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新型コロナが世界中の多くの人の生活リズムを変調(diào)させた。さらに、人々は従來の人生観と価値観を変えざるを得なくなったかもしれない。寫真は東京のスーパー。
2020年、新型コロナが世界中の多くの人の生活リズムを変調(diào)させた。さらに、人々は従來の人生観と価値観を変えざるを得なくなったかもしれない。
昨年11月末、私は今年の1月25日(舊正月)出発のチケットを予約した。故郷の中國の福州に一週間滯在する予定であった。しかし、1月中旬から、中國では武漢を中心に新型コロナウイルスが全國へ感染拡大し、中國へ行ける狀態(tài)ではないので、1月20日に仕方なくチケットをキャンセルした。
その後、ずっと中國の親友たちと連絡(luò)を取りあっている。ある期間、向こうでは厳格な自粛生活を送っていたらしい。外出が厳しく制限された。ちなみに、「社區(qū)」とは、いわゆる中國では最も基礎(chǔ)的な単位である居民委員會(huì)の管轄範(fàn)囲のコミュニティーだ。社區(qū)の幹部たちがきちんと住民たちの行動(dòng)を把握する。家族皆が家の中に籠って、買い物の際は一家に一人しか出かけられない。スーパーの入り口で検溫を?qū)g施する。つまり、引きこもりが當(dāng)たり前の生活が余儀なくされた。
そして、日本でも4月7日から「緊急事態(tài)」が始まり、外出自粛の生活に切り替わった。でも中國と比べて、緩やかな「自粛」だ。出かけるかどうか、あくまでも自分で決める。サービス業(yè)に対しても政府や自治體から休業(yè)が要請(qǐng)されたが、罰則つきの強(qiáng)制ではなかった。緊急事態(tài)宣言が解除された時(shí)、安倍首相は「日本モデルの力を示した」と語ったが、世界に誇る日本モデルとは、政策の曖昧さを國民の忍耐と努力で補(bǔ)う仕組みのことのように見えた。
ところで、緊急事態(tài)のさなかにも、私のライフスタイルは普段とあまり変わらなかった。夜はほとんど外出しないし、新型コロナの以前からオンラインの仕事で、よく勤務(wù)先の學(xué)校の宣伝をこなしていた。その一方で、在宅勤務(wù)が増えて時(shí)間の余裕ができたことにより知らず知らず、お金とモノに対する習(xí)慣が少しばかり変わったようだ。毎日きちんと食材を選んで料理を作る時(shí)間の余裕があるので、まず、二つの鍋を買った。一つは無水鍋、もう一つは中華鍋。それらを使って新しいメニューにチャレンジしたりする。また、スーパーで食材を入手する際にも、これまでより高値なものを買うようになった。免疫力をアップさせるためと自分を説得させて、卵?豆腐?トマト?お米といった日常の食材は売り場で一番高いものを選ぶ。そのおかげで、はじめて高糖度トマトのうまみを知ることができた。これぞ最高の味わい!どうしてこれまで安いものばかりを選んでしまったのか、と後悔するほどの衝撃だった?!父呒?jí)」と「普通」との間は、たかが數(shù)百円の「距離」である。數(shù)百円で幸せの次の階段に上がれるのだ。明日は明日の風(fēng)が吹く。今日も高級(jí)トマトを買って、自分へのご褒美にしよう。そればかりではない。最近周囲から、緊急事態(tài)の中で體調(diào)が良くなった、という聲を耳にするのも、あちらこちらで食生活の改善が進(jìn)んだ効果ではないだろうか。
今回、厳しく営業(yè)自粛を要請(qǐng)されたのは、居酒屋?カラオケ?ライブハウス?パチンコといったお店だった。私は居酒屋にはたまに行くけれど、カラオケ?ライブハウス?パチンコはまったく無縁だ。であるなら、今まではあたかも「自粛人生」だ、と複雑な気持ちになった。東京の夜の街を知らなかったことを殘念に思う。ちなみに、大阪府の吉村知事の會(huì)見のニュースによって、ライブハウスなるものの存在を知り、それを利用するのは中高年層が多いと聞いて驚いた。ネットでライブハウスの映像を調(diào)べてみたら、店內(nèi)では大勢(shì)の観客がみんな立ち上がり、すこぶる熱狂的な光景を目にした。普段のあまり感情を表に出さない日本人のイメージとずいぶん違う。大阪府はすでにライブハウスの休業(yè)要請(qǐng)も解除されたものの、著席を原則としたガイドラインに店側(cè)が困惑したというのもむべなるかな。観客が座ったら熱狂が冷めてしまうはず。かくて、新型コロナ時(shí)代に新たな形へとライブハウスが変わるのであれば、私も一度訪れて目撃してみたいと思う。
緊急事態(tài)宣言の期間中にも、ときに必要に応じて時(shí)差出勤したところ、山手線はかつてないほどたいへん快適だった。世界に知られた日本の通勤電車の混雑で世のサラリーマンは毎朝ストレスを溜め込んできたのが、この新型コロナのおかげで解消したのなら、これからも時(shí)差出勤や在宅勤務(wù)を継続して、ぜひ將來に向けての働き方改革を?qū)g現(xiàn)してほしいものだ。
これまで、私たちの世の中では効率?ハイスピードが求められてきた。ひたすら加速する日常の変化への緊張感と不安は、新型コロナにともなう緊急事態(tài)宣言の中で、意外にも和らげられたのではないか。多くのものごとが「不要不急」となった。テレビでは過去の番組が繰り返し放送されて、時(shí)間がさかのぼったような気がした。新型コロナが出現(xiàn)する以前の私たちは常に3密に向かって駆り立てられて、地球環(huán)境にも負(fù)擔(dān)をかけすぎた、と反省しなくてはならないのではないだろうか。先週末に、私は東京から電車で一時(shí)間半ほどの郊外にある友人の家に出かけた。そこは自然豊かな田畑に囲まれ、まるで都市の塵芥を離れた桃源郷のように思われた。広い庭では鶏や羊が放たれているその家に滯在中、時(shí)の流れが緩やかになった。
私は5月29日に配信リリースされた森山直太朗の新曲「最悪な春」を聴いて、虛しさと美しさを覚えた。最悪な春でも特別な春、個(gè)人的には人生の「間」ができたように思う。今の私は衣服や化粧品よりも、本を買う?!感滦庭偿恁书v連読書」に耽る。山本太郎の『感染癥と文明』や、イタリアの作家パオロ?ジョルダーノのエッセイ『コロナの時(shí)代の僕ら』など。そのジョルダーノが「ウイルスは狀況に適応できるという一點(diǎn)では人間に勝っている。人間はウイルスに學(xué)んだほうがよさそうだ」と主張するのに、私は共感する。新型ウイルスはこれからもどんどん出てくる。それに対応できる新型人間はいつ生まれてくるのだろう。
さて、私の従來の「自粛人生」をこれからも続けたものか、改めたものか。まあ、この問題も「不要不急」だろう。とりあえずは、明日も高級(jí)トマトを買うとしよう。
■筆者プロフィール:黃 文葦
在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。
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