<コラム>中國大陸に約350カ所あった、日本神社の終焉

工藤 和直    2018年6月12日(火) 23時30分

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日本神社の分布を中國大陸全土で見ると、北は黒河神社、西は戦國時代「趙」の國都「邯鄲」にあった大東亜神社や山西省太原神社、南は海南島北にあった苗栗神社と、広範囲に分布している。寫真は筆者提供。

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日本神社の分布を中國大陸全土で見ると、北は黒河神社、西は戦國時代「趙」の國都「邯鄲」にあった大東亜神社や山西省太原神社、南は海南島北にあった苗栗神社と、広範囲に分布している。神社の一覧寫真は、中國大陸にある97カ所(全體の約30%)の日本神社である(現(xiàn)存する神社も含む)。各神社の創(chuàng)立時期?祭神などは、神奈川大學非文字研究センターの「海外神社(跡地)に関するデータベース」や「満洲の神社興亡史(嵯峨井建)」などをご參照願いたい。

その他の寫真

舊満州には295カ所の神社が記録されている。日露戦爭後の1905年に創(chuàng)建された安東神社(寫真1)に始まるが、実に90%以上が偽満州國が成立した1932年3月以降に建てられていることから、偽満州國の皇民化政策によるものだ。また終戦時に150萬人近い邦人がいたため、開拓団(開拓地)神社が約30%以上も含まれている。また祭神として一番多いのが天照大神であり、95%を占める。安東神社(現(xiàn)在は丹東市)は日本人が命名した鎮(zhèn)江山の麓(ふもと)に広がる満洲八景第一位に選ばれた桜の名所であった。日露戦爭では、黒木為もと第一軍司令官がロシア軍と最初に陸上戦「鴨緑江會戦」が行われた場所でもある。

中國大陸(中華民國)には52カ所があったが、現(xiàn)存しているのは江蘇省南京市五臺山にある南京神社參拝殿と山東省シ博市(シ=さんずいに緇の糸なし)シ川區(qū)にあるシ川神社本殿である。社務所が現(xiàn)在も使用されている神社も多く見られる。天津神社?南京神社?廈門神社?長春神社などである。石の鳥居が現(xiàn)存している文官屯神社や新京神社などもある。日本神社の跡地だったと分かる石段がそのまま使われている例が多々ある。青島神社(児童公園)?大連神社(解放小學校正門階段)?延吉神社(人民公園大門北)などである。済南神社跡では、當時の石鳥居や石燈篭の殘骸が無造作に放置されていた。

戦前は、日本國には伊勢神宮をトップとして日本國が支配する地域に25カ所の神宮(社格は官幣大社)があり、そのうち海外にあったのは、朝鮮神宮(ソウル南山)、臺灣神宮(圓山大飯店)そして旅順にあった関東神宮(旅順海軍施設)の3カ所であった。

現(xiàn)在、日本神社の跡地は市街地の中にその形も分からない上海神社?徐州神社?北京神社?奉天神社などがあるが、公園として利用されている青島神社?杭州神社?吉林神社?遼陽神社?延吉神社?鉄嶺神社ほか、烈士公園となっている済南神社?芝罘(煙臺)神社?営口神社?鞍山神社など、小學校となっている大連神社?福州神社などがある。

安東神社をスタートに40年間で中國大陸に創(chuàng)建された約350の神社は邦人の引揚げとともに終焉を迎えるが、大半は1930年代後半創(chuàng)建であったのでわずか十數(shù)年で多くの神社が消失した。中國大陸最初の安東神社は、終戦後の8月17日夕刻に何者かによって爆破破壊され、関東神宮も終戦後破壊され現(xiàn)在は海軍施設となっている。また、牡丹江神社工藤國之輔宮司はソ連參戦後、御神體を守ろうとしてソ連軍により殺されたという。(寫真2)に舊満州にあった日本神社(その1)、(寫真3)に舊満州にあった日本神社(その2)、(寫真4)に中國大陸(中華民國)にあった日本神社、(寫真5)に中國大陸(中華民國)と関東州にあった日本神社を掲載する。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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