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1日、中國経済網(wǎng)は、沖縄県那覇市の首里城が焼失したことについて「多くの中國人が心を痛めているのはなぜか」とする記事を掲載した。寫真は首里城。
2019年11月1日、中國経済網(wǎng)は、沖縄県那覇市の首里城が焼失したことについて「多くの中國人が心を痛めているのはなぜか」とする記事を掲載した。
記事は、10月31日未明に発生した首里城の火災(zāi)で正殿、南殿、北殿など計(jì)7棟、面積約4836平方メートルが焼失し、鎮(zhèn)火に11時間を費(fèi)やしたと紹介。この火災(zāi)で現(xiàn)地住民が大きな悲しみに包まれると同時に、「沖縄は中國と深いつながりがあるため、多くの中國人の心も動かされた」と伝えている。
そして、沖縄は海を隔てて中國大陸と向き合っており、古くは三國時代から関係を持ってきたと紹介。隋の時代には航海技術(shù)の向上により両者の往來はさらに密接となり、煬帝が「琉球」という名を與えたとした。
また、明の朱元璋の時代には琉球國王を冊封(さくほう)し、琉球は明の藩屬となり隔年で朝貢を行うようになったと説明。14世紀(jì)末に築城されたとされる首里城は、500年以上の歳月の中で中國と日本の建築文化が融合し、非常に高い石積み技術(shù)も相まって、極めて高い文化的、歴史的価値を持つに至ったと伝えた。
記事は、焼失した首里城は復(fù)元してから日が淺いものだったとした上で「それでも、數(shù)百億円がつぎ込まれ、歴史資料に基づき再現(xiàn)された模造建築であり、高い蕓術(shù)的価値を持っていた」と紹介?;馂?zāi)発生前には毎日多くの中國人観光客が訪れていたとし、「中國人観光客がこの地で感じる親近感は、琉球と日本、中國との間の地政學(xué)的、文化的なもつれによって生まれるものなのだ」と評している。(翻訳?編集/川尻)
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