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11日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健氏は、「日本語はなぜ漢字を使い、我々とは発音が違うのか」と題した記事を中國のブログサイトに発表した。寫真は吉林省で開かれた書道展。
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2011年2月11日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔?。à长?けん)氏は、日本語と漢字について考察した記事を中國のブログサイトに発表した。以下はその概略。
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日本では漢字廃止論が戦前からたびたび浮上しているが、いずれも國民の支持が得られず、立ち消えになっている。1886年にはカタカナで統(tǒng)一すべきだと説く學(xué)者が現(xiàn)れ、その3年後に今度は別の學(xué)者がローマ字化を主張。一旦は沈靜化したが、1900年に再び漢字の弊害が指摘されると、論爭は60年間も続いた。
1923(大正12)年には漢字の數(shù)を制限するため、文部省臨時國語調(diào)査會が常用漢字を1962字にすると発表。1925(大正14)年には各新聞社も使用漢字を大幅に減らす方針を示した。昭和に入り植民地支配が広がると、漢字が日本語普及の足かせになると指摘され、陸軍と海軍は漢字制限論を強力に支持。だが、結(jié)局は民族主義者たちの勝利に終わった。
ところが、1945年に日本が敗戦すると、いよいよ廃止派の黃金期が到來した。連合國軍最高司令官総司令部(GHQ)の後ろ盾のもと、「真に民主化した國家體制と言語體系」を確立するための試みが始まったのである。1946(昭和21)年に制定された當(dāng)用漢字は1850字、1949年にはその中から義務(wù)教育で指導(dǎo)すべき教育漢字が選定されたが、その數(shù)はわずか881字だった。
だが、1960年代になると、やはり漢字の廃止は無理だという論調(diào)に変わり、教育漢字は1968年には備考漢字として115文字が追加され(正式採択は1977年)、1989年には1006字にまで増えた。1981年には漢字を全廃するまで當(dāng)面使用するとされていた當(dāng)用漢字が廃止となり、常用漢字として1945字が制定された。
結(jié)局、日本語は中國の舶來文化や知識の影響を深く受けており、そのうちの1つである漢字から離れてしまえば、何も出來なくなってしまうということが認(rèn)識されたわけだ。中國文化の影響は日本文化の細(xì)部にまで奧深く浸透しているため、漢字だけを取り除こうと思っても不可能というものだろう。
日本は907年に中國で唐王朝が滅びると、もはや中國から學(xué)ぶものは何もない、とでもいうように遣唐使の派遣を止めた。さらに明治時代に入ると、「脫亜入歐」をスローガンに掲げる。日本人は西洋の言語、特に英語を積極的に學(xué)び始めたが、例えば「RICE(米)」は「RAISU」など、すべてがカタカナ英語になってしまった。日本語の中のカタカナ英語はすでに數(shù)百を超えているが、これらがネイティブに通じないのは言うまでもない。(翻訳?編集/NN)
●孔健(こう?けん)
孔子の直系第75代目の子孫で、孔子研究家、日中関係評論家。山東大學(xué)日本語學(xué)科を卒業(yè)、1985年に來日。96年、チャイニーズドラゴン新聞を創(chuàng)刊。NPO法人日中経済貿(mào)易促進協(xié)會理事長などさまざまな日中関連の機関で代表を務(wù)める?!溉毡救摔嫌肋h(yuǎn)に中國人を理解できない」「日本との戦爭は避けられない」など著書多數(shù)。
※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。
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