<反日デモ>ナショナリズムの操作が招いた報(bào)い、負(fù)のパワーが中國(guó)社會(huì)を覆い始めた―香港誌

Record China    2012年9月24日(月) 22時(shí)15分

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22日、香港誌は「ナショナリズムの操作が招いた報(bào)い」と題した記事を掲載した。寫(xiě)真は05年、反日気運(yùn)が高まる中、「中國(guó)産」の購(gòu)入を呼び掛ける蘇州市內(nèi)のスーパー。

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2012年9月22日、香港誌?亜洲週刊は「ナショナリズムの操作が招いた報(bào)い」と題した記事を掲載した。米華字サイト?多維新聞が伝えた。

その他の寫(xiě)真

1990年頃から新世代の指導(dǎo)者たちがナショナリズムを利用して失いつつある共産主義イデオロギーを取り戻そうと畫(huà)策し始めた?!副缓Α埂盖琛工趣い盲骏`ワードは格好の起爆剤となる。その最も手軽な供給源とされたのが日本だった。中國(guó)各地に點(diǎn)在する「愛(ài)國(guó)主義教育基地」。ここで少年少女たちは中國(guó)の屈辱の近代史を突き付けられ、中國(guó)共産黨こそが祖國(guó)を屈辱から救い出す唯一の存在だと刷り込まれる。

1999年の反米デモ、2005年の反日デモ、そして2008年の外國(guó)人排斥気運(yùn)といったナショナリズムが引き起こした過(guò)去の“ゲーム”は、義憤にかられた表情の參加者たちが「打倒!日本帝國(guó)主義」「日本に宣戦布告」といったスローガンを一通り叫び終えると、最後には必ず「中華人民共和國(guó)萬(wàn)歳!」に戻ってくるというパターンが決まっていた。

結(jié)局は當(dāng)局のコントロールが効く範(fàn)囲に収まっていたのだが、今回は違う。暴力のレベルが人々の想像をはるかに超えていた。これはここ數(shù)年、増え続ける社會(huì)の矛盾と関係が深いことは間違いない。民衆(zhòng)は不満を吐き出さずにはいられなかった。暴徒化したのは將來(lái)に何の希望も見(jiàn)いだせない人たち。尖閣もしくは日本という存在は単なる口実でしかなかったのである。

これがもし、大量の警察官が動(dòng)員されていたら、市民らは堂々と破壊行為になど出られなかった。確かに「道徳観の欠如」を嘆く聲が増えてはいるものの、公共の場(chǎng)で暴力に訴えるのはよくないということくらいは(特に都市部の住民は)、さすがに分かっている。當(dāng)局の後ろ盾があったからこそ、あのような暴動(dòng)に発展することが可能だったと考えるのが自然だ。

今回の暴動(dòng)と化した反日デモは、中國(guó)の歴史上のターニングポイントに位置づけることができる。それは、この10年続いた「繁栄の時(shí)代」の終わりと動(dòng)亂の時(shí)代の幕開(kāi)けを意味している。社會(huì)の中の「悪」のパワーがさらに呼び起こされ、すべての人(特に都市部の中産階級(jí))を新たな恐怖のどん底に陥れた。

もはや、どんなに立派なショッピングセンターや高級(jí)ホテルに隠れても、安心感は全く得られない。人々は否が応にも現(xiàn)政権の「維穏(社會(huì)安定の維持)」體制に頼らざるを得ない。だが、今後はこうした悪循環(huán)が加速することで、理性を求める聲は一層出しづらくなり、一部の極端な勢(shì)力が中國(guó)社會(huì)全體を牛耳るようになっていくだろう。

このような低迷に向かっていく負(fù)のパワーが今、臺(tái)頭中の中國(guó)にがっしりと絡(luò)みついているのである。(翻訳?編集/NN)

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