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11日、地震が襲ったのは午後2時46分!授業(yè)の真っ最中だった。東京?池袋に近い日本語學(xué)校では、中國からの就學(xué)生の男女20人が日本語を?qū)Wんでいた。寫真は震災(zāi)翌日の鉄道駅。
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2011年3月11日、地震が襲ったのは午後2時46分!授業(yè)の真っ最中だった。東京第2のターミナル駅?池袋に近い日本語學(xué)校では、中國からの就學(xué)生の男女20人が日本語を?qū)Wんでいた。
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「先生、先生、地震…地震です。揺れています」―サンシャインビルに隣接する5階建てのビル3階にある教室が振り子のように大きく橫揺れしたその瞬間、中國人の就學(xué)生がいっせいに聲を上げた。日本語の授業(yè)をしていた日本語講師のわたしも、心底驚いた。経験したことがない揺れだ。「このまま生徒たちと一緒に死ぬのか」。多くの日本人留學(xué)生が亡くなったニュージーランド?クライストチャーチの悲?。?月22日)が瞬間、頭をよぎった。
が、次の瞬間、わたしは逃げ口確保のためドアを開け放ち、生徒たちに機(jī)の下で身を伏せるよう大聲で叫んだ。生徒たちはとても従順だった。他のクラスには慌てて廊下に飛び出す學(xué)生もいたが、生徒は全員指示に従ってくれた。
揺れが小康を得たのを見計らって、階段を使いビルから退避。隣の公園に避難した。しかし、そこで待っていたのは、余震で大揺れに揺れる高層ビル群と外気の寒さだった。小さな公園に身を寄せたわれわれは、「高層ビルが倒れこんでくるのでは」と恐れた。學(xué)生も「あのビルは大丈夫か、あのビルは危ない」と恐怖した。生徒たちは口々に四川省での経験を語ってくれた(編集部注:四川省では08年5月に大地震が発生した)。
最悪の時も、午後5時前にはほぼおさまった。この間、約2時間。日本人は地震に遭っても冷靜といわれるが、中國の若者もまた冷靜だった。四川大地震から學(xué)んで成熟した中國人がそこに居た。日本の地震にも興味を持っていた。
帰宅もまた、問題だった。電車が止まって帰れない。學(xué)校に戻る以外にない。他國の學(xué)生たちもそれは同じ。生徒たちは皆と一緒に地震の慘狀を伝えるテレビを食い入るように見詰めた。先生は質(zhì)問攻めにあった。
夜は床に敷いた段ボールの上に疲れた體を橫たえた。秩序を持って行動し、異國で一生懸命に勉強(qiáng)する中國人就學(xué)生がいることを知ってもらいたい―そう思ってこのリポートを書いた。(日本語講師?中村隆二)
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