<コラム>外國(guó)人ママの憂鬱「あなたのそのお悩みが身體に出てますよ!」

茶妹小丸子    2019年12月21日(土) 14時(shí)40分

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鍼灸院の院長(zhǎng)先生から連絡(luò)が來て、中國(guó)人の女性の患者さんが來たので通訳してほしいと言われ、私は迷わずに行きました。資料寫真。

私がいつも治療に通っている鍼灸院の院長(zhǎng)先生から連絡(luò)が來て、中國(guó)人の女性の患者さんが來たのだけど、日本語はとても流暢だからいいとしても、治療する上でどうしても女性の微妙な部位を觸診して、鍼を刺さないと癥狀が改善しないから、できれば中國(guó)語を話す人が側(cè)で微妙な表現(xiàn)のところを通訳してくれると助かるんだけど、來てもらえるだろうか?というご依頼だったので私は迷わずに行きました。

私が行ったときには既に來ていて、院長(zhǎng)先生から私のことを聞いたのでしょう。治療が始まって、御本人は痛みの場(chǎng)所や、どういった痛みか?など確かに日本語できちんと説明できていました。が、院長(zhǎng)先生は本人に、「私のことは構(gòu)わないから、二人で中國(guó)語で話してもいいよ」と言いました。しかし、本人は院長(zhǎng)先生に気兼ねしてか?まあ、私とは初対面でしたから私にもちょっと遠(yuǎn)慮していたようですが、子育ての話になって、私が中國(guó)語で話をし始めたら、鍼の治療で緊張していた表情が少し柔らかくなりました。日本に來てから既に數(shù)十年の年月が経ち、現(xiàn)在は三人のお子さんのママさんだそうです。3人も子供がいたら毎日きっとてんてこ舞いかもしれません。そうした疲れが溜まっていたのか?それとも外國(guó)人妻の共通の悩みなのかもしれませんが、いくら日本に長(zhǎng)く住んでいて日本語も流暢だったとしても日本においては外國(guó)人ですし、日本の色々な習(xí)慣や風(fēng)習(xí)に戸惑ったりしますし、子供が居れば子供のことで悩んでも相談する相手がいないければ孤立する人も少なからずいます。

私は何気なく中國(guó)語でご家族は?とか、日本に來てどれくらい?とか、お子さんの歳は?中國(guó)人のママ友とかいないの?と聞いてみました。そうしたら子供が通っている學(xué)校には中國(guó)人のお子さんはいないそうです。なので中國(guó)人のママ友もいないのです。じゃあ、他の友達(dá)は?と聞いたら特に親しくしている日本人のママ友もいないようなのです。今まで一人で頑張って子育てや日本の生活をしてきた印象を受けました。中國(guó)の北の地方の人はあの厳しい気候風(fēng)土柄忍耐強(qiáng)い人が沢山います。彼女もこの例にもれずの人だと思います。

今、三人のお子さんのうちの一人が反抗期に突入し始めたということで、これもこのママさんの頭の痛い問題でもあります。私は自分の経験から、反抗期は誰にでも必ず來ること。もし、反抗期がないまま大きくなってしまったら精神的に成長(zhǎng)しなくなる!親は子供の反抗する態(tài)度には頭に來ると思うけど、そこはもう耐えて、あー、またか!っていう気持ちでいないとだめよ!私の娘も丁度中學(xué)三年くらいの時(shí)に反抗期があったけど、既に経験しているママさんに相談したら、必要なこと以外は構(gòu)わないほうがいい!でも、もし、子供が間違ったことをしたらそれは注意しないといけないとアドバイスしてみました。この會(huì)話を中國(guó)語でやったのですが、私の話に一応反応してくれました。

この他の悩みで聞いたのが、お母さんとしては一年に一度くらいの割合で故郷の中國(guó)に里帰りするし、子供も一緒に行くし、自分の両親と中國(guó)語で會(huì)話できるようになってほしい!私の両親も孫をとってもかわいいと思っているから親としては中國(guó)語を話してくれるのを望んでいるが、実際に過去に色々と中國(guó)語で話かけてみたけれど子供はそれを拒否してしまったので、もう今は中國(guó)語で話しかけるのは諦めた!とのちょっと寂しそうな表情でした。

私は過去に數(shù)人の中國(guó)人ママさんから同じ悩みを相談されたことがありますが、とても繊細(xì)で難しい問題です。それぞれの家庭の環(huán)境も家族構(gòu)成も違いますから同じ回答はできません。私は彼女に「子供の立場(chǎng)で言うと、子供は日本人の學(xué)校に行ってもう完全に日本語の生活だから、今中國(guó)語を話すのは子供ながらに恥ずかしい!とか人と違うのはいじめられちゃうのではないか?というそういった気持ちもあるのかもしれない。子供の心理ってそういうもんかもしれないしね」と話しました。もう少し成長(zhǎng)していけば子供の考えも変わるかもしれないし、それまで待ってあげるしかないのだけれど、お家で中國(guó)語を話すチャンスがないとなると子供の耳にも中國(guó)語が入らなくて、せっかくの外國(guó)語を?qū)Wぶ環(huán)境にあるから私としてはとても惜しいなー!と言いました。お母さんがお家に中國(guó)人のお友達(dá)を連れてきたり、そうしたコミュニティーに行って子供も連れて行くような環(huán)境を作ってあげないと子供も中國(guó)語に親しみを感じなくなってしまうかもしれないよ!とも話しました。

私の娘は現(xiàn)在大學(xué)生ですが、我が家も家族は皆日本生まれの日本育ちですから會(huì)話は當(dāng)然日本語ですが、私の友達(dá)に中國(guó)人の友達(dá)が多く、家にも遊びに來たりしていて當(dāng)時(shí)娘は何を話しているか全くわからなかったけど、今大學(xué)生になり、第二外國(guó)語で中國(guó)語を選択しています。數(shù)カ月前に娘に外國(guó)語の勉強(qiáng)方法について聞かれたので私自身の経験を話したりしていたのですが、その時(shí)に娘が「今自分が中國(guó)語を大學(xué)で勉強(qiáng)していて、そういえばずっと前にお母さんがよく言っていたフレーズが今出てくるようになって、今やっとそれの意味がわかったよ。やっぱり昔から耳に自然に馴染んでいたのかな?」と言い出しました。という話を彼女に話しました。やはり外國(guó)語を話せるようになる環(huán)境を親が自然に強(qiáng)制しないで作って上げることが必要かもよ?と話しました。

こうしたケースは何もこの女性ママだけの悩みではありません。最近こうした悩みを耳にしますね。日本はこのところ外國(guó)人の居住者が増加していますが、以前のケースは日本人男性と外國(guó)人女性の夫婦のケースが多いですが、中國(guó)人に限って言えば、現(xiàn)在は夫婦ともに中國(guó)人というケースが増えました。

そして、この女性のもう一つのお悩みは毎日の食生活。日本人のご主人の父親が中國(guó)料理は一切受け付けないのだそうです。彼女としては自分の故郷の料理も作りたいし、子どもたちにも食べさせてあげたい!という気持ちがやはりどこかにあるのでしょうね。私なら大歓迎ですがね。日中両國(guó)の料理が堪能できるなんていいじゃないですかー?って思いますが、ご主人のお父様はそれを受け入れないのだそうです。これは自分のアイデンティティーを否定されているようで辛いですね。近々家族全員とご主人の両親を連れて臺(tái)灣に旅行に行くそうですが、臺(tái)灣に行ってみて良い感觸を得られると良いですね!と話しました。

こうした小さな問題の積み重ねがこの方の身體の癥狀を悪くしていると鍼灸院の院長(zhǎng)先生が言っていました。東洋醫(yī)學(xué)は西洋醫(yī)學(xué)と概念が全く違いますから、西洋醫(yī)學(xué)で畫像に寫らないものは醫(yī)者は診斷できないですが、東洋醫(yī)學(xué)は觸診し、原因を探って行く治療です。この方は二年前から整形外科に通い、痛み止めをもらって終わりで、痛みは全く改善されていなくて、鍼灸治療院に意を決して來たそうです。ご主人が元々友人の紹介でここの治療院に來ていて、効果を自分で実感していたそうで、奧様にも行くように言ったのでしょうね。しかし、奧様は中國(guó)人でありながら中國(guó)醫(yī)學(xué)を中國(guó)でも受けたことがなく、また、鍼を身體に刺すということへの恐怖感があり、なかなかリラックスできないでいたようですが、今回私が行って話し相手になったことで少しリラックスして治療を受けられて、身體の痛みも改善されると良いですね。それと、お友達(dá)を作って、気を許せる相手ができて、自分の悩みを溜め込まないようにしないといくら治療しても治りません。私は翌日ウイチャットで、次回再會(huì)するときはもっと明るい表情でいてくれるといいなと話しました。

外國(guó)人のお母さんが日本で暮らせばやはり色々な問題に直面することでしょう。こうした悩みを聞いてくれる機(jī)関も少ないですが日本にはありますし、同じ國(guó)の人間同士のコミュニティーに顔を出して話をするだけで精神的に変わると思います。特に子育ての悩みは全世界のお母さんの共通の悩みの種ですね。それを拾ってもらえる人と話ができるだけでも色々と開放されると思います。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中國(guó)浙江省杭州大學(xué)(現(xiàn)浙江大學(xué))漢語進(jìn)修コースに1年留學(xué)。広西チワン族自治區(qū)外貿(mào)公司駐日本代表事務(wù)所に5年の勤務(wù)、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業(yè)主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

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