<コラム>日本で外資系?の會(huì)社に就職、広東語(yǔ)での電話応対に社長(zhǎng)ビックリ

茶妹小丸子    2018年2月12日(月) 18時(shí)20分

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1年の留學(xué)生活も終わり、日本に帰國(guó)してしばらくして、知り合いから友人が従業(yè)員を募集しているのでどうか?と私に話を持ってきた。従業(yè)員は私を除いて皆中國(guó)人だという。何だか面白そうなので面接を受けに行くことにした。資料寫(xiě)真。

1年の留學(xué)生活も終わり、日本に帰國(guó)してしばらくして、知り合いから「友人が従業(yè)員を募集しているのでどうか?」と私に話を持ってきた。従業(yè)員は私を除いて皆中國(guó)人だという。何だか面白そうなので面接を受けに行くことにした。その前に履歴書(shū)を書(shū)かなければと思い、慌ててコンビニに買(mǎi)いに行った。

面談の當(dāng)日その會(huì)社に行くと、社長(zhǎng)が待っていた。そこは中國(guó)広西チワン族自治省の貿(mào)易(非鉄金屬関係等)の日本支社のようなもので、広西省政府管轄の事務(wù)所だった。広西省は日本人もおなじみのあの桂林で有名なところで、資源としてはタルクや金屬珪素(アルミ等の原料)が取れるので有名だ。その他にも、ここには溫泉もある。

社長(zhǎng)と対面した。そして、一応書(shū)いた履歴書(shū)を渡したら、「あー、私は履歴書(shū)は重視しないから要りません!」と言った。えっ?要らないの?せっかく書(shū)いてきたのになー(笑)。じゃあ、どうやって判斷するのだろう?と思い、しばらく社長(zhǎng)と話をした。ここに著く前は、社長(zhǎng)ってどんな人なのか?と緊張したが、いきなりテンションが高かった。というよりも明るい人だった。南の方の人って明るいのか?とも思った。一応話が終わると社長(zhǎng)が「どうですか?近いうちに來(lái)てくれますか?」と言ったので、そうだな?、日本の會(huì)社よりも何だか面白そうだし、従業(yè)員は私入れて4人しかいないということだし、人間関係も余程の相性が悪くなければ煩わしいこともなさそうだし、ここで働くことにしよう!と思い社長(zhǎng)に返事をした。

初出勤の日、私は日本の會(huì)社では、特に私の世代の人間の時(shí)代には定番のお茶くみをしようと用意していると、それを見(jiàn)た社長(zhǎng)が「あー、うちではお茶くみは必要ないからやらなくていいですよ。ここは日本の企業(yè)じゃありませんし、第一私はお茶くみをしてもらうためにあなたを雇った訳ではないんですよ。だから、自分たちのお茶は自分で好きなものを持ってきて入れてくださいねー」と。あーそうなんだーとここでもプチカルチャーショックに陥る(笑)。しかし、考えてみたら、社長(zhǎng)の言う通りかもしれない。日本は男性社會(huì)で女が男性のためにという行動(dòng)が多々あるが、中國(guó)は違うのだということを感じた。

と、言うものの、何をしたら良いのやら。と社內(nèi)を見(jiàn)渡していると社長(zhǎng)から、「ここは中國(guó)からの電話もかかってきますから、積極的に取ってくださいねー。そうしたら中國(guó)語(yǔ)の勉強(qiáng)になりますからねー。ここも駅に近いから駅前留學(xué)のなんとかと同じですよ。アハハ!」と言っていた。私は一応中國(guó)語(yǔ)のテキストを持ってきていて、見(jiàn)ていたので社長(zhǎng)がさらに「そんな本を見(jiàn)るよりも、ここで色々と実踐したほうが役に立ちますよ。わからないことがあれば私がちゃんと教えるので大丈夫!焦らないで、ゆっくりやっていきましょう!」と言ってくれた。そうは言っても貿(mào)易用語(yǔ)くらい覚えないと!と思い中國(guó)語(yǔ)の貿(mào)易用語(yǔ)の本は見(jiàn)ることにした。

ここには広西省出身の社長(zhǎng)(なんと!北京大學(xué)日本語(yǔ)科卒業(yè))ともう1人江蘇省出身の年配の方と、數(shù)日したら來(lái)日するという私と同年齢の社員が中國(guó)から來(lái)ることになっていた。だから、私以外は皆中國(guó)人だ。

ここで働いてから數(shù)日は事務(wù)所の書(shū)類(lèi)のファイリングやFAXのレターヘッドを作ったり、英中日版の契約書(shū)を作成したりと忙しくなっていた。そして、中國(guó)からはFAXも來(lái)る。當(dāng)時(shí)は今のように電子メールなんてほぼないにひとしかったので、連絡(luò)はFAXが主流であった。

ある日、その中國(guó)から來(lái)たFAXをすぐに社長(zhǎng)に渡しに行ったら社長(zhǎng)から「〇〇さん、ここに來(lái)るFAXはすぐに私に渡すのではなく、あなたも目を通してくださいね」と?!袱à茫克饯庖?jiàn)て良いのですか?」と言うと社長(zhǎng)が「見(jiàn)ていいに決まってますよ。と言うよりも見(jiàn)てもらわないと、今うちではどんな商談をして、どんな取引をしているのか。あなたもちゃんと把握しないと、お客さんから尋ねられた時(shí)に応対に困りますよ!それに、うちに來(lái)るFAXの內(nèi)容であなたに秘密にしなければならない內(nèi)容なんかないですしねー。アハハ?」とあの笑いを混じえた社長(zhǎng)の明るいお言葉が響いていた。

日本の會(huì)社では、お茶くみ、コピー取りが女子社員のする仕事だと當(dāng)時(shí)聞いていたので、私もその日本の慣例の通りに動(dòng)いていたが、ここはこの空間だけはもう中國(guó)だった。もちろん、ここの取引先は日本の名だたる商社や中小企業(yè)で、ビジネスは日本のやり方も社長(zhǎng)は心得ている。お客に対してはあくまでも日本の風(fēng)習(xí)や慣例を重視していた。

そして、私は毎日毎日社長(zhǎng)にかかってくる電話を聞いていた。ここには社長(zhǎng)室などない、部屋1つしかないオフィス。社長(zhǎng)も我々も同じ空間、同じように並べられたデスクで一緒に仕事。なので、社長(zhǎng)が中國(guó)語(yǔ)でも日本語(yǔ)でも一體どんな話をしているか?どんな商談をしているか?もう筒抜けであった。まあ、前述で社長(zhǎng)が言っていた通り、ここでは皆オープンなので問(wèn)題はないのだが、ただひとつだけ社長(zhǎng)は中國(guó)にいる奧様と電話で話をする時(shí)は広東語(yǔ)だった。

やはり夫婦の話だけあって、聞かれたくないのか?それとも日常も広東語(yǔ)で話してるのか?しかし、私も多少の広東語(yǔ)を知っていたので、社長(zhǎng)と奧様との會(huì)話の中の広東語(yǔ)の簡(jiǎn)単な単語(yǔ)は聞き取れた。後で中國(guó)から掛かってきた広東語(yǔ)の電話に私が広東語(yǔ)で応対していたのを社長(zhǎng)が見(jiàn)てビックリしていた。

私はこの會(huì)社に入って生まれて初めて中國(guó)人のビジネスというものを見(jiàn)た。一概に中國(guó)人ビジネスマンと言っても色々いるだろうからひとくくりには出來(lái)ないが、私の入った會(huì)社の社長(zhǎng)は恐らく中國(guó)國(guó)內(nèi)でもなかなかいないかもしれないタイプだと思った。

日本企業(yè)のビジネスマンがここに電話をかけてきてたまたま私が電話を取り、社長(zhǎng)に取り次ぐ前に大抵の日本人ビジネスマンは「こんにちは、社長(zhǎng)はいらっしゃいますか?社長(zhǎng)が不在の場(chǎng)合は、あの〇〇の件ですが」といきなり商談內(nèi)容の話しを切り出してくる。ところが、うちの社長(zhǎng)は違う。自分が相手に掛ける時(shí)、相手から掛って來(lái)た時(shí)も同じなのだが、まず、挨拶をして、天気の話や相手に體調(diào)や様子を訪ねたり、時(shí)には今で言うお寒いオヤジギャグを飛ばしていた。

社長(zhǎng)は電話をし終わった後で私に「日本人のビジネスマンはいきなり商談の話をしてきますね。でも、私は違うんですよ。まず相手と商談の話をする前に、冗談言ったり、世間話をしてからにするんですよ。いきなり商談の話をしたら相手も緊張するし、上手くいくものも上手くいかなくなるかもしれないじゃないですか?だから冗談を言ったりすれば相手も気が楽になるかもしれないじゃないですか?これは私のビジネスのやり方なんですよ」と話してくれた。

最初のころ、うちの社長(zhǎng)の電話の応対に慣れなかった日本企業(yè)のビジネスマンも次第に社長(zhǎng)の応対に慣れるようになり、事務(wù)所を開(kāi)いて數(shù)カ月で社長(zhǎng)は取引している日本企業(yè)のウケが良くなり、問(wèn)題が発生しても誠(chéng)実に対処する社長(zhǎng)のやり方が認(rèn)められ、小さな問(wèn)題が発生しても社長(zhǎng)の人徳で大きな問(wèn)題にせずに臨機(jī)応変に円満解決してくれたことが多かった。この後も色々な事が起こるこの會(huì)社であった。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中國(guó)浙江省杭州大學(xué)(現(xiàn)浙江大學(xué))漢語(yǔ)進(jìn)修コースに1年留學(xué)。広西チワン族自治區(qū)外貿(mào)公司駐日本代表事務(wù)所に5年の勤務(wù)、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業(yè)主婦が30年間自分の目で見(jiàn)て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中國(guó)浙江省杭州大學(xué)(現(xiàn)浙江大學(xué))漢語(yǔ)進(jìn)修コースに1年留學(xué)。広西チワン族自治區(qū)外貿(mào)公司駐日本代表事務(wù)所に5年の勤務(wù)、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業(yè)主婦が30年間自分の目で見(jiàn)て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

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