拡大
二度と立ち上がれない、と言われた日本は、現(xiàn)在72歳になる私の幼児-児童期に奇跡的復(fù)興を遂げる。
二度と立ち上がれない、と言われた日本は、現(xiàn)在72歳になる私の幼児-児童期に奇跡的復(fù)興を遂げる。その復(fù)興の原因の最大のものは、皮肉な話で、悲しく恐るべき事だが、朝鮮半島や中國の人々、アメリカ軍人の「血」によってである。
1950年に「朝鮮戦爭」が起きる。日本が第二次大戦に負(fù)けてポツダム宣言を受諾し、アメリカ中心の國連軍に占領(lǐng)されたのは1945年。日本の植民地であった朝鮮は、日本が敗戦すると、北からソ連、中國に攻められ、南からアメリカに侵攻された。結(jié)果、1948年にアメリカ流の資本主義國の大韓民國(南朝鮮、韓國)と、ソ連?中國の共産主義を掲げる朝鮮民主主義人民共和國(北朝鮮)に分かれた。そして2年後、1950年に突然、金日成率いる北朝鮮が事実上の國境線と化していた38度線を越えて韓國に侵攻してきた。これが「朝鮮戦爭」である。
3年間に及ぶ戦爭は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年にアメリカ軍主體の國連軍と中國?北朝鮮連合軍は休戦している。この狀態(tài)が現(xiàn)在も続く北朝鮮と韓國?アメリカの関係である。
因みに第二次大戦の結(jié)果、一つの國であったものが、資本主義國と共産主義國の二つに分かれてしまったのは「ドイツ」「ベトナム」と「朝鮮」である。このうち分?jǐn)啶韦蓼蓼胜韦赋r」だ。
この朝鮮戦爭。推計(jì)が様々で、確定していないが、死者は2~300萬人にのぼる。なにせ、朝鮮全土で地上戦?市街戦が続けられたので、500萬人という推計(jì)もある。
よくご存じの通り朝鮮半島は、現(xiàn)代の船や航空機(jī)の利用であれば、1、2時(shí)間と日本からは極めて近い。當(dāng)然、アメリカ主體の國連軍は、日本を前線基地とした。同時(shí)に、食糧や弾薬の補(bǔ)給、トラックや戦車の修理、兵士の休養(yǎng)地ともした。
この結(jié)果、起こったのが「朝鮮特需」である。第二次世界大戦で爆撃され、工業(yè)力が壊滅的であった日本は、この朝鮮戦爭の間に武器の生産も許され、戦後の廃墟から立ち上がる。もっとも、占領(lǐng)軍の経費(fèi)を負(fù)擔(dān)していて、特需景気の経済的利益が、そのまま得られたわけではない。ただ、復(fù)興の大きな一助となったことは確かである。戦爭で豊かになるのは死の商人だが、この辺りは、人間社會(huì)の業(yè)の深さを感じる。
いずれにせよ、この1950年から1953年の3年間の戦爭景気がキッカケで、我が國は廃墟から復(fù)活し始める。そして、1965年からは、「奇跡の成長」と言われる、日本の高度成長期に突入する。
現(xiàn)在、72歳を筆頭とする団塊の世代は、完膚なきまでに破壊され、餓死者があふれる日本に生まれ、その後、世界第二位の経済大國になる、恐るべき変革の時(shí)代に生きたのだ。私はまだ死んでないが(笑)
國民の6割を占めていた農(nóng)民が、1割の半分にも満たない國になった。経済構(gòu)造がひっくり返ったのである。明治維新どころの話ではなかった。明治維新も大変革だが、農(nóng)村主體の封建社會(huì)の構(gòu)造は、実は第二次大戦まで続いていた。女性は參政権はなく、「親権」さえなかった。學(xué)校の「保護(hù)者會(huì)」を古い人たちが「父兄會(huì)」というのはその名殘である。
この高度成長期にいまあるものがほとんど生まれた。トランジスタも、集積回路も、テレビも、パソコンも、スマホも、LEDに替わられつつある蛍光燈も、自家用車も、多機(jī)能トイレも、冷蔵庫、電子レンジ、トースター、コーヒーメーカー、洗濯機(jī)、浴室、エアコン、電気ポット、レコーダー、カメラ、ドライヤー、シェーバー、ペットボトル、電気炊飯器?ジーパン…。
そしてなにより石油化學(xué)製品。衣類からカーペット、ゴミ袋に買い物袋、壁紙、機(jī)や床の木目は薄い化學(xué)フィルムに印刷された物、飲料ペットボトルに、洗濯?炊事?化粧品のボトル、何から何まで…。つまり現(xiàn)在あるありとあらゆるものが、この時(shí)代に生まれて変化していった。
幼少期の頃、神戸市の私の家で、使われていた電化製品は3つだった。傘つきの電球、アイロン、5球ラジオ。これが普通である。因みに5球ラジオというのは、トランジスタ(半導(dǎo)體)がなく、真空管という小型の縦長の電球のようなモノで、検波や増幅をしてラジオ放送を捉えていた。よくテレビドラマなどで、この時(shí)代の家庭に、黒い鉄製の扇風(fēng)機(jī)や、昔のSPレコードのための蓄音機(jī)などが出てくるが、それはごく一部のお金持ちの家である。
神戸市という百萬都市だが、水道は、臺(tái)所の1箇所のみ。トイレの手洗いは手水鉢-「ちょうずばち」と読み、手洗い用の水をためた鉢、または、小型のブリキのバケツを吊り下げて、下から水が出るようにしたもの。フロはなく行水、そして「銭湯」という大衆(zhòng)浴場?!镐E」が入浴料だったので「銭湯」と名前がついている。私は「中人15円」というのを覚えている?!钢腥恕工蟼茏鳏恃预し饯坤?、大人と子どもの間、中學(xué)生くらいのことだ。
冬の暖房は「火鉢」、布団には「湯たんぽ」「炭の入ったこたつ」。夏は「うちわ」で涼を取り、そして蚊取り線香の煙の中で、蚊帳をつって寢た。母が洗濯板で、大きなたらいに水を張って衣類を洗っていたのを覚えている。冬は冷たかっただろうなあ。その社會(huì)が半世紀(jì)で激変した。
韓國は「漢江の奇跡」もあったが、主にここ2-30年で、高層ビルが建ち並び激変した。中國は少し遅れて、ここ1-20年で激変しつつある。都市部は「大爆変」だろうか。
現(xiàn)在、東アジアは世界の中でも、アメリカ、ヨーロッパ主要國に次いで、経済的にも政治的にも主要な地域になりつつある。むしろ、後少しで、歐米を凌駕するようになるかも知れない。
その中で、最初に先進(jìn)國になった日本は、停滯と言われつつ、上手く離陸できれば、最初の地球文明國家になるだろう。それは國民性によるユニークな文明である。そしてひょっとすると未來社會(huì)のスタンダードな価値観を持つ國になるかも知れない。そのことについて述べてみよう。
つづく
■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學(xué)校?飛松中學(xué)校?星陵高校?神戸學(xué)院大學(xué)?仏教大學(xué)卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強(qiáng)と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學(xué))をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時(shí)折友人達(dá)などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時(shí)折禁酒(笑)。中學(xué)教員から県や市の教育行政職、大學(xué)の準(zhǔn)教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學(xué)のアンソロジー単行本數(shù)冊。小説の自家版文庫本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想?仏教」などの講演會(huì)をしてきました。
ブログはこちら
Record China
2020/3/28
Record China
2020/3/17
Record China
2020/3/17
Record China
2020/3/10
Record China
2020/3/11
ピックアップ
we`re
RecordChina
この記事のコメントを見る