<コラム>日本の在中國公館、戦前は今の8倍多かった

工藤 和直    2018年3月22日(木) 19時50分

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外務(wù)省のHPによると、現(xiàn)在中國にある日本の公館は8カ所である。ところが、戦前は65カ所の公館があったと思われる。寫真は筆者提供。

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現(xiàn)在外務(wù)省HPを開けると、中華人民共和國には中國との外交の窓口である北京大使館と在留邦人の保護や通商関係の援助、ビザの発行などの業(yè)務(wù)を行う上海総領(lǐng)事館?広州総領(lǐng)事舘?重慶総領(lǐng)事舘?瀋陽総領(lǐng)事舘?青島総領(lǐng)事館?香港総領(lǐng)事舘?大連領(lǐng)事事務(wù)所の8カ所がある。ところが、戦前は関東州を含む舊満州に26カ所、その他中國大陸(中華民國)に39カ所、合計65カ所の大使館?公使館?総領(lǐng)事舘?領(lǐng)事館?分館?出張所があったと思われる(表1參照、ただし分館には仮設(shè)的な施設(shè)もあり、かなりの數(shù)になる)。戦前のこれらの領(lǐng)事館の特徴と言えるには、外務(wù)省に置かれた警察機関、領(lǐng)事館警察があったことである。

その他の寫真

領(lǐng)事館警察は、第二次世界大戦以前の日本の外務(wù)?。ㄡ幛舜髺|亜?。─酥盲欷烤鞕C関、外務(wù)省警察とも呼ばれた。領(lǐng)事裁判権が認められている相手國には、日本の領(lǐng)事館警察署や派出所が多數(shù)置かれた。記録によると1944年に中國大陸だけでも54カ所があった。同じく日本國領(lǐng)事館(出張所や分館含む)もほぼ60カ所あったので、ほぼ同數(shù)の特務(wù)機関があったことになる。1880年(明治13年)3月に、朝鮮(後の大韓帝國)の釜山に置かれたのを皮切りに、清國(後に中華民國)、シャム(後にタイ)、満州國などにも設(shè)置された。第二次世界大戦敗戦と同時に廃止され、當時領(lǐng)事警察官は3400名ほどいたという。

領(lǐng)事館警察は當初、いわゆる「一旗組」などの「不良日本人」の取締から始まったが、1910年代半ばから、舊満州では「不逞鮮人」の取締が強化されていった。外務(wù)省警察は軽機関銃などで武裝しているとはいえ、関東軍や支那駐屯軍に代表される圧倒的な軍事力の補完的存在にすぎないのが実情であった。日中戦爭以後は、「特高警察」機能の比重が高まり、在華日本人反戦同盟や、在中國朝鮮人の民族獨立運動、在中國の外國人への視察が行われていた。

1940年(昭和15年)3月、北支警察部主催の高等主任會議において、「特高警察」を擔當する三村哲雄第二課長は、「武力戦から経済戦や思想戦に移行するのにともない、外務(wù)省警察の任務(wù)も逐次警備警察から、高等警察に転移しつつある」と訓示している。北支警察部は、1938年(昭和13年)6月に「居留民取締り、特高警察、防共事務(wù)の完璧」を期すために設(shè)置された。いわゆる戦況が悪化するにつれて、邦人保護から中國人や朝鮮人に対する取締りが主體となった経緯がある。寫真內(nèi)に廈門領(lǐng)事館警察地下監(jiān)獄石碑を示すが、間島総領(lǐng)事館でも同じく地下監(jiān)獄があったと記録されている。

戦後、これらの領(lǐng)事館施設(shè)は建物としての価値があったため、政府機関の建屋(上海?南京?間島?芝罘?九江?汕頭?ハルビンなど)として利用されたり、民間アパートとして各部屋が住民に分配使用(杭州?青島?張店など)されたり、ホテルやレストランとして再利用(奉天?済南?徐州?漢口など)されたり、大學宿舎(廈門)などになっている。

外裝も含め內(nèi)裝も大きく変わったが、木の階段や色彩豊かなタイル、不似合いなステンドガラスから當時を想像させるに十分である。筆者が見るに、一番現(xiàn)狀のまま殘っているのは蘇州領(lǐng)事館跡である(寫真1)。民間人が個人の貴重品倉庫として利用したのが幸いしたのか、當時のままの部屋や暖爐、吹抜け階段などが殘り、領(lǐng)事館業(yè)務(wù)の痕跡をそのまま感じられる。添付の寫真に、舊満州(寫真2)およびその他大陸內(nèi)(寫真3)にあった當時の日本國大使館?領(lǐng)事館ほか、現(xiàn)在も含め建屋を掲載する。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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