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江戸時代には徳川家康が日本の精神として中國の儒學(xué)をその根幹として採用し、約270校の藩校を全國につくり、1萬6千以上の手習(xí)所や寺子屋を作った。資料寫真。
江戸時代には徳川家康が日本の精神として中國の儒學(xué)をその根幹として採用し、昌平坂學(xué)問所を頂點に、弘道館、明倫堂(細(xì)井平洲)、閑谷學(xué)校(最古の庶民學(xué)校)、時習(xí)館などの約270校の藩校を全國につくり、また、藤樹書院、咸宜園、適塾、松下村塾などの私塾を合わせると1萬6千以上の手習(xí)所や寺子屋を作った。
この內(nèi)容は、「文字の読み書き」「手紙文?漢文」「漢文素読」「算盤(そろばん)」「裁縫?生け花?茶の湯」「武術(shù)(主として士族向け)」であった。江戸末期までに現(xiàn)存する教科書だけでも7000種類以上が発行された。これらの教育は一対一の対面教育が基本であった。當(dāng)時はこうした教育は義務(wù)教育ではなく、そうした法律もなかった。また、教科書は貸與が基本で、中には100年以上も使われていた物もあった。昌平坂學(xué)問所?藩校は基本、士族のみであったが、昌平坂學(xué)問所含め士族以外も入學(xué)できる柔軟さをもっていた。昌平坂學(xué)問所は後に東京大學(xué)となった。
基本的な教科書は、「庭訓(xùn)往來?消息往來(基本の読書)」「商売往來(商い用語)」「百姓往來(農(nóng)業(yè)用語)」「國盡?東海道往來(地理?地名)」「番匠往來(建築用語)」「塵劫記(算法統(tǒng)宗を訳した算術(shù)書)」「江戸往來(江戸の生活)」である。さらに進(jìn)むと、「三字教」「実語経」「童子経」「千字問」といった物もあった。
上級のレベルでは、「孝経」「四書五経(論語?大學(xué)?中庸?孟子)」「唐詩選など、漢文?漢詩?國學(xué)など多様」といった教科書が使われた。このあたりになると、當(dāng)然、大日本史(水戸學(xué))、日本外史(頼山陽)、中朝事実(山鹿素行)などが出てくる(公式なものほど漢文になる)。
日本が歐米列強(qiáng)の侵略を受けなかった一つの理由として、こうした日本人の知的水準(zhǔn)のレベルの高さがあった。特に、この孝経と論語は毎朝、朗読し、暗記していた。こうした習(xí)慣は戦前まで、「読み書き算盤」の「読み」として、3歳から子どもに暗記させていた。戦爭に負(fù)けて、この「読み」だけが、幼児教育から削除され、暗記教育が排斥されてしまったのは殘念である。この孝経と論語は知識ではなく、物事の善悪判斷をする上でのスプレッドシートであり、これを暗記することによって、字が読める年頃になると、倫理的行動の規(guī)範(fàn)の役割を果たしていた。
このようにして江戸時代には人材育成に力を入れていて、江戸時代の教科書である「菜根譚」にこういった言葉がある。「徑路窄(せま)き処は、一歩を留(と)めて人の行くに與え、滋味濃(こまや)かなるものは、三分を減じて人の嗜(たしな)むに譲る。これはこれ、世を渉る一の極楽法なり」。
これは、「狹い小道では、他人に一歩を譲り、美味しい物は腹七分で満足して三分を他人に分け與えるのが、世の中を楽に楽しく生きて行く秘密の方法である」という意味である。
「江戸しぐさ」はなかったという意見を聞くが、江戸時代の人はこうしたことを勉強(qiáng)していた。こうした取り決めとか、ルールは読めば當(dāng)たり前のことだが、日常誰もが時としてないがしろにしてしまう。まだ字が読めない子どもの頃から、四書五経の一冊である「大學(xué)」を暗記していれば、大人になってから自然と口から出てくる。そのようにして、昔の人は自らを戒めていた。それが本來の修身で、知識ではない、人間が學(xué)ばなければならない本質(zhì)的な知恵を體得していた。今あらためて、日本人がこうした過去の遺産を?qū)Wぶ必要がありそうだ。
■筆者プロフィール:海野恵一
1948年生まれ。東京大學(xué)経済學(xué)部卒業(yè)後、アーサー?アンダーセン(現(xiàn)?アクセンチュア)入社。以來30年にわたり、ITシステム導(dǎo)入や海外展開による組織変革の手法について日本企業(yè)にコンサルティングを行う。アクセンチュアの代表取締役を経て、2004年、スウィングバイ株式會社を設(shè)立し代表取締役に就任。2004年に「天津日中大學(xué)院」の理事に就任。2007年、大連市星海友誼賞受賞?,F(xiàn)在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。海外事業(yè)展開支援も行っている。
■筆者プロフィール:海野恵一
1948年生まれ。東京大學(xué)経済學(xué)部卒業(yè)後、アーサー?アンダーセン(現(xiàn)?アクセンチュア)入社。以來30年にわたり、ITシステム導(dǎo)入や海外展開による組織変革の手法について日本企業(yè)にコンサルティングを行う。アクセンチュアの代表取締役を経て、2004年、スウィングバイ株式會社を設(shè)立し代表取締役に就任。2004年に森田明彥元毎日新聞?wù)撜h委員長、佐藤元中國大使、宮崎勇元経済企畫庁長官と一緒に「天津日中大學(xué)院」の理事に就任。この大學(xué)院は人材育成を通じて日中の相互理解を深めることを目的に、日中が初めて共同で設(shè)立した大學(xué)院である。2007年、大連市星海友誼賞受賞?,F(xiàn)在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。海外事業(yè)展開支援も行っている。
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