現(xiàn)在のアジアの漢字圏(中國?北朝鮮?韓國?ベトナム)で大いに用いられ現(xiàn)在に至る。同じくベトナムでも日本語漢字が多く使われていた。愛國(アイクオック)?衣服(イーフック)?改善(カイチェン)?管理(クアンリー)?結(jié)婚(ケッホーン)?楽観(ラックアン)など、會話の中で非常に日本語に似た発音があるのに驚く。

ベトナムでの貨幣単位は「ドン」であるが、これも漢字語「銅:tong」が起源となる。ベトナムで最初に鋳造された銭貨は丁朝(西暦968年)の「太平興寶」で、最後が阮朝1945年の「保大通寶」である(寫真1)。約1000年間で200種類ほどの銅貨が発行された。共通しているのは、中國戦國時代「秦」始皇帝以前から発行された円孔円銭(中央に四角の穴がある円銭)形態(tài)をずっと維持したことだ。秦はBC300年頃から「半両」という円孔円銭を発行したが、これが唐時代の開元通寶(西暦621年)につながり、最後は清朝最後の宣統(tǒng)通寶(西暦1910年)まで2200年間の長きに渡り使われた。唐時代の開元通寶が基本となって、日本の和同開珎が作られたのは周知であるが、ベトナムの「太平興寶」も同じ形態(tài)を取った。戦國時代から続いた「円孔円銭」は75年前にベトナムで終焉となった(表1)。

17世紀(jì)中期にベトナム全土で銭不足となり、明清朝の銭貨以外に日本の元豊通寶や寛永通寶などが市中で使われた。後黎朝西暦1728年に中國に奪われていた聚龍銅山が返還されると、次々に新貨幣鋳造が始まった(阿部百里子「18世紀(jì)ベトナム南部における銭貨鋳造と流通」)。その例が景興銭である。種類の多い景興通寶や景興巨寶?景興正寶?景興用寶?景興泉寶など景興諸銭が多種多様発行された(寫真2右)。

ベトナム全土を統(tǒng)一した阮朝嗣徳初年(西暦1848年)、嘉隆期以降から全國で集められた古銭や偽銭など65萬貫を改鋳して「嗣徳通寶」などが発行された(寫真2左)。新規(guī)貨幣での貨幣経済が始まったが、改鋳コストも高く従來の古銭との併用となった。その後、西暦1858年以降、フランスによる植民化が本格化すると、フランスから流入する歐州銭貨とも併用する時代となっていった。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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