<コラム>流浪の民中國人ママの憂鬱

茶妹小丸子    2020年3月24日(火) 22時0分

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親の悩みはどの國も一緒だ。寫真は調(diào)味料入れ。

私の職場の対象は全て外國人。そして私の擔(dān)當(dāng)は中國人。私の所屬する部署は公共機関の中にあり、日本で生活するにあたり日本語がわからなくて手続きがスムーズにいかない外國人がやってきます。行政に関する手続きが主なのですが、我々の部署の名前に「外國人相談窓口」とあるので、よろず相談所と勘違いして來る人もいます。

ある中國人の女性が來ました。とても暗い表情でした。手には何やらたくさん書いたメモを持っていました。私が「その紙は?」と聞くと、女性は「何を聞くか一応書いておいた」と答えました。とても幾帳面そうだと感じました。

用件は年金のことでした。年金の支払い済みの通知を持ってきて、「10年支払って來て、これからも支払うつもりだが、中國で年老いた父親に昨年大腸がんが発見され、現(xiàn)在入院中」とのこと。近い將來、日本での生活を切り上げて故郷の南京に帰ろうかと悩んでいるが、これまで支払ってきた年金は65歳になったらもらえるのか、いくらになるのかと聞いてきました。この女性は日本に來て20數(shù)年だそう。そして、永住権も持っています。

私はこの女性に、日本の生活を切り上げて年金支払いの途中で中國に帰った場合、日本に親戚や身內(nèi)がいたらその人たちに頼んで支払ってもらうなど方法はある、もし支払い能力がなくて支払えない、日本にはもう戻って來ないなどの場合は年金脫退の手続きを取れば一時金がもらえるので年金機構(gòu)で詳しく聞く必要があると説明しました。

女性は「長いこと日本にいるが、日本語が全然上達(dá)してないから、ちゃんと説明できるか心配」と言いました。私は家族構(gòu)成を聞いてみました。この女性にはご主人と大學(xué)生になる息子さんがいるそうで、息子さんは5歳くらいの時に日本に來て、それからずっと日本の學(xué)校に通っていて、日本の大學(xué)に入り、現(xiàn)在は大學(xué)2年生だそうです。息子さんは中國の學(xué)校での教育は受けたことがなく、中國で生活することは考えていないそうです。私は「もしあなたたち夫婦が中國に帰った後に息子さんが日本に殘って生活するのなら、あなたの通帳や日本での書類を息子さんに預(yù)けて行けば良いわけですから、そこは息子さんと話をしてみたらどうですか?」と話しました。

そして、「年金機構(gòu)などに電話をするのは息子さんにお願いしたらどうですか?息子さんが日本語を問題なく話せるなら頼ってみてはどうですか?」とアドバイスし、「息子さんとは普段話をしますか?」と聞いてみました。女性は「男の子ってあまり母親と話したがらないんですよね。父親ともそんなに話すわけではないけれど、私が何か頼めば積極的にやってくれます。大學(xué)の手続きや大學(xué)に関することは全部息子が一人でやっていたから、私は何をしていたのか全然わからないんですよ」と言いました。

私は「お母さん、それは息子さんはもう完全に精神的に親からきちんと自立できているということではないですかね?息子さんは親が嫌いなわけでもなさそうですし、お母さんが頼めば何でもやってくれるのはいいじゃないですか」と半ば勵ましてあげた。

異國の地に來て、子供を育てながら自分も夫も働くのは大変なもの。多くの外國人の例ですが、子供は小さい時から日本に來て學(xué)校に入る、最初は日本語がわからずに馴染むのに時間がかかるが、子供によっては日本語の上達(dá)が速くなり、知らないうちに日本の生活に馴染んでいて、そのうちに日本人と変わらないほどに変化していく。ところが親は職場によっては日本語を使わないため日本語があまり上達(dá)せず、今日本の教育がどうなっているのか、自分の子供の學(xué)校がどうなっていて自分の子供はどうしているのか、わからないまま時間を過ごす親が少なくないのです。子供はこうした親の狀況はお構(gòu)いなしでどんどん成長していき、親に頼らずに自分の道を決めて進む外國人の子供は少なくありません。

中國人だけの例をとってみると、親が共働きで忙しいので子供に構(gòu)う暇もないような家庭では、子供が日本で生活するのに頼りになるのは自分の學(xué)校の先生です。日本語が話せない親は學(xué)校の先生とのコミュニケーションも困難になってくるので、親抜きで先生と進路を決める子供もいます。この女性の息子も想像するにそんな感じに見えました。それでも息子は日本人と同じように受験をして大學(xué)に合格しているのだから大したものです。

中國人社會は學(xué)歴を重んじているので、この女性の息子はきっとそんな親の期待にちゃんと答えた孝行息子だろうと推測されます。日本の大學(xué)に入って卒業(yè)して、日本の企業(yè)に就職できれば將來の選択肢は限りなく広がってくると息子自身もきっと考えているに違いありません。私はこの女性に「息子さんは將來どうしたいかお母さんに話したことはありますか?」と訪ねたら、「それが何も話してくれず、一體どう考えているんだか…」とのこと?!袱扦狻⑾⒆婴丹螭献苑证谴髮W(xué)受験して、合格して、手続きも全部自分でやったんでしょ?それなら心配ないじゃないですか。私には娘しかいないから、お母さんと息子の関係は正直わからないのですが、聞いた限りでは息子さんは今日本での生活をちゃんとできているのですから、もうお母さんが過度の心配をする必要はないんじゃないですか?」と言うと、女性は「あなたのお子さんは娘さんなんですね、良いですね。娘の方が母親とよく話すというし、男の子って母親には何を考えてるかさっぱりわからなくて」と話していました。こうしたことはどこの國でも同じなんだなと思い、「思春期の年頃の子供を持つ親の悩みは萬國共通ですね」と女性に言いました。

この女性の今一番の懸念は祖國で病気になった年老いた父親のことです。自分が近い將來、日本の生活を切り上げて祖國に帰って親の面倒を見るにはある程度の自分の生活の保証がないと安心できないので、そのためには自分が將來いくら年金をもらえるのか、日本を離れた後の手続きはどうしたら良いのかなどをクリアできなければ、日本を離れて祖國に帰ることができないという心境でした。

こう思うのは當(dāng)然です。この女性は中國に帰っても年齢的なことから仕事を見つけることが難しいと思われるからです。しかし、中國でのIDカードも持ち、中國の國籍である限り、中國での保障を受けられて、日本での保障もある程度は受けることができるのです。永住権を持ってるのですから。中國に帰っても年に一度は日本に入國しないと永住権は失効してしまうので、この點だけ注意したらいいのです。

この女性はとても心配性のようでした。私は「これからのことはご家族でよく話し合って決めることです。私はあくまでも同じ母親として意見を述べただけですよ。息子さんにもっと頼って、信頼してあげてください。親が子供を信頼しないと、子供も親を信頼しなくなりますよ。お家に帰ってお母さんと息子さんとご主人でよく話し合って、それで手続きのことでお手伝いできることがあればいつでもここに來てくれて問題ないですよ」と話しました。女性は少し安心したようで、「本當(dāng)にありがとう」と言って帰っていきました。

どこの國の母親も子供を心配する気持ちは変わりません。最近多い現(xiàn)象は、子供が日本で生まれて日本の學(xué)校に行き、日本にすっかり慣れてしまい、自分の祖國に帰れない、帰ってもとても馴染めないということ。そして、年老いた親を祖國に殘して外國で働いている外國人は何も中國人だけではなく、他の外國人にも少なからずいるのです。皆やはり老後のことが心配です。日本人に限らずです。この女性の場合は子供がきちんと育っていると思われるのでまだ良いですが、いい年になっても自分の進路が決められず、日本にも馴染めずに祖國にも帰れず(日本の生活が長く、祖國に帰ってもとても順応できないと思われる外國人の子供)に半ば捨て鉢になり罪を犯してしまう外國人の子供も少なくありません。

そう思えばこの女性の子供は自分のことは自分でできているし、この先も親がもし中國に帰っても恐らくは問題ないでしょう。私が話を聞いただけの直感と想像に過ぎないのでわかりませんが、今回はまずお母さんの不安を払拭してあげないととてもじゃないが將來の年金の手続きがどうとかいう段階にはとても行けそうにないと思い、今回は同じ母親としていろいろ話をして終わりにしました。

中國人の少なからずが(日本人から見たあくまでもただのイメージ)祖國を飛び出し海外に出て働き口を探し、その地に根付いている中國人は多いが、今まで私たちは彼らの上辺しか見て來なかったし、実態(tài)は知らないで來ましたが、私はこの仕事をするようになり、私たち、特に昭和の時代の人間がイメージしていた華僑は金持ちが多くて華やかだというのは現(xiàn)実ではとてもそうではないことを知りました。たしかに成功している人もいるだろうが、ほとんどの華僑と言われる中國系の人々の生活は華やかとは程遠(yuǎn)いと言えるでしょう。

そして、もう一つ言えることは、中國人は日本人よりも昭和で言うところの根性があります。海外に身を置いて自分の生活をシフトし、困難かもしれないがとりあえず生きていっているし、言い方を変えれば、いい意味でしぶとい、図太いとも言えるかもしれません。

そして、親の悩みはどの國も一緒だということ。皆同じ人間だということですね。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中國浙江省杭州大學(xué)(現(xiàn)浙江大學(xué))漢語進修コースに1年留學(xué)。広西チワン族自治區(qū)外貿(mào)公司駐日本代表事務(wù)所に5年の勤務(wù)、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業(yè)主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

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