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業(yè)界ウォッチャーは、「マスク不足にはなっているが、日本社會にはマスクをめぐる激しいパニック狀態(tài)に陥っていない」と指摘した。
日本メディアがこのほど紹介した一般社団法人日本衛(wèi)生材料工業(yè)連合會のデータによると、日本國內(nèi)の家庭用マスクは10億枚ほどのストックがあったが、ここ1カ月ほどですでに売り切れてしまった。しかし業(yè)界ウォッチャーは、「マスク不足にはなっているが、日本社會にはマスクをめぐる激しいパニック狀態(tài)に陥っていない」と指摘した。(文:深海星)
日本社會の冷靜さは、小さなマスクの中にも現(xiàn)れており、自然災(zāi)害にたびたび見舞われてきた歴史の中で、マスクは実にさまざまなことを映し出してきた。普段は周りと「距離」を置くためのものであり、マナーと自律性を示す「日常」品だが、今のような時には國境を越えた「連帯」の象徴になる。中國から日本を見た時、中國人をより感動させるのは、おそらく災(zāi)害に対する日本人の「危機意識」だ。明日何が起こるかわからないので、今日のうちにしっかり準(zhǔn)備をしておこうと考え、マスク1枚から準(zhǔn)備を始めるのだ。
■目に見える「日?!?/p>
多くの日本人にとって、小さなマスクは今や社會生活を送る上で欠かせないものになっている。地下鉄の中、レストランやホテルの中などさまざまな場面で、マスクは大きな存在感を放っており、毎年春の日本人を悩ませる「花粉の季節(jié)」になるとなおさらだ。日本は名実ともに「マスク大國」だ。同連合會がまとめた統(tǒng)計をみると、2018年に日本全國で生産されたマスクは約55億枚で、このうち家庭用は約43億枚だった。この1年間、コンサルティング會社の富士経済の試算によれば、マスクという一見大して目を引かない小さな商品に、日本人は358億円あまりをつぎ込んだという。外からみると、特に歐米人の目からみると、マスクをつけた日本社會のムードは、なんとも不思議なものにみえる。実は日本のマスクの歴史は古く、最初に登場したのは明治時代初期のことだ。當(dāng)時のマスクは真鍮のメッシュでできており、防塵対策が主な用途だった。しかし歴史を振り返ると、疾病との戦いが日本列島を巻き込むマスクブームを起こした主な原因だ。
1918年にスペイン風(fēng)邪が世界的に猛威を振るうと、日本でも2300萬人以上が感染し、死者は40萬人を超えたといわれている。この痛ましい出來事が日本にマスクの流行をもたらした。評論によると、この出來事は、國の発展とは単なる工業(yè)化や近代化を意味するだけではなく、國民の認識の深いレベルでの転換もその中に含まれるということを日本國民に教えた。その後、大規(guī)模な伝染病が起こるたびに、日本ではマスクの販売量が急増して過去最高をたびたび更新した。
■「備えあれば憂いなし」は一種の義務(wù)
マスク不足に直面しながら、日本の企業(yè)、地方自治體、各種機関の多くが自分たちの災(zāi)害用備蓄物資だったマスクを中國に寄付した。
このことと同じく印象深いのは、寄付されたマスクがわずか數(shù)日で集められたということだ。市場の小売業(yè)者から調(diào)達したものもあるが、企業(yè)や自治體の災(zāi)害用備蓄物資の方も多い。日本社會のマスクをめぐる姿勢は、日本人の「自分のことは自分でしっかりやり、できるだけ他人に迷惑をかけない」という責(zé)任の意識と関係があるかもしれない。マスクをつけるというごく當(dāng)たり前のことには、災(zāi)害に直面した時には誰もが自分の身は自分で守らなければならないという危機に対する態(tài)度が反映されている。より重要なことは、準(zhǔn)備をするのは平時ということだ。最悪のケースを想定し、著実に準(zhǔn)備しておけば、備えあれば憂いなしとなる。災(zāi)害への対応を日常の中に落とし込むことで、人々の自信はより高まると考えられる。こうした社會のムードの中、憂いがなくなるように備えることが徐々に全國民の義務(wù)になっていった。茨城県中部にある水戸市は最近、中國の重慶市にマスク5萬枚を寄付した。日本メディアが伝えたところでは、この5萬枚は同市が普段から備蓄している災(zāi)害用物資のマスク15萬枚の一部だという。ちなみに水戸市の常住人口は27萬人だ。
このケースから日本の地方都市のマスク備蓄の1人あたり平均枚數(shù)をうかがうことができる。地方自治體の備蓄に民間の備蓄も加えると、この數(shù)字は実際にはもっと大きくなるとみられる。実際、インフルエンザや花粉癥の季節(jié)には、公共衛(wèi)生の観點からの予防意識と日本國民の自律性が、徐々に日本社會の共通認識に変わっていく。長い歴史の中、マスクは「疾病予防の用品」から「日用品」へと徐々に転換していった。
■1人1人の役割を重視
マスクだけではない。日本では防災(zāi)グッズの準(zhǔn)備と防災(zāi)訓(xùn)練が社會における全國民的課題になっている。地震や津波などの災(zāi)害は日本人にとって珍しいものではない。外部の人々に深い印象を與えるのは、往々にして日本人が災(zāi)害時にみせる秩序の感覚だ。この秩序の感覚にはそれなりの根拠がある。専門家の指摘によれば、「人々の感覚という角度からみると、公共衛(wèi)生に脅威を與える重大事件はいつも『突然やって來る』ようだが、救急救命管理という角度からみると、災(zāi)害に対する日常的な管理は日常の中の當(dāng)たり前のことでなければならない」という。
■日本の防災(zāi)意識
防災(zāi)意識は、企業(yè)の選択の上にも反映されている。政府の緊急時管理態(tài)勢だけでなく、日本の民間企業(yè)はこれまでずっと防災(zāi)や緊急時対応で重要な役割を擔(dān)ってきた。日本の大手食品メーカーにとっては、日常的に食べている食品をどのようにして非常食にバージョンアップさせるかが、ここ數(shù)年の新たな業(yè)務(wù)の重點となっている。アナリストは、「『非常食ブーム』は人々の防災(zāi)意識の向上と関係がある」と指摘した。日本のダイヤモンド?オンラインがネットで行った調(diào)査によると、日本のネットユーザーの半數(shù)以上が、「非常食を買って不測の事態(tài)に備えるつもり」と回答した。モノの準(zhǔn)備だけでなく、災(zāi)害の記憶を風(fēng)化させないことも、日本が今直面する「危機意識」をめぐる課題だ。
■日本の企業(yè)?學(xué)校は防災(zāi)訓(xùn)練を定期的に実施
これまで災(zāi)害を體験したことがない多くの「傍観者」にとって、被災(zāi)者の遭遇は自分が永遠に実感することも體験することもできない「向こう側(cè)」の出來事であり、「こちら側(cè)」にいる人々の間では記憶が風(fēng)化しやすい。東日本大震災(zāi)が起きた時、日本の批評家?東浩紀氏は、「災(zāi)害の記憶を風(fēng)化させてはならない。災(zāi)害の記憶は一種の遺産であり、重要な現(xiàn)実的価値をもっている。あの痛みを記憶し続けることで、人々に安全な狀況の中でも危険を忘れないよう注意を促すことができる。一人一人が努力し、自分の安全に対して責(zé)任を負わなければ、災(zāi)害はある日突然やって來て大きな被害をもたらす」との見方を示した。今、中國は新型コロナウイルスの感染による肺炎がもたらした挑戦に直面している。お隣の國?日本で生まれたこうした物語は、人々を感動させるだけでなく、私たちの姿を映し出す鏡にもなってくれる。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)
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