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大連で大學(xué)を卒業(yè)したばかりの日本人に中國(guó)での印象深いエピソードについて聞いた。寫(xiě)真は筆者のゆーちゃん。
筆者:翔太郎くん、久しぶり!!中國(guó)から日本に帰ってきたと聞いて、早速連絡(luò)させていただきました。
丸山:お久しぶりです。おかげさまで、2019年1月、無(wú)事に遼寧師範(fàn)大學(xué)(中國(guó)大連)を卒業(yè)することができました。
筆者:卒業(yè)おめでとう?。∠杼嗓螭?、初めてウチの日中交流會(huì)(パンダクラブ)に來(lái)たのが2015年の11月くらいかな?その後、すぐに大連留學(xué)に行ってしまったよね。彼是あれからもう3年くらい経つんだね…。
丸山:そうですね。ゆーちゃんの交流會(huì)に參加した後、2016年1月、大連に著いてから、最初の1年間は遼寧師範(fàn)大學(xué)の中國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)班に入って、基礎(chǔ)から中國(guó)語(yǔ)をしっかり學(xué)んでHSK5級(jí)まで取得しました。その後は「HSK5級(jí)保持者は本科の3年生に編入可能」という大學(xué)側(cè)の制度を利用して、殘りの2年間、本科生として大學(xué)生活を過(guò)ごしたんです。
筆者:なるほど。実際の中國(guó)は、想像していた中國(guó)とは違いましたか?
丸山:想像と若干違いました。というのは、僕が中國(guó)に行って一番驚いたのは中國(guó)人の優(yōu)しさです。公共バスなどでは、中國(guó)人は皆が競(jìng)って、高齢者や子連れの女性の方に席を譲ったりします。他にも、中國(guó)人は街中で困っている人を見(jiàn)かけると、おせっかいなくらい色々と世話をしてくれて、困っている人を本気で心配してくれます。元々僕自身、中國(guó)の人たちに対する偏見(jiàn)はなかったのですが、正直あの中國(guó)人の優(yōu)しさには本當(dāng)に驚きました。
筆者:もちろん日本にも優(yōu)しい人は沢山いるんだけど、優(yōu)しさの種類が違うんだろうね。
丸山:そうなんですよ。実は、中國(guó)に滯在していた時(shí)に、こんなことがありました。ちょうど、大學(xué)の休みを利用して、SNSで知り合った揚(yáng)州(江蘇?。─文杏堰_(dá)に會(huì)いに行くことになったんです。彼とはSNSで知り合って、たまにチャットするくらいの仲で、今まで一度も會(huì)ったことはありませんでした。にもかかわらず、自分が揚(yáng)州に到著すると、彼の祖父母、両親、家族?親戚一同が総出で僕をもてなしてくれました。ご家族の方が、ひとりひとり手料理でもてなしてくれたり、近くの美味しいレストランに連れて行ってくれたりもしました。
筆者:まさに中國(guó)獨(dú)特のおもてなし文化だね。
丸山:ネットで知り合っただけの、初めて會(huì)う男友達(dá)に、ここまでおもてなししてくれるのかと感激しました。
筆者:本當(dāng)に実りある中國(guó)留學(xué)になりましたね。學(xué)業(yè)以上にも大切なことを沢山學(xué)んだ3年間だったと思います。
丸山:実は最近、日本に帰國(guó)してから、このようなことがありました。先日、都內(nèi)のとある駅のホームで、具合の悪そうな人が倒れそうになりながら壁に寄りかかっていたんです。周りを歩いている人たちは、チラッチラッとその人を見(jiàn)るものの、素知らぬ顔で通り過(guò)ぎていくばかり。仮にこれが中國(guó)だったら、すぐにその人を心配する大勢(shì)の人だかりが出來(lái)ているはずです。
筆者:その時(shí)、翔太郎くんは?
丸山:気づいたら、『大丈夫ですか?』って、自然にその方に駆け寄って聲をかけていました。そして、駅員さんが來(lái)るまで、ずっとその方に寄り添っていました。これは、僕が中國(guó)に行ってたからこそ出來(lái)た行動(dòng)だと思います…。
筆者:もちろん、日本人でもそのようにアクションする人は沢山いると思うけど、翔太郎くんは、困っている人を放っておけない中國(guó)人の慈愛(ài)の精神を中國(guó)で學(xué)んだ。そして自身の考え方も変わった。考え方が変わったことで行動(dòng)も変わった。本當(dāng)に素晴らしいと思います。
丸山:中國(guó)の人たちには本當(dāng)に多くのことを?qū)Wびましたね。だからこそ、今まで僕が中國(guó)の人に助けてもらった分、今度は日本で中國(guó)の人たちを助けたいという気持ちがとても大きいです。せっかく日本に希望を持ってやって來(lái)た一人でも多くの中國(guó)の人たちに、日本という國(guó)を好きになって中國(guó)に帰ってもらいたいんです。そして、そのために自分が出來(lái)ることをやっていきたいと思います。
…2015年11月、初めて丸山翔太郎と知り合った當(dāng)時(shí)、自分が主催する日中交流會(huì)に參加していた彼は、どこか頼りなく、おどおどした感じの內(nèi)向的な青年だった。
「中國(guó)の人たちと知り合ったおかげで自分は変われた。だから今は中國(guó)の人たちに恩返ししたい」
しっかりとした眼差しで、自身の熱い思いを語(yǔ)る現(xiàn)在の彼を見(jiàn)て、彼の過(guò)ごした三年間の中國(guó)生活に心から敬意を表すると同時(shí)に、なんだか無(wú)性に嬉しくなった。
■プロフィール:丸山 翔太郎さん
東京都出身。中國(guó)映畫(huà)『イップ?マン』に魅了されて、2015年に都內(nèi)の中國(guó)語(yǔ)スクールにて中國(guó)語(yǔ)の學(xué)習(xí)をスタート。その後、8カ月の學(xué)習(xí)期間を経て、中國(guó)(大連)遼寧師範(fàn)大學(xué)へ留學(xué)する。大連留學(xué)時(shí)には、本科生として勉學(xué)に勵(lì)む傍ら、DISA大連留學(xué)生社団のリーダーとして、數(shù)多くの日中友好活動(dòng)を主催した。
■筆者プロフィール:ゆーちゃん(渋谷汪子)
大手商社総合職だった父親、國(guó)際線CAだった母親に、グローバル人材になるための教育を受けるが、まったくと言ってよいほど勉強(qiáng)に興味が持てず落ちこぼれる。99年より、大好きだった三國(guó)志に觸発され中國(guó)留學(xué)を決意。數(shù)年の北京生活を経て、中國(guó)という國(guó)の魅力にドハマりする。自身が代表を勤める「一般社団法人Japanese & Mandarin Union-JMU」は、首都圏最大の中國(guó)語(yǔ)コミュニティの1つとなっている。
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